裁量を持って働ける。自分にとってここは魅力的な環境だった
2006年に東京・赤羽で創業。「ヒト・ファースト」という企業理念のもと、キュービックは「ヒト・オリエンテッドなデジタルマーケティング」を軸に事業を展開してきました。
最初はマンションの一室からはじまった会社ですが、事業の成長とともにメンバーも増加。創業から6年が経った、2012年には新卒採用も開始しました。その1期生として、キュービックに入社してきたのが忽滑谷です。
今ほど売上もなく、規模も小さかったベンチャー企業に入社しようと思った理由——それは大きな“裁量”を持って働ける、という点にありました。
忽滑谷「就職活動中から、いかに裁量を持って働けるかという点にこだわって、色々な会社を見ていました。ベンチャー企業もたくさん見てきたなかで、キュービックに入りたいと思ったのは、代表の世一の人柄に惹かれ、一緒に働きたいと思ったからです」
その後、採用面接を経て、無事に内定を獲得。2012年に入社した忽滑谷が、まず配属された部署は立ち上がったばかりのEC事業部でした。
当時はチームメンバーが少なかったこともあり、忽滑谷は早々にリーダーに就任。EC事業をグロースさせる、というミッションのもと仕事に勤しむ日々を送っていましたが、1年ほど経ったタイミングでEC事業の事業譲渡が決定。そう、彼が心血注いだEC事業部が手元から離れていってしまいます。
忽滑谷「会社の方針として、メディア事業に注力しようと。EC事業は在庫リスクも抱えることになるので、いまのキュービックには難しいという決定が下されました。正直、夢中になって事業のグロースに取り組んでいたこともあり、当時はかなり残念な気持ちでいっぱいでしたね。
でも、社内に今まで無かった事業をイチから立ち上げた経験からは、何事も恐れず挑戦していく・ぶつかっていくことの重要性を学ぶことができました。入社後すぐに8人の部下を抱えてチームをつくるという経験ができたことも、今の仕事に活きていると感じます」
成功体験は一瞬でいい。そこから異動の連続
EC事業部の立ち上げから一転、忽滑谷が次に担ったもの、それは薬剤師・医師・ITエンジニアなどの専門職向け転職情報サイト「HOP!」を軌道に乗せること。
「HOP!」のグロースを任された忽滑谷が、まずおこなったのは競合サイトのリサーチ。他のサイトはどのような思いで運営し、どのようなコンテンツを出しているのか。そういった情報をひたすら収集・分析し、「HOP!」の差別化を進めていきます。
忽滑谷「最初は効率性を重視するあまり、コンテンツの質よりも量という考えにとらわれてしまっていました。でも、それではユーザーの本当のニーズに応えられていない。そう思い、工数はかかってもいいから、内容にこだわったコンテンツ、情報を求めてきてくれたユーザーにとって価値のある情報をしっかりと出すことにしました」
結果的に、「HOP!」は順調にグロース。その実績が認められ、忽滑谷はアドストラテジーディビジョンに異動。求人チームのディレクターを務めることになります。
同部署でおこなったのは、転職サイトの広告運用、集客。しかし、そのタイミングで大きな組織体制の変更が発生します。
アドストラテジーディビジョンから、求人チームだけを切り離す形で新たにキャリアマーケットディビジョンが発足。忽滑谷はそのアドマーケティングチームのディレクターに就任し、新たなチームメンバーとともに総合転職サイトの立ち上げをおこなうことになったのです。
「伝説をつくるんじゃないんですか?」後輩からの一言ですべてが救われた
総合転職サイトを立ち上げるにあたって、忽滑谷が最も意識したのは“スピード”でした。
忽滑谷「サイトを立ち上げ、軌道に乗せるまでのスピード感が大切だと考えていたので、とにかく早く立ち上げる。それだけを意識していましたね。メンバーには『伝説をつくるよ』という話をしていました(笑)」
