今後医療の中心的存在への成長が期待されるSaMD──その背景と業界の抱える課題とは
──まず、一般的にデジタルヘルスは不況の影響を受けにくい業界と言われていますが、いかがでしょうか?2023年2月現在の市場環境なども含めて教えてください。
西川 「ヘルスケアはガスや水道などと同じく社会インフラの性質が強く、どのような経済状況下でも需要の変化が少ないことから、これまで不況に強い業界と言われてきました。ところが、われわれの投資領域でもあるデジタルとヘルスケアとを掛け合わせた、デジタルヘルス業界の上場企業では、ほかのフィンテックや小売業界などに比べて株価がやや下がっており、不況に強いという従来の定説とは異なる動きをしているように見えます。
その理由としては、ヘルスケアのインフラとしての性質に変化が生じたということではなく、デジタルヘルスの上場企業が上場後の年月が浅く成長段階にある企業が大半を占めており、厳しい経済状況の影響を受けやすいことが考えられます。くわえて、そもそも同業界の上場企業の数自体も限られていることを勘案すると、今後のデジタルヘルスケア業界の行方についてそれほど悲観する必要はないと考えています。
また、不況の影響により、グローバルで見ると2022年のデジタルヘルススタートアップへの投資金額も減少していますが、他方で、国内のヘルスケア業界への投資金額(含む、バイオなど)は過去最高を記録しました(※CBインサイト調べ)。
これはスタートアップのエコシステムが成長段階にあることに加え、資金の出し手としてCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)が多いことなどが理由のひとつに挙げられるとは思いますが、国内ヘルスケアスタートアップ自身の成長・拡大にも期待をしています」
──ファンドとしてヘルスケアだけでなく、さまざまな技術に着目し、その他業界も投資対象とされている中で、とくにこの数年間で感じるデジタルヘルス特有の動きや違いなどはありますか?
西川 「これはヘルスケア領域に限った話ではありませんが、やはり新型コロナウイルス感染症拡大の影響は大きかったと思っています。たとえば、遠隔医療はそれまで医師はもちろん、患者さんにも理解や受容が難しかったもののひとつですが、コロナ禍が逆に追い風となり、サービスとしての浸透や定着が進んだと考えられます。このように大きく需要の伸びたテレヘルス企業には過剰とも見られる高いバリュエーションがつく傾向も見られました。
2022年に入って、コロナ禍に端を発する影響が一巡し、バリュエーションは適正価格に戻ってきた印象ですが、コロナ禍が良くも悪くも業界に与えた影響は大きかったと思います」
──近年、AI・IoT技術等の発展を受け、薬や医療機器と同様に疾病の診断・治療を目的とした医療機器プログラム、Software as a Medical Device(以下、SaMD)が世界的な産業へと発展することが期待されています。そうした分野に取り組まれているおふたりの想いや、これまでの取り組みについて教えてください。
小原 「デジタルガレージ(以下、DG)は、DGDVの運営するファンドが、ビデオゲームを用いたADHD(注意欠陥多動性障害)治療のデジタルセラピューティクス(以下、DTx)を開発する米Akili Interactive Labs(以下、Akili)に投資を行ったのを契機としてDTxにも注目し始めました。
2019年にはDGが発起人となり、製薬会社やスタートアップと共に日本デジタルセラピューティクス推進研究会(以下、DTx推進研究会)を立ち上げました。当時はまだDTxや治療アプリといった言葉が普及する前のことでした。そのような業界のはしりの時期に、DGのようなIT企業が製薬会社やスタートアップと組んでDTxの推進研究会を立ち上げたということ自体が、非常に画期的な出来事であったと思っています。
2022年には、DTx推進研究会は製薬デジタルヘルス研究会(SDK)と統合し、新たに日本デジタルヘルス・アライアンス(以下、JaDHA)が設立されました。JaDHAではさらに多様な属性の企業が加わり、課題分析・政策提言・情報発信など積極的な活動が行われています。
また、SaMDという観点では、DTx(治療)のみならず診断、予防、緩和等も含めたより広い領域を扱っており、その革新性や影響力から、今後の医療のあるべき姿を考える上で重要なパートを担うものだと思っています。個人的には、SaMDの利用に際して発生するヘルスケアデータの利活用に興味があります。
従来の医療では、たとえば、『この疾患の患者にはこういう治療をすべき』というガイドラインに沿った治療が中心です。この方法が問題なく機能するケースは多々ありますが、一方で、個人の体質特性やほかの病歴の有無、生活習慣などを総合的に見ていくことで、より効果的な個別化された治療・ケアが可能となるケースもあります。
治療計画はほとんど当該医療機関内で収集されたデータをもとに判断されているのが現状ですが、一医療機関が保有するデータだけでは捕捉が難しい部分もあります。
また、治療を中断された患者や、経過観察、寛解後の患者について言えば、医療との接点がなくなることでデータ収集の難易度自体が高まります。SaMDの開発や利用促進が進行することで、より個人に寄り添った、連続性のあるヘルスケアの提供が可能になると考えています」
