教員生活に終止符を打ち、新たな道を切り拓く
私がみんなのコードと出会ったのは2016年のこと。小学校でプログラミングが必修になるかもしれない、と言われ始めた頃でした。
今までプログラミングの授業をしたことがない現場は、当然困惑していました。そんな中、良いきっかけだと捉えた私は、まずは自分で勉強してみることにしました。
そこで、みんなのコードが主催するプログラミングセミナーが開催されることを知り、参加してみました。その後、最初は参加者だったのが子ども向けのワークショップをボランティアで手伝うなど、直接みんなのコードとのつながりを持つようになりました。
しばらくして、みんなのコード代表の利根川 裕太から「全ての子どもたちにプログラミングを広めるためには、現場を知っているあなたが必要です。みんなのコードで一緒にチャレンジしませんか?」と声をかけられたのです。
この時、教員とは別のキャリアを切りひらけないかと考えていたこともあり、教員生活30年に終止符を打ち、みんなのコード2人目の正社員として入社することを決意しました。
学校の外から学校に向き合える、大きなチャンス
私が学校教員とは別のキャリアを求めていたのは、ある苦い経験があったからです。
2011年の東日本大震災の直後、私は気仙沼の小学校に支援教員として赴任しました。長年の教員経験を持つ自分なら被災地で何かできることがあるはずだという、強い想いがあったからです。東京での職務を中断することになりますが、現地のことを想うと、いてもたってもいられませんでした。
しかし、私が得意とするICT分野で役に立てる場面よりも、できると思っていたことができない、という場面の方が多くありました。とくに、辛い経験をした子どもたちとの関係作りには悩みました。自分が思っていたようなサポートができなかったのです。
また、気仙沼での支援教員の任期を終え東京に帰ってきてからは、初任教員のサポート役を担当しましたが、これも力になれないと感じたことが多くありました。自分の長年の教員生活における経験が役に立つのではないかと考えていましたが、学級づくりや授業の進め方に悩む若い世代の先生の力になれなかった。
立て続けに起きた苦い経験は、教員30年の経験があるという、自分の思い上がりに原因があったのかもしれません。今までの自分のやり方や、これからの働き方、生き方、これから活躍できる場所を見直すきっかけになりました。
これらの出来事から、子どもを大人の思い通りにできるわけではない、一方向の指導ではなく「子ども自身の成長する力を信じて、大人がそれを引き出す」スタンスが大切だと気付くことができました。
また、教員生活30年という経験が武器にならなかったことから、自分のできることに幅を持たせ、力を最大化していくためにも、学校教員とは別の「新たなキャリア」にチャレンジすることが必要なのではないかと考え始めていました。
そんな時に、代表の利根川から誘いがあったのです。学校の外から学校に向き合えるチャンスであり、子どもたちだけでなく、熱意ある若い世代の教員を支えることにもつながる、新しい世界の扉を開くチャンスだと思いました。
働き方は変わっても、教育における本質は変わらない
こうして、2017年4月にみんなのコードへ入社し「プログラミング教育指導教員養成塾(以下、「養成塾」)」プロジェクトのメイン講師として活動しました。これは、小学校教員に「プログラミングの教え方を教える」研修です。
小学校の現場で、これまで誰も教えたことがないプログラミングこそ、教え込む指導ではなく「子ども自身の成長する力を信じて、大人がそれを引き出す」スタンスが大切だと考えた私は、この考えを伝えるために養成塾の講師として全国を駆け回りました。
3年間取り組んだ養成塾を通して、全国2,100名の小学校教員とのつながりを構築することができました。養成塾に参加した先生方は、現在各地の中心人物として地域のプログラミング教育を引っ張っていく存在になっています。
加えて、2021年8月には、小学校女性教員向けプログラミング人材養成塾「SteP」を開始しました。養成塾卒業生の女性教員がメンターとなり、企画・設計段階から参画するというものです。養成塾卒業生が、次は教える側として授業を行う姿に胸が熱くなりましたね。
こうして、子どもたちと向き合う仕事から、全国の先生方と向き合う仕事へと働き方は大きく変わりましたが、教育という視点からすれば本質的なところは変わりません。
私が大切にしている本質とは、子どもも大人も、学んだことを自分ごとにするためには、アウトプットが必要だという点です。環境や相手が変わることによって、大切なことが見えてきたのは大きな収穫であり、自分の成長にもつながりました。
また、教育という観点だけでなく、自分自身に対する気付きもあったのです。コロナ禍のリモートワーク移行後、私は全社会議で司会進行役を得ました。教員時代に毎日朝の会、帰りの会をやっていたため、自然と司会力が身についていたのでしょう。
みんなのコードでは自分の力を最大に活かせている実感があり、多くの場面で適正かつ効率的な働き方を実現することができていると感じています。このような姿を見せたことが、のちに、元小学校校長や中学校教員、高校教員と、計4名の元教員が入社するきっかけになったかもしれません。
みんなのコードは元教員だけでなく、公教育を変えようという志を持つ、チャレンジ精神あふれる若手メンバーに、エンジニアや事業開発・ファンドレイジングなど、さまざまな職種のメンバーが集まる組織です。年齢や役職にかかわらず、発案者のアイデアが採用され、次々と新しいプロジェクトが立ち上がるクリエイティブな環境です。
さまざまな意見を取り入れ、お互いが理解しあい、協働することで事業をつくっていく。これも、学校の中だけでは経験できないことです。
プログラミングだけでなく、公教育のアップデートを目指す
みんなのコードへ入社したことで世界が広がり、学校の中だけでは決して見られない風景を見ることができました。技術の変化は早く、プログラミング教育を取り巻く状況も次々と変化します。それは社会においても同じ。社会が変化していく中で、私たちも、先生方もともに学び、変化していかなければ、子どもも変わりません。
学校現場はものすごく忙しく、余裕がないのは事実です。学校の置かれた環境や先生方の認識は、そう簡単に変わるものではないと実感させられることも多くあります。
それでも学校は子どもたちのためにあり、先生方は誰もが子どもの未来を考えていることは間違いありません。自分が現場にいた頃の感覚を大切にしながら、学校の外から広い世界を見た者として、学んだことを伝えつつ、新しい教育のあり方を、先生方とともにこれからも考えていきたいと思っています。
また、みんなのコードはプログラミング教育をきっかけに公教育での事業活動を始めましたが、関わる範囲は拡大しています。コンピュータ・テクノロジーが教員にとっても武器になるよう、プログラミングだけに留まらず、公教育をアップデートしていきたいです。