日本人のメンタルヘルスケアへの意識は低い。だからこそ、そこにチャンスがある
※Intellect創業者との対談(VCとスタートアップとの理想的な関係について)はこちら
──DG Daiwa Ventures(以後、DGDV)の投資先であるIntellect Company Pte.Ltd(以後、Intellect)は、アジア最大のメンタルヘルスケアスタートアップとして知られています。2022年10月には日本市場での事業展開のため、日本法人であるIntellect Japanを設立されました。まずは日本のメンタルヘルスケア領域をとりまく現状から教えていただけますか?
西川 「メンタルヘルスの課題は、日照時間の短い北欧や日本や韓国などのアジア圏でとくに深刻だといわれています。こうした課題を解決すべく、欧米では多くのメンタルヘルスケアスタートアップが誕生していますが、日本ではまだメンタルヘルスケア関連のソリューションに絞って提供する企業がようやく数社出てきたところといった状況です。
まだまだ成長期なので、私たちの投資先であるIntellectが日本への進出を決めてくれたことを大変嬉しく思っています」
──DGDVとIntellectは、いつどのようにして出会ったのですか?
野島 「最初にIntellectのメンバーとお話ししたのは、2021年夏のY Combinatorが開催したYC 22W Demo Dayでのことでした。
Intellectは当時、東南アジアを中心にBtoCのメンタルヘルスケアアプリケーションサービスを提供し、顕著な成長を見せており、BtoB事業にシフトする段階で、Y Combinatorの採択企業の中でも注目を集めていました。
すでにシンガポールを中心に東南アジアの著名な企業から契約を獲得している状況で、次のマーケットとして日本を視野に入れており、われわれもそのタイミングで投資家として参画しました」
──Intellectが日本進出を決めた背景を教えてください。
松田氏 「Intellectはシンガポール発の企業ですが、ソリューションをアジア全域に広げるとのビジョンを持って事業を展開してきたため、マーケットの大きい日本を進出先とすることは自然な流れでした。
日本企業は一定以上の労働者がいる事業所ではストレスチェックの実施を義務づけていたり、産業医を置いていたりと法的な制度はある程度整っているにもかかわらず、メンタルヘルスケアに対する理解は欧米に比べると遅れをとっています。まだまだ成長の余地があると思えることから、Intellectのサービスを展開する上でとても魅力的な市場に映りました。
また、アジアに展開している多国籍企業の多くは日本拠点を持っており、導入企業側の視点としても日本はカバーしておきたい市場だと考えました」
西川 「松田さんのおっしゃる通り、制度はあるものの、われわれも国内のメンタルヘルスに対する理解はかなり遅れていると認識しています。
ただ、コロナ禍で世界的に自殺率があがったことを受け、日本でもメンタルヘルスケアへの注目度が高まってきました。このタイミングでの日本進出はベストだと考えています」
五角氏 「『コーチングやカウンセリングを受けたことはありますか?』と尋ねられて『はい』と答える人は、アメリカでは約60%。一方、日本ではたった6%ほどです。この統計からもわかるように、日本では自らのメンタルをマネージするという概念(メンタルマネジメント)は習慣化されておらず、大きなポテンシャルがあると判断しました。
誰もが日々のメンタルヘルスケアやメンタルマネジメントを習慣化できるようなしくみを整えることで、日本人が抱える課題を解決できればと思っています」
DGDVチームのネットワークを活かし、顧客紹介と採用の2軸で業容拡大支援へ
──日本進出に際しての課題は何でしたか。また、それらをどう乗り越えてきたのかを教えてください。
五角氏 「私がIntellectに入社したタイミングでは、プロダクトのローカライズをどうするか、どのような企業と協力してどのようなお客様にソリューションを提供するのかなど、ターゲティングやセグメンテーションについて活発に議論していました。
Intellectは、東南アジアにおいて、ユーザー300万人や、臨床試験における効果の実証などの実績を積みあげてきました。しかし、現地の日本企業への営業を行った際に、日本のマーケットは独特だからという理由で、日本国内での成果を出さない限り海外の実績をそのまま受け入れてもらうことは難しいことがわかりました。