西川 「医療におけるデータ利活用を重視する小原さんの意見に同感です。おっしゃる通り、近い将来にヘルスケア全体にパーソナライゼーションの波が来ると思っています。たとえば、個人のライフスタイルやほかの疾患、喫煙習慣の有無などに応じて製薬開発を行うのは難しいことから、そこをデジタルの力でパーソナライズさせていくことができないかと考えています。
また、治療用アプリなど、デジタルでの治療が可能となれば、これまで医療が届きにくかった人にも届けられるのではないかと思います。治療や薬がよりリーチしやすいものになっていくことで、ヘルスケアサービス提供における不均一が改善されるのではないかと期待しています。
わたしはDGDVでヘルスケアを含むライフサイエンスの領域を担当しており、現在10社弱のSaMDやDTx関連企業に投資しています。たとえばAkiliは、開発したADHD治療のDTxが2020年にFDAの認可を受け、2022年第三四半期にはSPACを介した上場をはたしました。
今後は拡販フェーズに入るため、より一般の認知も広まっていくかと思いますが、Akiliのようなスタートアップに関わることができたことは非常に貴重な経験になったと思います。国内でも、DTxを複数開発中のMICINや認知症のデジタル治療に取り組むCogSmartといったSaMD企業に投資しており、今後も投資を通じて業界発展の一助となりたいと考えています」
ビジネスモデルの成立、薬事承認から実用へ──各国状況が異なる中、日本が注力すべき点
──SaMDに関する足許の課題としてはどのようなことが挙げられるのでしょうか。
西川 「2022年11月に韓国で開催されたアジア初のグローバルサミット DTx Asia Summitにスピーカーとして参加してきました。そこでやはり注目されていたのは、医療機器としての承認にまつわる論点です。
まだ規制が固まらない中で、今後どのようにビジネスモデルとしての成立と医療承認の取得を両立していくのか、各ステークホルダーで団結して議論すべきフェーズにあります。
そのような中でアメリカでは、SaMDを早期に承認するブレークスループログラムなど、デジタル化を推進する制度が整備されつつあり、承認される機器数も毎年増加傾向にあります。他方で、承認を得たものの実際に市場に出回る機器は増加していない点が指摘されており、医師がよりSaMDを活用していくための手当といった部分が注目されています。
たとえば、医師がSaMDを処方しやすくするためには、病院での処方ワークフローを簡略化する必要がありますが、その整備はなかなか進んでいません。デジタルで処方しようとするとかえって手間がかかる実情をいかに打破するかといった点が今後一層重要になってくると思います」
──海外の状況を踏まえて、日本ではいかがでしょうか。
小原 「最も進んでいるアメリカでさえ導入の難易度が高いということは、数年後の日本でも同様の事象が起こる可能性が高いと言えるでしょう。現時点で国内の製薬企業や医療機器メーカーにとってイシューとなっているのは、『どうやって早期に承認を取るか』、『デジタルの特性をふまえた診療報酬体系になるか』という点です。これは、やはり臨床試験等開発費用の投資判断を行う上での根幹となる部分であるためです。
これらの点がクリアになった後に、実際に臨床現場で使用してもらうにはどうすれば良いか、といった点が課題の中心にシフトしていくと思いますが、そのためには、まず学会などで医師に対して、SaMDの有用性を訴求する必要があります。くわえて、西川さんがおっしゃるように、どのようにワークフローに乗せていくべきか、より具体的な点を検討していく必要があるでしょう。
たとえば、国内の電子カルテの導入率は諸外国と比べても低く、とくに診療所(20床未満)では40%以下と言われています。電子カルテが採用されていない状況、つまりITを活用する環境が整わないままでは、SaMDの導入の難易度はさらに高くなることが予想されます。規制のみではなく普及の観点でも、諸外国の動向を参考に今後の日本での課題を見極めていきたいと思います」
西川 「スタートアップにとって一番重要であるのは、良いプロダクトをつくることです。そのため、サイエンティストやエンジニアを集めてSaMDの製品を作ることができるメンバーで起業することが多く、投資家もその点を重視していることが一般的です。ところが、実際に作った製品を処方してもらい、消費者に使ってもらわないことには売上が立ちません。
今後はそういった販路販促をリードできるビジネスサイドのメンバーも揃えることができるかが重要になると思います。経済状況が悪化する昨今、投資家がこれまで以上にマネタイズを重視する流れも、こういった点を後押しする材料になるでしょう。
ただこれは言うのは簡単ですが、実はサイエンスとビジネスの架け橋ができる通訳のような存在は非常に貴重な人材であり、採用することが非常に難しいため、投資家として何ができるかを考えていきたいと思います」
──SaMDやDTxを国内に浸透させていくためにはどうすれば良いのでしょうか?また、どんなところに希望を感じていますか?
