原点は幼少期の海外生活。再び渡米し、現地就職を目指した学生時代
私は3〜5歳までアメリカ、小学校2年生から6年生までオーストラリアに住んでいました。中学から高校までは日本で過ごしていたのですが、大学進学にあたり再びアメリカへ行き、7年ほど暮らすことに。
海外進学を決めるにあたり、幼少期に過ごした海外の環境に戻りたいという想いはあったと思います。小学生の頃、友達ができ始めたこともあってアメリカやオーストラリアに残りたいと考えていたのも記憶にあるんです。
ただ父としては日本人としてのアイデンティティを持ってもらいたかったようで、中学から高校までは日本に残るように言われました(笑)。しかし高校を卒業してからも「海外に行きたい」という想いがあったため、父を説得してアメリカの大学へ進学しました。
卒業後も滞米する場合、OTPビザの申請が通ればもう一年間滞在することができます。一定の成績以上で卒業することが取得条件になるのですが、無事に取得できました。その後、期間内に就職先を見つけてビザの発給を受けられればアメリカで働くことが可能になるんです。
ですが、卒業前にリーマンショックが起きてしまいました。アメリカも国内雇用に切り替えていくフェーズとなり、留学生の就職が難しい時代に突入していました。
そのため、最後の一年はレストランのアルバイトを続けながら、友人がやっているゼネコンで働いていましたね。4人ほどの小さな会社です。友人に「ビジネスを大きくしたいから手伝って」と言われ、営業や施工を担当していました。
日本帰国後は外資系のタバコ製造・販売企業 に幹部育成候補として入社。在学中に受けたマーケティングの講義の中で、宣伝ひとつでビジネスが変わるというケーススタディがたくさんあるのだと知り、ずっとマーケティングの仕事をやってみたいと考えていたからです。その会社はマーケターに特化した募集をしていたので、応募してみました。
2年間の幹部育成プログラムの中で、営業に配属されたりブランドマーケティングに配属されたり、数字を見るような分析やリサーチをする部署でも学ばせていただきました。
ただ、タバコって規制が厳しい業界なのでマーケティング手法も特殊でした。なので、自分にとってはあまりおもしろくなく……。また、外資で働く中で日本のものを世界に売っていきたいという想いも、日に日に募っていきました。
そんな矢先、大学で知り合った日本人から連絡がありました。彼は私より一足先に帰国して人材会社を立ち上げていたのですが、「こんな仕事あるけど興味ない?」と紹介されたのがダーツライブでした。
「アメリカで働きたい」からダーツに魅了されて、変化したスタンス
当時、ダーツライブではアメリカへ出向できる人を探しているとのことでした。それで「アメリカに行けるならぜひ!」という気持ちで入社したのですが、直後に全社方針が変わってしまって、アメリカへ行けなくなってしまいました。
正直なところ、がっかりしました。ただ、海外支社を立ち上げているタイミングではあったので、翻訳業務をやったり、ポルトガルに長期出張に行ったりと海外事業には携わり続けていたんです。
その後、日本に呼ばれて「THE WORLD」というダーツの世界大会の仕事をするようになりました。
当時、2年目を迎える大会で人員が必要だからとアサインされたのですが、最初はそこまで乗り気ではありませんでした。「広告代理店に入ったわけでもないのに自分は何をしているのだろう」、「そんな仕事するならイベント会社に就職するのに」と思っていましたね。
イベント運営もダーツも詳しくなかったので、当時は上司や同僚に「お前って本当にダーツ知らないな」とよく言われていました。
ただそんな中で、同世代の同僚と仲良くなっていきました。彼は英語ができる私のことが羨ましかったようでしたが、私は私でダーツや業界のことをよく知っていて、アグレッシブに活躍している彼が羨ましくて、いろいろと教えてほしいと思っていました。
それで毎週末のように一緒に出かけるようになって「今日はここに行ってみよう」とダーツバーに顔を出すようになりました。車に乗って行くこともありましたし、それこそ名古屋の大会まで遠征しに行ったこともあります。
そうするうちにダーツのゲーム性におもしろさを感じ始めました。たとえば、シンガポール出身のポール・リムという世界的に有名なプレイヤーがいます。「ナインダーツ」というゴルフでいうホールインワンのようなものがあるのですが、それを初めてテレビでやった方です。
2021年現在も67歳の現役選手として活躍していますが、当時すでに60代に差し掛かっていた彼が世界大会でも優勝していると知るうちに、ダーツは選手生命も長いし、競技人口も広げていけるんじゃないかと思うようになりました。
ダーツに興味がなかった自分さえ、こんなに楽しく好きになっていったのだから、多くの人がダーツを知れば、ダーツはもっと広がっていくのではないか。もしかしたら、ダーツライブはおもしろい会社なのかもしれないと思い始めたんです。
