アイスホッケーでの経験が、テレビ業界への足掛かりとなった

僕はもともと「仕事をするなら放送局で!」と考えていたわけではなかったんです。とはいえ、小さい頃からテレビはずっと好きで、幼少期はアニメや戦隊モノ、大きくなってからは「ドリフ大爆笑」や「オレたちひょうきん族」を観て育ちました。いわゆる普通のテレビウォッチャーですね。そんな僕が就職活動で放送局を選んだ理由には、大学時代の部活が影響しています。

アイスホッケーの防具に憧れて、大学から本格的にアイスホッケーを始めました。社会人になってからも30過ぎまで続けていたほどです。

とにかく大学時代は部活一色だったので、アイスホッケーに絡む思い出はたくさんあります。初めて試合に出られた時や初めてゴールを取った時、引退試合もよく覚えています。ひとつずつのプレイを今でも覚えていて、昔の仲間と会ったときにも「あの試合のあのプレイが〜」という話をするんです。それくらい打ち込んでいました。

アイスホッケーから学んだことは多くあります。とりわけ、「チームを運営する」という経験は今でも活かされています。4年生が引退して、いよいよ僕たちの代がチームを任されるとなったときに、強く意識したのは「ひとつになることの強さ」と「チーム愛」でした。

「キャプテンがこういう考えだから、こう動こう」というふうにチームを動かしていました。ひとつの大きな方針のもと、個々の役割をはっきりさせ、適材適所を意識して運営するだけで、チームは機能的になります。また、みんながチームのことを第一に考えれば、良い方向に転がるんですよね。

また通常、4年生の後期はもう引退となるのですが、残りたい部員は卒業ギリギリまで続けることができました。上級生はスキルもありますから、当然後輩たちに呼び止められます。

しかし、残った場合は自分たちのひとつ下の代につくわけです。体育会系で上下関係がはっきりしていたので、それを気にするメンバーもいましたが、チームを強くするために残ってくれた先輩たちを見てきました。僕も全く気になりませんでした。上下関係にこだわらない柔軟性の大切さを教えてもらえたと思いますね。

就職活動となった時、僕は外側からアイスホッケーに触れられる仕事ができたらと思いました。その当時は長野オリンピックも控えており、スポーツ中継ができるような仕事に就けば、仲間たちと長野にいけるのではないか?と考えたのです。

放送局は就職活動の選考の時期が早く、朝日放送にいち早く内定をいただきました。朝日放送グループの中にCS放送のスポーツチャンネル「スカイA」があり、当時はそこでアイスホッケーの日本リーグ全試合中継を放送していたんです。そのため「これで長野に行けるやん!」と勝手に思い、すぐに入社を決めましたね。

どんな部署でも一所懸命。重ねた努力が道を拓く

朝日放送に入社後はまずはラジオ局営業部に配属となり、ラジオのコマーシャル枠を販売する仕事をしていました。最初の1年半は、外勤営業マンが商談で決めてきた予算に対して、コマーシャルの本数や放送時間、コマーシャルの案を出す業務であるスポットデスクを担当。

その後外勤営業としてスポンサー回りをしました。希望した部署ではありませんでしたが、やらずしてイヤだとかおもしろくないとか言うのはカッコ悪い。まずはここでとにかく一人前になってレギュラーにならねばならないという気持ちが強かったですね。

そんなラジオ局営業部では社会人力を学びました。先輩方が厳しかったんですよ! ただ理不尽なものではなく、愛ある教育を施していただいたと思っています。その当時は媒体力の差もあり、ラジオのコマーシャルはテレビに比べてあまり売れるものではなかったんです。そんな中でめちゃめちゃ商談を決めてくる、憧れていたエース級の先輩がいました。

「この人みたくなりたい、いつかこの先輩からエースの座を奪ってやる」という気持ちが、当時の僕の原動力になっていたと思います。営業部の中で、そんな彼のワントップからツートップと呼ばれるようになりたいというのが大目標でしたね。その中で「まずは一枠決めろ」と言われて。それが徐々に2枠、3枠と増えて、「西尾やるやん」と言われるようになっていきました。

このように多くの実りがあったラジオ局営業部での日々でしたが、2004年には報道局社会情報センターへ異動になり、朝の情報番組のディレクターとして働くことに。

ラジオからテレビへの異動という意味でもそうですが、営業から制作の現場に行くとなると、それはもうまるで別の会社。ふだん使う用語ひとつとっても意味がわかりません。でも僕よりも年下の後輩たちが当たり前にやっている。とにかくわからないことをひとつずつつぶしていこうと努力を重ねます。そのひとつが“自主練”でした。

異動したての頃は、ロケのやり方もわからないし、編集機も触ったことがない。経験を積むために、放送後に消去棚に入れられた素材テープを引っ張り出してきて、試しに自分なりの編集をしてみるんです。他のディレクターがロケをした素材を見れば「VTRをつくるには何を撮っておくべきなのか」がわかります。