小原 「データを蓄積できることが、SaMDの最大の特徴です。治療効果の可視化や、承認後も引き続きデータを収集して改良につなげることができる点が薬と大きく異なる点であり、患者さんにとってより良いプロダクトを提供し続けることができる可能性を感じています」
西川 「データが蓄積されていくことで、これまでできなかったことができる点は私も大いに希望を感じています。たとえば、現代の医療薬では治すことができない病気でも、デジタルなら完治させることができるようになれば、保険点数が低い、医療のワークフローが複雑などという問題は些末なものとして、一気に成長する可能性がある領域だと思っています」
目指すは柔軟かつ実用性のある薬事承認。各ステークホルダーで一致団結して進むべき道
──SaMDの薬事承認において、どんな課題がありますか?
小原 「SaMDの薬事承認にあたって、当初はデジタルの特性がほとんど勘案されず、これまでの規制の考え方に当てはめる形で進められていました。開発を進めるメーカー側からは、もう少し柔軟性のある評価や運用を適用するほか、海外のように早期に承認して、データが集まった後であらためて判断するようなプロセスの提案がされています。
承認後の診療報酬が見えづらいことも問題です。仮に開発したプロダクトが承認されたとしても、どれほどの利益が見込まれるか予測が難しいのが現状です。治験コストなどの投資回収はもちろんのこと、上市後の規制対応、継続的なプログラムの改修などの費用を十分に賄える収益が確保できるのか、という点は重要な論点です。
このように事業計画が立てづらい状況にあることは、スタートアップはもちろん、体力のある製薬企業にとってもハードルが高く、こうした不透明性も今後解消していく必要があるでしょう。この点は個社での取り組みは難しく、JaDHAを筆頭に各ステークホルダーが連携して活動を進めています」
西川 「一方で、規制を緩めれば良いというわけではなく、安全性を担保しつつ、健全なプロセスを実現する必要があります。たとえば、AIを搭載した診断機器の利点は、データが蓄積されるにしたがってアルゴリズムが改善されるところにありますが、仮にアルゴリズム全体を承認してしまった場合、どこかで書き換えられたとしても、規制当局側は把握できません。
そこで現在は、『この時点のアルゴリズムであれば問題ありません』という具合に、限定的な承認方法が取られていて、変更があるたびに届け出をしながらアルゴリズムを書き換えていく形になっています。
これにはメリットもデメリットもあり、どう折り合いをつけていくか、これからまだまだ検討を重ねていかなくてはなりません」
──そういった点は国内外で状況に違いがあるのでしょうか?
