みんなで喜びを分かち合える、そんな職場を求めてエコスに入社

私がエコスに入社したのは、学生時代に見た1本の映画がきっかけでした。『スーパーの女』という映画です。

この映画は、売上が悲惨なスーパーが大きなスーパーに変貌する話なのですが、この映画のように、みんなで喜びを分かち合う仕事がしたいと思いました。私自身、もともと一致団結してみんなで何かをやることが好きなんですよ。この映画をきっかけに、エコスを志望しました。

1998年にエコスに新卒入社後は、複数店舗にて惣菜部を担当。その後、惣菜部の責任者を担当した後、惣菜部のバイヤーへと異動しました。

もともと学生のころに、外食産業でアルバイトをしていた経験もあり、料理をつくる楽しみも知っていました。エコスでは、惣菜のスペシャリストを目指していたので、当時はバイヤーの後、惣菜部のマネジャーになろうと意気込んでいましたね。

ただ、ふと自分の限界を感じることもありました。

バイヤーは、良い商品を安く買う仕事ですが、販売する際にはお寿司の中身や、トレー、配置などすべてイチから考えるんです。9年も同じ仕事をやっていると固定概念が外れにくくなっていました。

そこで、「マネジャーなんてできないな」と思うようになっていったんです。

惣菜のスペシャリストから、120人の上に立つ「店長」という仕事の道へ

惣菜のスペシャリストとしての道ではなく、違う方面で頑張ると決意してからは、店長に挑戦したいという想いが大きくなっていきました。

通常は副店長を経て、店長になりますが、どうしても店長になりたい気持ちを上司に伝えたんです。

直談判したとはいえ、そう簡単に任せてもらえるとは思っていなかったので、いきなり店長研修からやらせてもらえることがわかったときは驚きました。

任せてもらったからには、無我夢中で常に冷や汗をかきながらやってきました。自分でもすごいなと思いますよ。40歳を超えてからの話なので。

人生の中で一番頑張ったと思います。身体を動かしすぎたので、1年で20キロも痩せました(笑)。

たとえば、店長研修となると「レジ打てるよね?」とか当たり前のように言われるのですが、ずっと惣菜部にいたので当時は未経験。しかし、積極的にレジへ入るようにして、経験を積んでいきました。

店長になるにあたり、大変だったことはたくさんあります。中でも私が店長研修で着任したと同時に、当時の店長が足をケガして車椅子状態になってしまったんです。

「好き勝手やっていいよ」と言われて、やらせてもらえたときが一番大変でしたね。最初は何をどうすればいいのかわからない状態でしたから。

そのお店は120人くらいの従業員がいて、毎朝朝礼があるのですが、自分がリーダーシップをとって「ああするぞ、こうするぞ」と言うものの、ずっと声が震えていました。

また、最初は従業員に指示しても聞いてくれないことも多くて。当時の店長が言えば指示を聞いてくれたので余計つらかったです。ただ、各部門で従業員の話を聞いてコミュニケーションを取るうちに、少しずつ心を開いてくれるようになりました。

そのとき、「自分が動いたらみんなついてきてくれるんだな」、「一緒にやることによって、これだけついてきてくれるんだな」と感じましたね。

ライフラインのひとつであるスーパー。コロナ禍における取り組みとは

3カ月の店長研修を経て元八王子店で正式な店長になった後、少し大きい店舗を経て、エコスの中で一番大きい拝島店を任されることになりました。

店長の経験としては赤ちゃんみたいなもので、周りからも「原島大丈夫かよ?」と心配されましたが、やってみたら意外とうまくいったんです。

その中で心掛けたのは、コミュニケーションをしっかりとることです。1カ月間で全従業員150名の名前を覚え、一対一で向き合っていることを示すようにしました。

また、大型店の店長になると、コミュニケーションをとりにくい点があるので、私の場合は一日中売場を歩き回っていましたね。

店長が動いていないと周りも動かないので、アピールというのもおかしいですけど、みんなでやることでよりいっそう従業員の連帯感が強まる、と考えています。

加えて、常に明るくいることも意識していますね。基本的にはみんなに楽しんで仕事をしてもらいたいですし、店長が怖い顔をしているから、みんなも怖い顔になるということは絶対にしたくありませんでした。

常に明るくいることで、皆さんやりがいを持ち始めて、しだいに自主性も見られるようになりました。朝礼では、「〇〇さんが~~をしました!」とみんなで褒めるきっかけをつくり、個人も店舗全体も成長するようになったんです。

こうした店長としての成果が認められ、2020年現在は、エリアマネジャーとして計14店舗を統括しています。

コロナ禍で世の中にさまざまな変化が起きている中、ライフラインのひとつであるスーパーの在り方も変化していると思いますね。その中で、一番苦労したのは、従業員へのケアです。

不特定のお客様がご来店されることを不安に思っている従業員もいます。こちら側から「大丈夫だから仕事をしてくれ」とも言い切れず、残念ながら退職された方もいたんです。

もうひとつ苦労しているのが、お客様へのマナーの浸透です。必要最低限のマナーを守っていただきながら買い物をしてもらうようにお伝えをしていきました。

入り口を一方通行にしたり、マスクの着用をお願いしたり。他のお客様からご指摘を受けることもあるので、こうしたお客様への呼びかけも続けています。

エリアマネジャーとして、原島の挑戦は始まったばかり

自分の中での今後の課題は、従業員の意思統一をすることです。現状ではまだできていないので、各店舗の店長と一緒に考えて、やっては失敗して、やっては失敗してを繰り返しています。

同時に、店長から副店長までのコミュニケーションも強化しています。

私が直接、店舗の部門担当者には指示せず、店長と一緒に指示することで、店長自身もどんな指示が適切なのか肌で感じられるのかなと考えているんです。

私は「スーパーの店長=経営者」だと考えていますが、そうした経営者のような視点は、すべて経験から学んでいくことが多いです。あるときは会社の人間として会社最適を第一に考えて、またあるときは店長として身体を張って従業員を守らなくちゃいけない、なんてこともあります。

私はまだエコス一社にしか就職したことがないんですが、とても“自由”だと感じます。経常利益を出すにはどうするかをすべて店長に任せているんです。

売上をつくったり、利益を取ったり、加えて経費のコントロールもできる。その中でいかに経常利益を出すのかは店長の醍醐味であり、まさに経営の視点を持つべきだと感じます。

私もエリアマネジャーとして、どうエリアの数字をつくるのかという権限が大きいので、そのやりがいを感じながら取り組んでいます。

自由にやる中でも、自分の役職を考えると、まずは従業員を守らなくてはいけません。その上で、どう会社に貢献できるか、お客様に喜んでもらえるか。その点を考えながらやっていっています。

まだまだ自分は新米だと思っているので、早く一人前のエリアマネジャーになりたいですね。