そこで、トライアル利用によって効果の実証をしてくれるような日本企業を探していたところ、DGDVから大手金融機関を紹介いただきました。トライアルを行ってくれる最初の数社を探すことに一番苦慮していたので、助かりました。
さらに、大手金融機関の意思決定者となる健康管理センターの方々につないでいただき、トライアルだけでなく、産業保健のプロとしての立場から、UI/UXへの意見や、実際のコーチングセッションを活用した評価や、忌憚のないフィードバック、意見をいただけたことは貴重でした。
それらをもとに『日本版のプロダクトにはこれが必要だ』という議論を社内で行いながら、プロダクトに反映していきました」
野島 「われわれVCは、業容拡大に関しては、主に二つの観点から投資先企業をサポートできると思っています。一つめは今挙げた、お客様の紹介です。
とくにIntellectのソリューションのような場合は、1社の大企業が利用を始めるだけで営業活動がしやすくなります。DGDVが持っているネットワークをフルに活用し、企業を紹介できたらと思っています。
そして、もう一つお役に立つことができるのが採用活動です。DGDVは東南アジアに限らず海外のスタートアップに対しても多く投資をしていますが、彼ら、彼女らが日本進出を見据える際に、カントリーマネージャーとしてフィットする日本の人材を積極的に紹介しています。
現地からの採用は難しいため、日本国内の人材をつなぐことに価値があると思います。日本展開を見据える複数の海外スタートアップを支援しているからこそ、日本での事業展開に適した人材プールにアクセスできるようになりつつあると思います。
たとえば、東南アジアのスタートアップで日本展開を予定していた企業が日本展開を先延ばしにした際に、そのカントリーヘッドをIntellectに紹介したり、理由があって退職した人を紹介したりするなどの動きもしています。
もちろん、海外のVCと連携して資金調達支援を行うことは、VCの重要な役割だと考え、積極的に進めています。しかしIntellectの場合、資金調達については課題感が少ないため、今ご紹介したような顧客紹介と採用支援の主に2軸で業容拡大のお手伝いをさせていただいています」
五角氏 「実際、DGDVからの紹介がきっかけで、Intellect Japanに加わったメンバーもいて、大変感謝しています。2023年2月現在、そのメンバーはカスタマーサクセス担当として、契約に至ったお客様や、お客様の日本支社に対して、プランを提案したり、伴走支援のしくみをつくったりととても活躍してくれています」
野島 「まさにそうした実例を伺うと嬉しく思います。ただ、実際には紹介、結実に至るケースは決して多くありません。たとえ有力な海外スタートアップであっても、日本での知名度が低いことがデメリットになるケースもあります。
また、採用条件に適した人材を見つけたとしても、投資先企業のビジョンにフィットすることは、さらにハードルが高いです。Intellectがすばらしいビジョンとプロダクトを持っているからこそ、そこに強く共感できる人材が見つかったのだと思います」
──日本進出にともなう採用支援は、海外スタートアップから非常に喜ばれそうですね。どのように対応しているのでしょうか。
西川 「カスタマーサクセスの方を紹介できたのは、本社からCEOとCOOが来日して食事会を開いた際に、カジュアルな雰囲気の中で彼ら、彼女らが抱える採用課題についてお話しされたことがきっかけです。
その課題を伺ってすぐ、Intellectを担当するメンバー以外も含めたDGDVのチーム全員に『Intellectがこうした人材を求めている』という情報を共有し、チームのネットワークをフルに活用して最適な人材を紹介できるよう努めました」
五角氏 「採用が決まって、CEOとCOOも非常に喜んでいました。彼ら、彼女らが来日する際には、必ず『まずDGDVとのアポイントを入れてくれ』と頼まれるほど、DGDVとは密接な関係を築かせていただいています」
西川 「起業家にとって、いつでも気軽に相談できる相手でいることは大切だと感じています。実は昨年プライベートでシンガポール旅行にいったときにも、CEOとCOOとは食事にいきました。
本当に皆様の人柄がすてきだからプライベートでもお付き合いがあるのだと思います。そのときに、Intellectグッズをいただいたので、Tシャツ、帽子、カバンの3点セットでVCイベントに参加しています」
潜在化したメンタル不調の発見に強み──日本人のメンタルマネジメントに貢献したい
──課題を一つずつクリアしながら日本進出の準備を着実に進めてこられたかと思いますが、現状の手ごたえはいかがですか?