小原 「医療機器や医薬品は上市されれば、品質が変化しないものとして、同じ製品が処方され続けます。一方、機械学習機能付きAIのようなプログラム医療機器の場合は、そのアルゴリズムが改善され性能が変化する可能性があります。
現在では、承認申請時に性能等の変更やRWD(リアルワールドデータ)を活用した利用性の向上に関する計画を出すことで、これに沿ったものであれば市販後の手続きが簡略化され、早期の改良が実現できるようになっています」
西川 「国内外での差異という観点では、人種によって体型も体質も異なります。そのため、病状によっては、他国で蓄積されてきたデータやアルゴリズムをそのまま日本で活用しづらいこともあります。
このようなデータの性質上、一定の参入障壁があるデジタルヘルス領域であるからこそ、今後、アジアや日本の企業の動向に期待したいと思っています」
デジタルヘルスの普及が人々の健康や幸せにつながる──ふたりの考えるそれぞれの貢献
──今後、デジタルヘルスを普及させていくためにはどのようなことが必要でしょうか。
小原 「製薬会社や医療機器メーカー、医師がそれぞれ独立して動くのではなく、プレーヤー同士がもっと有機的につながっていく必要があると感じています。デジタルを活用した医療と言っても、DTxアプリで完結するわけではなく、医師の治療計画の中で、医薬品と従来の医療機器、SaMDがそれぞれの目的のために併用される可能性が極めて高く、それぞれを別のメーカーが提供することになる可能性も高いためです。
また、データが患者さんに帰属することを明確にしていくことも必要でしょう。一般的に、サービスを提供する企業はデータを独占したいと考える傾向が強いですが、ヘルスケアの領域で成果を最大化するためには、複数のプレーヤーがデータを活用できる仕組みづくりが欠かせません。
それが、上市後のSaMDの価値を上げていく上でも非常に重要になってくると思います。そのためには、まず開発に注力する製薬会社やスタートアップなどのメーカー、および周辺のプレーヤーが、データ利活用のためのエコシステムづくりに着手し、成功事例を重ねていくことが大切です。それが、新しい医療、新しいヘルスケアの価値を創出するための近道だと考えています」
西川 「そうですね。さらに付け加えるとするなら、『デジタル治療を受けたことで、これだけリスクが軽減できます』という風にデータを整理しながら蓄積していくことが重要であると考えます。
導入の意味を示すことができれば、BtoBtoEモデルという形で、企業の福利厚生の一環として導入していく道も開けると思います。
また、アメリカでは民間保険会社が保険償還の引き受け手となるため、データの蓄積は各社の判断となります。データを構造化して、各ステークホルダーの求める形で集積することが、販売戦略にもつながると考えます。くわえて、デジタルヘルスを普及させていくためには、医師が処方を選択したくなるSaMDをする必要があるとも思います。仮にまったく同様の効果・費用の薬とSaMDが存在する場合でも、早期診断が可能となる、患者の負担が大幅に減少するなどのSaMDを選択する要素が必要なのかもしれません。
あたりまえの話にはなりますが、医師、患者のどのようなペインを解決していけるのかを、開発前段階はもちろん、クリニカルトライアルを走らせているときも確認しながら進めていくことが重要であると改めて感じています」
小原 「西川さんのおっしゃる通りですね。日本では“5分診療”という言葉があることからもわかるように、医師が多忙で負担が大きいのが現状です。そんな中、たとえば、プログラムに不具合が起きやすい、患者さんが理解しにくいといったネガティブな側面があったとすれば、医師がDTxを進んで選ぶとは思えません。最も良い医療を提供したいと考える医師の立場になって、ペインポイントを探っていく必要があるでしょう」
西川 「デジタルヘルスが普及すれば、医療のパーソナライズが進むだけでなく、データの蓄積に伴い、早期治療も可能になるはずです。もしかしたら病気を予見することさえ可能かもしれません。
そのようにして、誰もが健康で幸せに生きられる世界が訪れると良いなと思っています」
──今後の展望について教えてください。
小原 「大きくふたつあります。ひとつ目は、診療周辺のDXを推進していくことです。いくらSaMDの開発・承認が進んでも、医師が診療以外のアナログ業務で多忙だったり、データを活用するための現場環境が整っていなかったりすると医療現場での普及が進みません。医療提供における周辺機能を改善し、より効率的な医療の実現を後方支援していきたいと思っています。ふたつ目として、西川さんがおっしゃった病気の予防や早期発見とも関連しますが、個人の健康への意識を高めるようなサービスの開発も検討しています。
データの可視化で健康意識を高めることで、リスクに気づいてもらうほか、異変に気づいたら少しでも早く適切な医療につなぐ支援ができればと考えています。国民皆保険制度である日本は、誰もがその恩恵を受けられる半面、どうしても予防・早期発見と医療とが分断される傾向があります。これらのデータを鍵にシームレスにつないでいくことが目標です」
西川 「ヘルスケアは国の規制を受けることが多く、とくにデジタルヘルスに関しては、国によりアプローチの方法も、進捗状況もさまざまです。DGDVの強みは、国内だけではなく、アメリカやヨーロッパはもちろん、アジア、アフリカなど多地域に横断して投資しているところです。この強みを活かして、海外の先進的な事例に関する情報を国内外のスタートアップに発信していくことで、デジタルヘルスの普及全体に貢献していきたいと思っています」