そこからは、積極的に挑戦を重ねていきました。イギリスで世界大会が開催された際には、遊び文化を生かしてベッティング会社と提携したり、スーパーダーツという自社主催の大会に、フィル・テイラーという世界で最も有名な選手を誘致する交渉に乗り出したりしました。
会社としても海外に拠点を持ち出し、世界大会の規模感をどんどん大きくしていた時期で、次の大会の準備をしながら今の大会を回すという毎日で、本当に目の回るようなスケジュールでした。
夢物語を現実に──誰もやらないようなことを実現する人でありたい
フィル・テイラーの来日と大会出場は、ダーツ業界にとってセンセーショナルな出来事で、発売開始2分でチケットが完売しました。
フィルはスチールのダーツの神様みたいな方。バスケットボールでいったらマイケルジョーダンのような存在で、破られていない世界記録を持っているスター選手なんです。
もちろん、彼のイベント出演料は、かなりの高額。ですが、こんなビッグネームの選手が来てくれたら大会の箔付けとしてはもちろん、ダーツプレイヤーやファンの間で大きな話題になることは間違いがなかったので、ぜひ呼びたいと思いました。
そこで私は、少しずつ彼のスポンサーを含めて交渉を開始。親交を深めながら、相手側のメリットを丁寧にじっくりと説明しました。そして結果的には、彼に無償で大会に出場してもらうという最高の形で交渉が成立したんです。その条件のひとつとして、フィルの家にダーツライブをプレゼントするという話もあったのですが、もちろんそれも自分で彼の家まで行って設置してきましたよ(笑)。
フィルがダーツライブの大会に出る。今までこうしたことが実現できなかったのは、はじめから無謀だと諦めて実は誰も本気でやろうとしていなかったからじゃないかと私は思いました。
「ダーツで賭けができたらおもしろいよね」とか「あの人が大会に出てくれたら良いよね」とか、みな夢物語として漠然と話すのですが、これまで実際に誰かが実現に向けて動いたことはありませんでした。でも実際にやってみたら、トントン拍子で話は進んでいくと実感しています。
だから私は、これからもチャンスがあったらどんどん拾っていきたい。でっかいおもしろそうなことを、常に自分で探してやっていきたいんです。それは「自分にしかできないということをしたい」と思っているからだと思います。
前の職場で「お前が英語をできるのは、みな知っている。お前から英語を取ったら何が残るか?」と言われたことがあって、そのとき自分には何もないなと気付かされたんです。
「それを見つけないとこの先やっていけないぞ」と言われて、いまだに見つけられていない気はするのですが、誰もやらないようなことをやっていく自分でありたいと思いながら働いています。
逆境に打ち勝つ、コロナ禍で求められるリーダー像
2018年から2年半ほどシンガポールにある子会社へ出向して、東南アジアのマーケティング責任者をしていました。
シンガポールはダーツライブが占めるダーツのマーケットシェアが世界一高い国で、95%近くある独占状態の市場です。その成功の要因は、シンガポールが小さいからだと思われがちなのですが、アニーというシンガポールの社長が素晴らしいリーダーシップを持っているからなんです。
彼女は営業や設置、人事や法務、マーケティングやバックオフィスなど全部できる人。だから誰が何をやっているかが手に取るようにわかり、うまくいっていない部分も、どこに課題があるのかをすぐ理解します。アニーと知り合って、彼女の強いリーダーシップに憧れ「私もこんな人になりたい、この人のもとで仕事したい」と強く感じました。
それができないならこの会社にいる意味はないとまで思い、当時の上司や社長にシンガポールに行かせてほしいと伝えたところ、出向が決まりました。
ダーツライブの魅力は、こういうキャリア形成上でもそうですが、できることが多いことです。平社員だった自分が、開発を巻き込んだ提携や、フィルのようなプレイヤーとの交渉の成功に携われました。他にも、自分のアイデアが採用されたこともたくさんありました。自由度の高さは、ダーツライブの魅力だと感じています。
グローバルに活躍していくには、いろいろなものに興味を持ったり、自分が楽しいと思うことをやってみたりすることが大事です。私の場合、ただただおもしろそうだと思ったところへ向かった結果、今があります。移り気なところがある私でも、この会社なら今後もいろいろとやっていけると感じているんです。
2021年2月に帰国したのですが、会社も変わってきたと感じています。この2年半は、会社にとって最も変化が大きかった時期で、これから大きなことをしていこうという気迫を感じますね。
コロナの時代になってうまくいっていたことがうまくいかなくなって、当たり前のようにできていた大会もできなくなっていますが、だからこそ逆境に立ち向かうように前を向いて進んでいるのかもしれません。
この混乱の中でこそ、強いリーダーシップが求められているように感じます。私も、これまでの経験で培ってきたものや、アニーのもとで学んだことを発揮しながら、私にしかできないこと、誰もまだやっていないことに本気で取り組み、楽しんでいきたいと思っています。