松田氏 「プロダクトのローカライズには苦労しましたが、順調に進めることができました。今後もさらにプロダクトに磨きをかけて、さまざまな角度からメンタルマネジメントをカバーできるサービスを日本で展開していきたいと思っています。
同時に、日本人のメンタルマネジメントに適した、日本独自のサービスやコンテンツ開発も進めていく予定です。最終的には、日本の皆様に親しみやすいプロダクトになることが目標です。
メディアでの露出機会もいただき、Intellectのソリューションに関心を持ってくださる日本企業が増えていると実感しています。ソリューションの導入効果をしっかり示しつつ、日本での活動範囲を広げていきたいです」
──Intellectのプロダクトについて、より詳しく教えていただけますか?
松田氏 「まず、アプリ一つで従業員の方のメンタルマネジメントの習慣化を促すプロダクトを提供しています。不調を感じたときにアクセスすれば、2~3分でセルフケアができるようなコンテンツから学習コンテンツまで幅広くそろっています。
もう一つ、Intellectの根幹とも言えるのが、スマホ一つでカウンセラーやセラピストなどの専門家と簡単につながってセッションを受けられるサービスです。
これまではセッションに興味を持ったとしても、専門家を探して選び、アポイントを取って、場合によっては遠くまで足を運ぶ必要があるなど、高いハードルがありました。
一方、このアプリを活用すれば、自分が取り組みたいことを選ぶと最適な専門家を簡単にマッチングでき、スマホを数タップするだけで予約が完了します。しかも、スマホを使ってリモートで、自分が一番落ち着くことができる家などでセッションを受けることができます」
──自分の家から参加できるのであれば、周りの目も気にならないですし、落ち着いてセッションを受けられますね。
松田氏 「そうなんです。日本ではストレスチェックや産業医などの制度が整っているので、それらでは補い切れない部分をカバーして提供したいと思っています。
たとえば、シンガポールにはストレスチェックも産業医の制度もないため、EAP(従業員支援プログラム)のような見せ方にして届けることが多くの企業の関心を引いていましたが、Intellectの強みを日本向けにローカライズして見せる必要がありました。
ローカライズしたメッセージングにする以上、メッセージに見合ったサービスを準備しようと奮闘してきました。くわえて、日本語が話せて、日本人の悩みに寄り添えるハイレベルな専門家たちにもIntellectの魅力を伝えることができ、たくさんの専門家の方々に参画してもらえています」
──展開する国によって、サービスの位置づけや利用者が価値を見出す部分が変わるため、ローカライズが必要なのですね。
五角氏 「メンタル状態は良好とされていても、実際は黄色信号や赤信号を行ったり来たりすることがあります。そのためIntellectのサービスは、メンタルの状態に関係なくすべてのメンタル状態に適したアプリケーションを備えていることがセールスポイントです。しかし、どの機能に価値があると感じるかは国や企業によって異なります。
シンガポールでは、自由診療制度を採用していて、医療は自己責任という考え方が強いため、『赤信号を発している方にいかに福利厚生を提供するか』に価値を感じる企業が多い傾向があります。
一方、制度が整っている日本では、ストレスチェックの結果には表れず、産業医面談が必要との判断にも至らないものの、高ストレスを抱える方がいます。そうした潜在層に対して予防的なケアを提供できるところに価値を感じていただいています。
なぜなら、日本ではこうした“黄色信号”が灯った層が約60%を占めると言われているにもかかわらず、ストレスチェックで不調が見つかるのは15%ほどです。そして、産業医面談を促されるのが0.4%に留まるなど、大きなギャップがあるからです。
そうしたメンタルの状態に問題を抱える従業員をいかにモニタリングして救い出すかが日本企業の取り組むべき重要事項になっていますし、そこに対して当社のサービスの価値を発揮できると思っています」
ソリューションの提供に留まらず、メンタルマネジメントの文化形成そのものをめざして
──では、最後にIntellectの今後の展望を教えてください。
松田氏 「今の日本では、メンタルヘルスと聞くと病気だというイメージを持つ方が多いと思います。そのため、メンタルの不調を感じても『自分は大丈夫』と考えたり、周りに心配されることや評価への影響を危惧したりして、周囲に相談できない人が少なくありません。
Intellectとしては、日本人のこうした意識を改革していきたいと思っています。『あまり寝られなかった』『会社に行きたくない』ということもメンタルの不調に含まれており、これらは誰にでも起きうることです。
また、仕事が絶好調だとしても、プライベートで恋人と別れたり家族が病気をしたりすることでメンタルに不調をきたすケースもあります。
Intellectとしては、メンタルマネジメントのためのソリューションを提供しながら、メンタル状態は良いときと悪いときをグラデーションのように行き来することが人のメンタルの自然な状態だという認識を国内に広めていけたらと思っています」
──お話しいただいたビジョンの実現に向けて、今後DGDVに期待することはありますか?
