小学4年生から4年間中国で学び、グローバル人材の素養への意識が芽生え日本へ帰国
2020年に蝶理へ入社して2年目の姚は、テキスタイル部第2課で営業職を担う。1年目は繊維第一業務管理室で計数管理や与信管理など、営業部のサポート的な業務を学んだ。
姚 「今年からようやく商社的な仕事に携わらせてもらえた、という感覚があります。もともと就職先として商社を志望していましたが、大学生の時はあまり明確にこういう仕事がしたい、と考えていたわけではありません。ただ、自分の家庭環境やバックグラウンドもあって語学が得意でしたし、プラス思考の性格もあって周囲から商社が向いているのでは?と勧められていたこともありました」
姚自身は日本で生まれ育ったが、母は中国出身、父も中国と日本のハーフという環境もあって、家の中では中国語をメインに使い育ってきた。さらに、小学4年生から4年間は中国の祖父母の家で暮らし、幼いころから多様な文化に触れる環境だったという。
姚 「中国には私ひとりで、祖父母を頼って行きました。祖父母はハルビンに住んでいたのですが、当時は学歴社会そのものと言っていい程、向こうでの勉強のプレッシャーは相当のものでした。中国の過酷な教育制度を知っている親からの反対を押し切って行った私は、厳しい世界に来てしまったと後悔はありつつも、行くと自ら言ったからには、やるしかありませんでした。
中国では小学校から英語教育に力を入れていて、私が転校した時には周りはもうみんな英語をしゃべっているような環境でした。私はまったくついていけない状況でしたが、英語の先生が一対一で休日にも学校に呼んで教えてくださり、中学に上がるまでずっと指導を受け、そのおかげで英語が大好きになったのです」
姚が日本に戻ったのは中学2年生時だが、そのタイミングも姚自身が決めたものである。中国で学べることを学び、大学と就職は日本で、と考えていたことから、高校受験前には日本に戻ろうと考えていた。
姚 「中国と日本の教育カリキュラムが異なっていたことから、中学で日本に帰ってくると”英語と数学がすごい人”と周りから言われるようになりました。その半面、国語と歴史はボロボロで、特に歴史はひどかったので1年生の教科書から学び直しました。そんな状況でも気持ちが折れるようなことはなく、中国での経験も活かし、よし、やるぞ、という思いで勉強しましたね。何か目標を持って地道に勉強したりすることはあまり苦には感じない性格なのです」
中国で英語が大好きになった姚は、大学生の時に米国への語学留学を果たすが、学校はロサンゼルスから車で40分くらいの郊外にあった。車社会である米国へ自動車免許も持たずに留学を決めた姚だが、現地で免許を取得して車通学したというパワフルなエピソードも持つ。
その道が良かろうが悪かろうが、自分が行くべき道だったと受け止めて頑張る
大学在学中の4年間、アパレルショップでのアルバイトを続けた姚は、就職活動時期を迎えて、やはり大好きなファッションに関係する仕事に就きたいと考えてた。
姚 「商社を含む計10社くらい受けましたが、4年間アルバイトで勤めた会社が外資系ファストファッションの会社だったので、そのままそこに就職する可能性も考えていました。特に外資系なので、年次関係なく実力への評価によってどんどん上に行ける環境でしたし、当時私も実績への評価と信頼をいただいていたので、迷いながらの就職活動でした」
ファッションに携わりたかった姚は、繊維以外の部門に配属される可能性もある総合商社ではなく、繊維の専門商社に絞って受けることに決めた。もともと迷いながらの就職活動でもあったため、蝶理も選考受付期間ギリギリのタイミングだったという。
姚 「説明会や選考段階で聞いた仕事内容はほぼ私の想像通りで、『この世界で私も働いてみたい』と思えました。選考はスムーズに進み、もともと私は面接などであまり緊張しないタイプですし、そういう面で会社が求める人物像とマッチしていたのかもしれません。蝶理は、ある程度フランクにコミュニケーションを取れる人が向いているのではないかと思います」
アルバイト先だった会社への就職も選択肢としてはあったが、結果的に蝶理への就職を決めた姚。これまであまり迷った経験はないが、「その道が良かろうが悪かろうが、そこが私が行くべき道だったと受け止める」というのが姚の基本スタンスだという。
姚 「私が大学生のころはファストファッションが大ブレイクしていて、周囲の友人たちの多くが大手日系ファストファッションなどのショップでアルバイトをしていました。私は周囲とはちょっと違うところで働きたかったので、外資系の店で働くことにしましたが、仕事は非常に厳しくて、アルバイトでも社員と同じくらいの責任と裁量を持って働く環境でした。
特にバックヤードの仕事はきつく、短時間で入荷した1000~2000点の商品を店頭に並べてオープンに間に合わせるというミッションだったので、精神力も体力も必要でしたが、複数メンバーと連携してやり遂げるのはすごく楽しかったんです」
それでも蝶理を選んだのは、グローバルな横展開に加えて川上から川下まで展開する繊維専門商社ならではの領域が、語学の得意な姚にとって魅力的な舞台であったからだ。ただ、世界中の誰も予期し得なかったコロナ禍という特殊な環境が、姚の心にモヤモヤ感をもたらした。
