新規プロジェクトを担当。業務内容の幅広さに惹かれて朝日放送の門を叩く
2020年現在は、経営戦略局 経営企画部で新規事業立案から実施・実行までを行っています。朝日放送グループホールディングスの収入の柱は、一本目がTVやラジオ。二本目の柱が、住宅展示場などの運営をしているライフスタイル事業ですが、第三本目の柱となる事業を立ち上げてほしいとのことで、2020年4月から社長直下プロジェクトとして発足しました。
4年間で大規模の事業を立ち上げるというミッションで、プロパー社員以外にも大手通信会社で新規事業のスペシャリストをやっていた人材をマネージャー職に迎え入れて、彼がわれわれの先生役となってけん引してくれています。加えて、われわれのチームは大手町のシェアオフィスinspiredlabに入居し、他入居企業との交流も図っています。
会社からは、朝日放送らしい社会課題解決型の事業にしてほしいと言われており、減災・防災やシニア、そして地域創生などを意識しています。もちろん、これを実現するにあたってはM&AやJVも視野に入れています。現在は4名体制なので、最初の型をつくるところから行っているところです。
新卒でこの会社に入社しましたが、実はもともと飛行機の操縦士を目指していました。しかし、ご縁がなかったんです。当時、金融の青田買いが著しくあり、私自身は、金融政策ゼミに所属していたので、大手の金融系からはいくつか内定をいただきました。
一方で、高校時代に4年間海外にいたこともあり、商社も受けていましたが、うまくはいきませんでした。そんな中、知人が放送局にいたことから、興味を持ったのが朝日放送でした。最終的には日々業務内容が変化していく可能性がある点に惹かれて放送局の門を叩きました。
入社したころから地上波の優位性は将来的に厳しくなると言われていましたが、可能性は大いに感じました。さらに、放送のみならず、コンテンツの海外への進出や、それにともなった商社機能などいろんな業務があることを認識していたので、コンテンツを軸としてつくっていけるのではないかと考えていましたね。
配属先でクラシックを知る。人と同じように見せて違うことをするのがコツ
総合職で入社し、はじめは営業を希望していましたが、まったく違う部署に配属となりました。最初はディレクター業務として、1999年〜2002年まで自社が運営するクラシック音楽の専用ホールの運営業務に携わりました。
その部署の主な業務は、自社のクラッシックホールの365日の運営に加えて、国内外のアーティストと共に音楽コンテンツを開発し、日本全国でコンサートを日々繰り返しマネタイズすること。先輩方は目まぐるしい勢いで働いており、私はその丁稚業務をやることで精一杯でした。
ディレクター、コンサートスタッフ、アーティストのケア、チラシの折り込みまで全部担当していました。TVCMの制作、チケットセンターの管理、すべてを手掛けるとなると、まるでひとつの小さな会社をチームで経営している感覚でした。
クラシックの「ク」の字も知らないのに、クラシックに関わる部署に配属となって、半ば泣きながらの配属でしたが、音楽自体好きだったのと、性格的に人と同じことはしない主義でしたから、日々の業務をやりながらも、クラシックの今後を考えることを仕事のモチベーションにしていました。
じゃあ、「クラシックの明日ってなんなの?」と。クラシックはお年寄りしか聞かないし、電気を使わずに演奏するものというイメージでしたが、そこのホールにJ-POPを持ってきて、音を使わずに演奏させたらプレミアム感が出るのではないかと思い、当時はまだ珍しかったアンプラグドライブの走りのようなものを始めたんです。
そうすると、そこのホールの売上も上がり、「新しいことやっているね」と注目を浴びるようになりました。さらに、既存事業を大きくすることを目的にしながら、新しいアプローチをやっていたので、社内外の方々にも声を掛けてもらうようになりました。
昔から、人と同じことをしているように見えて、隠れて違うことをしてPDCA回していました。運動、勉強にしても必ずそう。自分には特別な能力がないので、人に後れを取らないように意識することでそのようなアプローチが身に付きました。
「円卓」と「模倣」を意識して進化した仕事のスタイル
3年後にテレビ営業局に異動したのですが、主に広告代理店と日々伴走するスタイルの仕事でした。一緒に作戦を考える、同じ釜の飯を食う、時には大ゲンカもする。本当に魅力的なオモロイ世界で没頭しました。一方で、日々自分のスタイルの確立は意識しており、それを目指して、前職の音楽業界のスキルを営業局のマネタイズのために使おうと思ったんです。
このとき意識していたことはふたつあります。ひとつは「円卓型」のビジネスモデルをつくることです。
ひとりでできることは数少ないので、人と人をどんどんつないでいき、次に新しいフィールドの人をマージさせていくことにより、新たなステージが生まれます。それがうまくいったら今度は営業局、アーティスト、音楽業界、スポーツを入れよう……というようにその円卓の中ですべて解決できるようなビジネスモデルをつくるということをずっと意識していましたね。
もうひとつ意識していることは、すべては人の「模倣」から入るということです。人の模倣からオーソドックスをつかみ、少しオリジナルを入れてみることでPDCAを回します。その結果、はたから見たらオリジナルに見える形にしていくのです。
ほかにも、情報の取得の仕方、情報量の部分では一番を取れるよう、積極的に最先端の人と自ら関わるようにしています。ご飯を食べたり、仕事の円卓へのお誘いをしたり、円卓でうまくいけばみんな集まると思うし、そこに情報が集まってくるようになるんです。
みんなでつくる「第二創業期」。今だからこそできること
今は、メディアがこのような状況でいよいよ厳しいと言われていますが、私は「第二創業期」とポジティブに捉えています。
待てば金が来る時代は終わりました。
しかし、我々のコンテンツを好んで見てくれる人は全国にいます。
もちろん、「M-1」みたいなコンテンツをすぐつくれるかといったら、つくれません。あれには「笑い、泣き、笑い」という先輩方が秘伝のたれみたいに大事にしてきた完成されたフォーマットと壮大なストーリーがある。ああいうのはデジタルではなかなかつくれない、TV局の財産です。そこをベースにあらゆる手段で、マネタイズしていけば、第二創業として、会社を延命元気にさせていくことはできると思っています。
これまでは365日、24時間、コンテンツのすべてをマネタイズできていました。ですが、その次代も終わったので、視聴率以外のマネタイズも研究していくことによって、生きる術が生まれてくると思うのです。そしてその研究から発生した“財”を制作者に制作費として投下したいです。だから、第二創業期だと思っています。
第二創業期だからこそ、既存の考え方からみたら、やややんちゃな案件でも会社に相談できるようになってきたと感じます。老若男女、やりたいことをテーブルの上で会話できるようになって、土俵に乗せられるようになりました。以前よりも提案しやすくなったと思います。
そして何を始めるにしても、TV、ラジオ、TVerなどのデジタルがあり、優位性を持って試合に望めるため、可能性は無限大です。
第二創業期を迎えた新たな朝日放送グループホールディングスは、皆でつくっていくものだと思っています。我々の時代は、先輩のことを90%マネしたらそこまで失敗しなかったが、今は違います。先生や先輩がいない状況なので「一緒にやっていきましょう」と、若手がやりたいことについては「俺らもなんとか努力するよ」と言ってくれる土壌があるんです。
先日も自分の企画をかなり上の先輩に相談しました。翌日に長文のメールで問題点を論理的に指摘してくれたのですが、最後に「必ずやりきれ」と書いてあるのです。「ええ会社やな!」と感動しました。