松田氏 「Intellect Japanはまだ人数も少なく、広いネットワークを構築できているわけではありません。DGDVのように幅広いネットワークを持っているVCや投資家に引き続きサポートしていただきたいと思っています」
五角氏 「そもそもIntellectが日本に進出するにあたっては、日本のVCや投資家に手厚くサポートしていただいたことが大きな力になりました。
中でもDGDVはキャピタリストの個人のLinkedInを見ていても海外とのネットワークが強固で、海外イベントでの登壇なども通じて世界的なヘルスケアのトレンドやベストプラクティスに対する知見に強みを持っている印象があります。
今後は、当社と親和性の高そうな海外企業や外資系企業も紹介いただけるとありがたいですね」
西川 「DGDVとしては、Intellectの事業をいっそう伸ばすため、顧客紹介に引き続き注力していく予定です。松田さんがおっしゃる通り、メンタルマネジメントに対する国内の考え方や文化を変えていくことは本当に大切なことだと思います。
Intellectのサービスや考え方が広まれば、周りの人に対して思いやりやリスペクトを持って接することができる人が増え、それがやがて社会的なムーブメントになると信じて投資しています。DGDVでできることは、できる限りサポートさせてください」
野島 「私は友人からコーチングを受けているのですが、第三者に話を聞いてもらって言語化してもらうことで、自分の想いや考えが整理されてすっきりするのがわかります。
Intellectの提供するサービスは明らかに日本のビジネスマンに必要とされるものです。『ニーズはあるけど相談できない』と悩んでいる人に手を差し伸べられると思っています。
成功するスタートアップの要因の一つに“常識を変える”がありますが、今まで日本になかった考え方や文化や習慣を築いてくれることをIntellectに期待しています」
松田氏 「セッションを受けてメンタルの状態をマイナスからニュートラルに持っていくのも、コーチングを受けてニュートラルをプラスに転じてパフォーマンスを向上させるのも、自分のメンタルをマネジメントするという意味では同じです。
Intellectとしては、すべての領域をカバーできるようなサービスを提供して、メンタルマネジメントの習慣化を文化にしたいと思います」
■Intellectについて
社名:Intellect Company Pte. Ltd.
本社:シンガポール
設立:2019年10月
CEO:Theodoric Chew
会社ホームページ:https://intellect.co/
概要:シンガポールを拠点として主に東南アジア諸国にてB2C・B2B2Eのメンタルヘルスアプリを展開。B2C向けのアプリでは、累計ダウンロード数が数百万規模となるなど、東南アジアにおける個人向けメンタルヘルスアプリのリーダーとしての立ち位置を構築。
また、足元では、B2B2Eのモデルにて法人向けに福利厚生の一環としてサービスの拡大を行っており、Grab社・Shopee社(Sea社の子会社。東南アジア最大級のeコマース)・Delivery Hero社(foodpanda)などのシンガポールを代表するスタートアップ企業に加え、Singtel社・Philips社などの大企業なども導入するなど、60カ国のユーザーおよび20カ国以上のメンタルヘルスセラピスト・コーチを有する。
DGDVはY Combinator 21Summer BatchにてIntellectに投資を実施。2022年夏にはTiger Globalをリード投資家としてSeries Aラウンドで約2,000万ドルの資金調達を実施。CEOのTheoderic Theo氏は、『Forbes Asia 100 To Watch 2022』にも選出されるなど、注目を集めている。