実際にオンエアされたものと自分が編集してみたものを見比べて答え合わせしていました。VTRは数学と違って正しい「解」がある訳ではないのですが視聴率は出るので、振り返りと分析はできます。2年目には仕事としてVTR制作を任されるようになり、1年目の努力が、2年目には成果として返ってきたなという体感でした。

営業マンと制作マンは感覚が違います。営業は、各所の利益に目をむけて「スポンサーニーズをいかに番組に落とし込めるか」を考えます。一方で制作は、より多くの視聴者に見てもらえるよう、視聴率と戦うわけです。そこには「スポンサー優先」という意識はあまりありません。

どちらにもそれぞれの立場での正義があるんですが、時にそれは相反するものになることもある。両方の現場を知ることでそのことを知り、バランス感覚を持っていろいろな物の見方ができるようになったと思います。

番組継続のための奔走が、自分の誇りになった

▲「世界の村で発見!こんなところに日本人」ルワンダでのロケにて

番組プロデューサーとして一番思い出深いのは、立ち上げからやらせていただいた「世界の村で発見!こんなところに日本人」という番組です。この番組のおかげで、たくさんの経験を積ませてもらえました。

全国ネットのゴールデン番組をやらせてもらうなんて、制作マン冥利につきます。プレッシャーもありましたが華のある出演者と、優秀なスタッフたちとの仕事は刺激に満ちあふれていました。旅行じゃ絶対に行かないようないろんな国にもロケで行かせてもらえましたし(笑)。

ただ、いいことばかりでもありませんでした。番組は生き物です。2、3年経つとマンネリ化してくる部分もでてきます。そうなると、さらなる視聴率獲得のためにテコ入れが必要になってくるんですね。視聴率が思うように獲れなくなってくると、それこそ「番組終了」がちらつきはじめる。

ドラマは放送回数が決まっているので、最初からゴールがありますが、バラエティは突然終わります。そうはさせまいといろいろと手を打つんですが、当時の僕の力不足もあってなかなかうまくいかなくて……

その時はとてもキツかったです。会社側とハードな折衝を行うこともあり、精神的にも体力的にも追い込まれ、眠れない時もありました。ただ、投げ出したり逃げたりするのだけは絶対にイヤで。

自分の責任感だけの問題ではありません。東京支社制作部での番組づくりは所帯も大きく、外部の方と仕事をすることが多いんです。そのため、経済的にも番組終了は多くの方の生活に影響を与えてしまいますから、無責任に放り出せません。

そうしてなんとか踏ん張って、仲間に支えてもらったこともあり、結果的に番組は曜日を変えて存続することになりました。継続が決まった時は、心底嬉しかったです!僕だけの力ではありませんが、次につなげることができたのは、僕の東京支社制作部で最も誇らしい経験と言えます。

迎える過渡期。新たな価値をつくり出すために

2020年には営業局セールスソリューション2部へ異動となり、十数年ぶりに営業部門のデスク職をしています。

今、テレビ業界は大きな転換期を迎えています。広告収入はこれまで通りとはいかず、新たなビジネスモデルを模索しなければ生き残れないという危機感があります。ABCもまた地上波放送以外の事業を収益の柱とすべく、さまざまなトライを始めているんです。

僕が今いる部署は、まさしくそのようなことを担当している部署。「新たな基幹事業を生み出すことに挑戦し、マネタイズを考える」ことをミッションとしています。セールスソリューション2部は全員で9名、まだ7月にできたばかりの部署です。営業局の中にあるということもあり、課されているミッションのひとつはもちろん増収。

予算を達成することもそうですが、前例のない業務を担う新設部署なので、アイデンティティを確立するためにも、みんなでプレッシャーを背負いながら頑張っています。

部内では僕が最年長です。最年長として盛り上げなければという思いもありますし、なによりまずはセールスソリューション2部が結果を残せるようにしなければと考えています。部員は営業分野で活躍してきた人が中心で、今のところ制作の現場を知っている人間は僕しかいません。

なので、制作時代の経験をもとに、僕にしかできない動き方や同僚へのアドバイスをするよう心がけています。そういうものを伝えていかないと、僕がこの部にきた意味がないですから。みんなそれぞれの得意不得意があって、総合力で強くなればそれでいいな、と。

これからの時代、僕たちの世界では”コンテンツプロデューサー”という役回りが求められていくと思います。コンテンツをつくり上げる力、交渉力、マネジメント力、お金の管理能力、全体の青写真をどう描くか?などさまざまな角度からものごとにアプローチできる人物像です。

コンテンツプロデューサーになるために必要なのは、才能ではなく環境だと思うんです。ずっと制作や営業をしていれば、その道のスペシャリストにはなれますが、ジェネラリストにはなりにくい。そういう点では、たくさんのチャンスと経験を積ませてくれる場所が、ABCにはあるのではないかと。

僕自身の25年間の会社生活を振り返ると、営業的な知見、制作的な知見、報道的な知見などさまざまな知見を得ることができました。自分の中でそれらはすべてつながっていて、それぞれの部署でピースを集めて綺麗なパズルにしていくおもしろさがあるような気がしています。

この先は、「テレビ」の枠だけではおさまらない、「トレンドをつくりだす」ことをやってみたいし、やらなければならないと考えています。