お客様とも関係先とも人間関係を構築しながら一緒に仕事をするから楽しい
姚が入社して2カ月間はいきなりの在宅勤務となり、初出社は6月になってからであった。
姚 「正直、社会人としてのスタートに出遅れた感がありました。もちろん、私だけではありませんが、ひとつ上の世代までの先輩たちとは違いますし働き方も変わりましたから、どうしてもギャップは感じます。その上、自分のキャリアについて考え直す時間ができてしまったので、その分考えすぎて疲れる部分もあります。とはいえ、もともとやりたいと思っていた仕事を実際にやらせてもらっているので、前向きに頑張ろうという気持ちももちろんあります」
もともと3カ国語が操れて、グローバルに戦える人材をめざしている姚にとっては、現状、海外の現場を訪ね、直接やり取りできないことがとても歯がゆく感じるという。
姚 「蝶理という会社の特性上、半工半商(半分はメーカーというポジションを持った商社)という面があるのですが、現状ではものづくりというのがわからないまま商売の形だけを作ろうとしているような違和感が自分のなかにあるのです。
海外の工場でどういう方々が働いているかも知らない自分の状況、オンラインやメールのやり取りのみで一緒にものづくりをしようとすることにギャップを感じます。お客さんと取引先と商談しながら人間関係を構築しながら一緒に仕事をするから楽しいのだと思うのですが、現状のコロナ禍でその機会が奪われているのがとても残念です」
姚がいま手掛ける仕事のメインは、中国の工場で進めている新しい素材開発のプロジェクトである。先輩たちはその工場の人たちとの交流がベースにあるが、姚にはない。その上でリモート会議などやり取りを進めても、自身の手応えとしてはつかみきれないというもどかしさが拭えないという。
姚 「語学に問題ありませんし言葉は通じますが、私が大事にしてきた人とのつながりがリアルで構築できない環境は辛いです。海外に普通に行けるようになるまでに何年かかるのか、勿論海外駐在への意識もありますから、今後のライフプランとの兼ね合いとかいろいろ考えてしまいます。それと、私たちは入社時の現場研修を受けられていないので、基礎的な繊維の知識や機械の仕組みをきちんと理解できていないことがマイナス要素と感じる面もあります。蝶理の社員なら皆が受けてきた研修ですし、これもコロナの影響のひとつだと思います」
自分の扱う繊維が有名ブランドの製品となって店に並ぶ姿がモチベーション
姚たちの世代にとっては厳しい環境ではある、それでももともと好きだったファッションに関わる仕事に商社の立場で携われることは魅力的なことである
姚 「なかなか思い通りに携わっていけないところはありますが、いまは中国の新素材の立ち上げをしっかりやりたいと思っています。カットソーの生地なのですが、それを製品化することと、それをどんどん拡販できるような仕組みづくりをやり切りたいです。
それと、いま私が所属しているテキスタイル部の仕事とは少し性質が異なりますが、中国で作った生地をバングラデシュに持ち込んで製品化して、日本に輸入して販売するというようなダイナミックなことを会社が取り組んでいるので、私もそういったグローバルな動きに深く関われたらな、と思ったりします」
それぞれをハンドリングしながら原糸から編立し、そして生地から縫製し、販売まで一気通貫で扱うという仕事は姚のような人材だからこそ担える仕事のひとつであり、姚自身もそのために必要な知識と経験を積みたいと考えている
姚 「アパレル会社へ提案する際にも、ご要望に応じてそれに合った素材から提案できるのは強みになると思います。糸の単位からどういう素材にするか、そうすればこういう生地ができる、といった知識や経験をもっと積まなくてはいけませんし、営業力やノウハウといったスキルも伸ばしていく必要があります。まさに会社が求めている半工半商ではありませんが、世界を舞台に、ものづくりも商売の形も作れる人材になりたいと思います」
いまの会社にいるからこそできる仕事、姚だからこそできる仕事に挑戦したいけれど、思うように進めていけないことにもどかしさが募る。けれども、ファッションが好きだという原点に戻れば、大きな夢も再び見えてくる。
姚 「いろいろしんどいなと感じることはあっても、やっぱりファッションが好きなので。IT系やマーケティングの仕事も興味はあるし好きだけれど少し違うのです。こういう繊維をいま自分が扱っていて、それが皆が知っている有名ブランドの生地になって、製品となって店頭に並ぶことを想像すると、あらためて頑張る力が湧いてくる気がします」
目標を立ててそこに向かって地道な努力を積み重ねることが得意な姚にとって、自分の努力で変えられない環境要素は歯がゆい壁である。けれども、ファッションが好きというピュアな情熱と語学スキルは姚の大きな武器であり、険路の山を越える力だ。世界にネットワークを展開する商社だからこそ叶うビジネススキームの構築に向けて、いまだからこそできることもあるはずと、姚は今日もアグレッシブに前を向く。