仕事と育児の両立を実現。企画班のチーフと母親のふたつの顔を持つ

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2020年現在、東京営業部で企画班のチーフをやっています。テレビは大きくタイム・スポットという売り物がありますが、その売りをアシストするために、さまざまな企画を考えるポジションです。

たとえば、クライアント様が希望する内容を盛り込んだ特番やCMをつくったり、テレビ以外だと、雑誌やWEBメディアなど他媒体とのコラボレーションをしたり、ですね。

営業が制作しているレギュラー番組もあります。東京で制作しているのは「ザキ山小屋」で、アンタッチャブルの山崎 弘也さんと、ドランクドラゴンの塚地 武雅さんにご出演いただいています。最近は電波とデジタルをミックスした大型企画も増えてきて、その立案にも関わっていますね。

内外部のいろいろなリソースを使って、売りにつながりそうなことはなんでもやる、そんな企画のチーフを気づけば10年くらいやっています。

それだけではなく、DX推進部も兼務しています。テレビの今後を左右するといっても過言ではないDX(デジタル・トランスフォーメーション)ですが、DX推進部がやっている施策をいち早く教えていただき、今後どんな風にビジネスに生かせるかを考えています。

また、IP事業プロジェクト室にも11月から参画しました。ABCが運営している「Onnela(オンネラ)」という暮らしのアイデアを紹介するSNSメディアのセールスを担当しています。テレビミニ枠とコラボした企画もあり、デジタルセールスについて学びつつ、営業部と兼務していることを生かして、ABCグループのセールスUPに貢献したいと日々活動しています。

このように部署を横断して働いていますが、子どもがふたり(小学生、保育園児)いて、基本的にはワーク・ライフ・バランスを取りながら働いています。家が会社と近く、最近はテレワークも導入されたため、フルタイムではありますが育児と両立しやすくなりました。

希望とは異なる部署へ。苦労の中で、多くの学びや力を身につけてきた

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高校野球がすごく好きで、プロ野球も好きで、中学生の時に「野球に関わる仕事につきたい!」と思ったのがテレビ局に興味を持ったきっかけでした。さらに、大学が法学部で政治学を専攻していたため、報道記者もやってみたいなと思いまして……。「自分の好きなこと・興味のあることを人に伝えられる仕事をしたい」という想いがありました。

意気込んで入社したものの、最初に配属されたのは思いもよらなかった技術局・放送準備部でした。放送はデータで制御しているのですが、その運行データをつくる部署です。番組の本編の長さやCMの長さなどをパソコンに入力したり、放送素材の最終チェックをしたり、まさに放送の裏側を支える縁の下の力持ちのような部署でした。

正直、最初は、「テレビ局に入ったのになあ」と相当物足りなさを感じていました。でも「間違いのない仕事をする」という当然のことがいかに大変なことか、「ミスは許されない」部署の気苦労がいかほどかを知ることができました。何より、テレビ送出の根幹を理解できたことは大きかったです。しかも年齢の近い人が多かったので純粋に楽しく、今でも当時の先輩・後輩は不思議な気持ちのつながりがあって、社会人生活の財産になっています。

そんな放送準備部での2年を経て、念願の現場に異動!したのですが……異動先はテレビ制作部でした。もちろん現場には行きたくて希望を出していましたが、思っていた報道やスポーツではなくテレビ制作ということで、実はかなり動揺しました。というのも、当時は「制作部はお笑い好きが集まっている」イメージが強かったんです。私自身そんなにおもしろい人間ではないですし、お笑いも嫌いではないですが、めちゃめちゃ好きというわけでもなくて、少し怖かったんです。

実際働いてみると、まったくイメージ通りでした(笑)。前の部署とのギャップが大きすぎて、本当に同じ会社なのか!?とカルチャーショックを受けましたね。

ただ、ADや取材ディレクターをやり、3年ぐらい経つとすっかり制作部になじんでしまいました。毎日がとにかく文化祭のようで、悔しくて泣いた日とか先輩に厳しく怒られたこととか、辛いことがたくさんあったのですが、今ではすべてが良い思い出に変わっています。