その思いのもと、必死に走り続けた忽滑谷ですが、チームビルディングで大きくつまづくことに。キュービック史上最速での立ち上げを目指すがゆえ、メンバーの目標も高く設定。
当然みんなその目標値を超えてきてくれるだろう、と思っていましたが、メンバーは早々に疲弊してしまうのです。「目標が高すぎる」「忽滑谷さんの下で働くのがしんどい」という言葉が、あちらこちらで聞かれるように…….。
忽滑谷「その様子を目にして、このままメンバーを疲弊させてまで達成するべきものなのかな、と……。自分自身、チームビルディングにすごく悩んでいました。
そんなときに、普段からフランクに接してくれて、ふざけ合うような仲のメンバーが真面目な顔をして、『たしかに今はしんどいですけど……一緒に伝説つくるんじゃないんですか?』と言ってきて。その言葉のおかげで迷いは全部吹っ切れましたね」
以降、忽滑谷は「上に立つ自分が自信を失い、弱気になってしまってはメンバーもついてこられない」という信念を持ち、迷わず全速力で歩みを進めていくことに。そう、ここでもう伝説をつくることへの決心が定まったのです。
“転職”というレッドオーシャン市場、競合サイトも多いなか、キュービックがとった戦略は「クライアントからの信頼を獲得する」というもの。まず、「コンバージョンが多い方が当然、クライアントの期待に応えることができる。だからまずは結果を積み上げる」という点を叶えるため、コストを惜しまず広告の出稿数を増やし、件数を獲得。
そうして件数を積み上げていくことで、業界内でもトップに近い位置へと着実にのぼっていきます。その後は、コンテンツの質をより高めていくことで、ユーザーの満足度の向上に努めました。結果、業界内でトップといっても過言ではないほどのサイトへと成長させたのです。
この実績が評価され、忽滑谷は2017年6月期の最優秀社員賞を獲得しました。
忽滑谷「キュービックに入社してから、社内で圧倒的な価値を生み出せる人材になりたいと強く思っていたので、最優秀社員賞を獲得できて本当に良かったですね。これで、何もできない新卒のころから面倒を見てくれた、代表の世一にも少しは恩返しができたかなと思います」
東京から福岡へ。自分に足りないものを得るために
入社から5年が経ち、最優秀社員賞を獲得した忽滑谷。そんな彼は今、福岡にいます。彼が東京を離れ、キュービックの福岡オフィスへと旅立った理由は、彼の「飽くなき成長欲求」にありました。
忽滑谷「将来、自分で事業を立ち上げたいという思いを持っていて。これまでサイトの立ち上げを通じて、Webマーケティングの知識、スキルは身につきましたが、組織運営に関する知識、スキルは全くない。
あのまま東京で任された仕事を追求するという道もありましたが、いっそのこと飛び出して将来の夢に近づいて行こうと。そこで組織運営のスキルを身につけるべく、立ち上がったばかりの福岡オフィスに行くという決断を下したのです」
福岡オフィスでは、自動車保険やマイカーローンの情報メディア『カービックタウン』などのメディア運営や広告運用代理の事業をおこなっています。忽滑谷はそこで10名ほどのチームメンバーを率いるリーダー職のディレクターです。そんな忽滑谷がいま、掲げている目標は「福岡オフィスのメンバーたちを東京オフィスのメンバーよりも仕事ができる精鋭集団にすること」です。
忽滑谷「事業はもちろんのこと、組織もどんどん大きくしていきたい。まだまだ出来ることはたくさんあると思うので、積極的に挑戦していきたいです」
プレイヤーとして圧倒的な成果を残した忽滑谷。しかし、これまでの栄光にすがることなく、これからマネージャーという立場にシフトし、そこでも圧倒的な成果を残そうとしています。誰よりも高みを目指す姿勢こそが、自身の成長へとつながっていく。そして、会社の成長にもつながっていくはずです。