たぶん「愛のある指導」だったからでしょうね。つらいからこそ得られるものがきっとある、と前向きに考える性格が功を奏したとも思います。この時の経験は社会人としての私の血肉となっていて、少々のことではへこたれない精神力をつけてくれました。

もうひとつの大きなきっかけになったのが、先輩に1本のVTRを褒めていただいたことでした。それまでは、自分の頭の中で「なんとなく」いいんじゃないかと思ったことをVTRにしていたのですが、「こうすればおもしろくなるはず」と初めて確信をもって撮影・制作したVTRでした。北海道・然別湖に冬だけできる「湖上温泉」を探すという旅VTRです。雄大な景色の中、凍った湖の上にポツンとある温泉をいかに表現するか、が私の中で一番のポイントで、湖へ行きつくまでのストーリーも含めて自分なりに考えて構成・撮影しました。

それを編集してチーフディレクターに見せると、いつもダメ出ししかないのに「これはおもしろい」と言ってもらえました。さらには視聴率も取れたんです。自分に手応えがあったものを褒められ結果が出たことは、大きな自信につながりました。

東京異動、出産、育児、環境が変わる中でプロデューサーや営業の世界へ

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その後大阪の制作部で7年過ごし、2007年に東京の制作部へ異動になりました。私にとっては大きな転換点となりました。自分の力のなさを実感したのですが、ただ、その分学びも大きかったです。

「家庭の医学」という番組のプロデューサーをさせていただいて、ビートたけしさんと一緒に仕事をする機会をいただきました。この時、たけしさんにいかに楽しんでもらえるか、納得してもらえるかができあがりに大きく影響することを実感しました。タレントさんに本気になってもらってなんぼだと思うんです。納得してもらえていれば、自分の言葉として喋ってもらえますから。

東京制作という厳しい部署で、日本を代表するタレントさんとお仕事をさせていただいたことは、私にとっては大きすぎる経験でした。何より、若くしてプロデューサーを経験させてもらったことが貴重だったと思います。

プロデューサーは番組の大きな枠組みを決め、それを実際つくってくれる人や出演するタレントさんを集め、予算の管理もするなど、周囲をうまく巻き込んで番組をつくり上げていく役割です。ディレクターが家を実際につくる大工だとすると、プロデューサーは建てる家を設計する建築士。やってみて、自分は大工=ディレクターより、建築士=プロデューサーの方が好きだなと思いました。

プロデューサーとして、表から裏からみんなを引っ張っていくことの難しさはあるのですが、責任を持って物事を進めていくことのやりがいも同時にあって、30代前半でそういう役割を担うことができたのはラッキーでした。

もうひとつの転換ポイントとして、結婚・出産があります。2009年に子どもが産まれました。半年くらいで復帰して制作に戻りましたが、夜中の仕事が多かったり、予定時間が見えなかったりと子育てと両立するのは私には厳しかったです。

というのも、制作の仕事は毎日が文化祭みたいで大好きでしたし、離れたくなかったのですが、同じくらい子育てに興味もあって。「子育ても仕事もどっちもやりたい!」欲張りな私は、制作とは違う部署で新たなチャレンジをしても良いのではと考えるようになりました。

また、自分の中でやり切った気持ちがあったこともあり、異動希望を出しました。異動先は「営業部」でした。実は、営業もあまり行きたい部署ではなかったんです(笑)。

異動して一番しんどかったのは、保育園のお迎えがあるので17時半には会社を出なくてはならないことでした。とにかく毎日が時間との戦いで、新しいことを覚えるだけでも大変なのに時間にも追われて、必死でした。

ただ、その中で良かったこともありました。それは、当時の部長が私のキャリアを真剣に考えてくれて、営業経験がないのに企画チーフにして下さったことです。制作の経験も十分に生かせましたし、営業内の重要な情報が耳に入りやすくなり、営業経験の少なさをカバーすることができました。しかも、同じ企画チームの後輩が非常に良い子で、丁寧に仕事のことを教えてくれ、何より子育てをしていることを理解しフォローしてくれて、本当に助かりました。思えば、チーム以外の営業部のみなさんも優しい方ばかりでした。当時女性の部員は私ひとりでしたが、子供がいることで肩身の狭い思いをすることは無かったです。

気づけば、営業にもすっかりなじんで10年が経とうとしています。

営業の醍醐味は「予算を取ってダイナミックにトータルプロデュースできる」点です。代理店・クライアント・社内の間に立って進めることが多いんですが、ひとつの案件にいろんな人が関わるので、どこでどんな人がどういう想いで関わっていて、クライアントの真の狙いは何かを素早く丁寧にひも解いていく必要があります。

いろんな人間関係に接することになるので、まさに総合人間力が問われるんです。それがうまくはまってセールスにもつながり企画も好評だった時は、達成感をすごく感じます。営業も熱い人が多いのでたまに本気でケンカもするんですが、営業にくるまでこんな魅力的な仕事ができるとは知らなかったので、本当に百聞は一見にしかずですね。

逆風の中にあるテレビ業界でも、チャレンジ精神を忘れずに進んでいきたい

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チーフとしてチームを率いる中で、人材育成の難しさにも直面しているのですが、そこでは育児の経験が生きていると思います。

子どもが言うことを聞かないのは、小さいながらも意思があるからなんです。それに気づいた時から、他人を変えようなんておこがましいことは思わなくなりました。それよりも、意思を尊重し良いところを見つけ、認めることの方が成長につながると実感しています。

あと、上手に人に頼る術も身につけられたと思います。子どもの病気など家庭の事情で急にできなくなることも多いので、やっている仕事内容は開示・共有して、誰にでもわかるようにしています。何かあった時に助けてもらえるようにそうしていたのですが、自分のやっていることが他の人の目に触れやすくなり、新しいアイデアを取り込めるというのは発見でした。ひとりでできることは限られているので、そうやってどんどん周りを巻き込んで良いものをつくりあげていきたいですね。

このように、いろいろありながらABCでキャリアを積んできた私ですが、今は常に感謝して仕事をしています。子育てをしているとやっぱり大変なことや無理が聞かないことがあるんですけど、ピンチの度に誰かに助けていただいたなあと感じるんです。今の自分があるのは周りのみなさんのおかげだと心の底から思います。本当に本当にありがたいなと、いつも感謝しながら働いています。

テレビは独り勝ちの時代が続いていましたが、ネットの普及に伴いテレビ以外の競合メディアが増えたことで、今逆風の中にいると言われています。

そんなテレビの置かれている状況を考えて今後私の取り組みたいことは、兼務を生かしたデジタル領域の企画です。具体的には、Onnela事業の拡大に加えて、流通を絡めたデジタルマーケティング企画。テレビOA~購買促進~分析=テレビ効果の可視化までをパッケージにした多面的な企画をやってみたいと思っています。まだ取り組んでいる人が少ない領域だと思うので、すぐにセールスにはつながらないかもしれないですが、チャレンジ精神を忘れず頑張りたいですね。

新しいことに取り組んでいきたい!という意欲の原動力は、「なんかおもろいことをやりたい!」という気持ちだと思います。大好きなABCに入って結果的に自分の希望した部署にはいけていないのですが、想定外の部署に行ったからこそ新しい自分を発見することができました。(ちなみに、大阪の制作時代に「高校野球特番」に関わることができ、ちょっとだけ夢はかないました!)

制作で培った「おもろくてなんぼ!楽しんでなんぼ!」の精神、営業で気づいた「人間力磨き」「トータルプロデュースの楽しさ」、とにかく何でもやってみなくちゃわかりません。おもしろいこと、興味のあることを見つけて自分で開拓していく強さを、これまでの経験から得られたと思っています。

ABCは「良い人・想いが強い人が多く、楽しい会社」だと思います。私にとっては、とにかく居心地が良く、すばらしい仲間に恵まれました。また、ABCらしさと言えば「ローカル感」。コロナを超えたら、今後ローカルがより注目される要素になってくると思うので、ある意味チャンスです。そのらしさを生かして、テレビだけでなくさまざまな媒体でコンテンツを発信し、関西を、お笑いを盛り上げていける局でありたいなと思います。