公務員を断念し、25歳で遅咲きの社会人デビュー

▲公務員浪人後、キャリアパスを考えて“クリエイティブ”と“営業職”からのステップアップを決意

27歳のときの話ですよね……どんな年だったかな……。ほんと、年号とか誕生日を覚えられないんです。数字が特別苦手だっていうわけでもないんですけどね。

学生時代、一番得意だった科目は国語。昔から特別勉強はしなくても成績は常に良くて、自慢じゃないですが、偏差値は確か70を超えていたんですよね。だからか、言葉を選んで使ったり、感情の動きを気にして人と話したりするのが自分のベースにあるかなと思います。

高校の国語教師になりたいと思っていたので、教諭免許を取っていたんですが、最終的には現場よりも教員の就業支援をしたくて、教育委員会を目指し、公務員試験を受けることにしたんです。

大学卒業後も予備校に通って毎年挑んでいたものの、目標はかないませんでした。落胆はしたけど「まあ、向いていなかったんだな」というくらいで、いっそのこと振り切って楽しそうな業界がいいなと思って、民間での仕事を探しました。それで、自分の仕事が世の中に出るようなことをしたいという想いから、広告系デザイン会社に就職したんですよね。

当時、営業から企画や制作ディレクター的な業務、イベントやイルミネーション装飾などの企画・運営まで、かなり幅広くやっていました。そのときの企画力や業務の管理能力は、現職でも活かされていると思っています。

営業成績的にも認められる数字を出せていたことが、自分としては自信になりました。遅咲きの社会人ながら、手ごたえみたいなものをつかみ始めて、この分野でさらに上流を目指したいなとも思うようになっていました。

6人家族の円滑な運営のため心がけるのは “家庭内ガバナンス”

▲仕事もプライベートも常に全力。でもほっと一息つけるのは、やっぱり家族との時間なんですよね

私が27歳のとき──

このときは、ちょうど結婚して子どもができた時期でもあり、当時働いていたデザイン会社から、もっとお客様と近いところで企画や提案まで関われるエージェントへの転職を考えていた時期でもありました。

それで、動き出したら、割とすぐに広告代理店から内定が出たんです。

退職して次の職場へ入社するまでに少し間があったので、その期間で朝から晩、さらには明け方にかけても、子育てをしました。経験して良かったと思っています。子育てにどんな具合にコミットしていいかがわかって、今の生活の基礎をつくれた感じがしていますね。

広告代理店にいたときには、担当したホテルチェーンのイルミネーションを見るために家族全員でおめかしして出かけて、そのホテルでディナーを食べたことがありました。本当にいい思い出ですし、そうやって家族に自分の仕事の成果を見せられるのは、何事にも代えがたいです。 

今では、4人の子どもに恵まれました。みんな本当にかわいくて、こんなに幸せなことはないと思っています。

そんな子ども達の面倒を見てくれている妻には、感謝しかありません。長女を小学校に送り出して、次女を幼稚園まで送り、家に残った下の子二人の世話や家事をしているとすぐに幼稚園の次女をお迎えに行く時間になって、習い事へ送り出す……。毎日が激務で大変だと思います。それでも優しく笑顔で子どもと接してくれています。家族みんなが明るく暮らせているのも、妻のおかげなんですよね。

だから、土日は自分が、子どもの遊び相手から一週間分の買い出し、食事の用意などはできる限りやるようにしています。その甲斐あってか、とくに食事に関しては、「何を食べたい?」と聞くと「父ちゃんのご飯なら何でもいいよ!」と、絶大な信頼を得ていますよ。

家のことや予定を決めるときは、妻が子どもたちのやりたいことを取りまとめて、自分が決裁をする、みたいな方法を取っています。家庭内のガバナンスというと大げさかもしれませんが、妻が主導のもと、スムーズにコミュニケーションを取りながら生活できていると思います。うまいこといっているんじゃないですか。

プライベートではフットサルチームの運営もしていて、最大で年60回、1日に3試合する、なんてことも。

メンバーの確保、練習や試合の場所の調整、対戦相手探し、SNSでの発信など、やることは多いですね。自分が“代表兼監督兼選手”ですから、ハードと言えばハードです。でも、これをやるようになってから不思議と、仕事の成績が上がっているんです。マネジメント的な能力が高まったんでしょうね。

その意味では、すべてがつながっているんだなと思っています。

仕事、家庭、趣味……すべて自分の人生なのだから、公私混同でいい

▲27歳のころから、フットサルチームの運営をしています。代表兼、監督兼、エースです(笑)

自分のこれまでを振り返ると……国語教師を目指していたものの、教育委員会志望に変わり、デザイン会社に就職してからエージェントへ。そして、大資本のヒューマングループの事業会社へとステップアップしてきました。そしてプライベートでは、小中高とサッカーをしてきた自分が、今はチーム運営をしています。

思えば、現場レベルで感じた違和感を、俯瞰して物事を見るようにすることで解決しようとしてきましたね。昔から、できる限り俯瞰した立場から働きかけて現場が良くなればいい、というのが自分の軸にあるのかもしれません。そして、その連続が、今の自分を形成しているんじゃないかと思います。

仕事面では、2020年現在、ヒューマングループのIT事業を担うヒューマンデジタルコンサルタンツで、システムの開発案件などの営業活動に携わっています。

自社での営業活動だけではなく、教育や人材など、ヒューマングループの他の事業会社と連携して営業活動をすることもあります。大阪のオフィスでは、他の事業会社も同じフロアに居るので、普段から雑談したり、一緒に食事したりしています。フットサルにも顔を出してくれたメンバーもいますしね。

そうやって、枠組みにとらわれずに一緒になって動く方が、さまざまな領域に携われるきっかけにもなるんです。それが業務に活かされるだけでなく、自分もイキイキできていることにつながるという点では、公私混同でもいいのかなと感じています。

仕事が7割、私生活が3割……なんて、計算してできるものじゃないと思うんです。

仕事も趣味も家庭も、自分の人生じゃないですか。分けて考える必要はなくて、全部フラットなスタンスで向き合って、それぞれにいい影響を与えていけたらいいんじゃないかと思いますね。

仕事へのスタンスから得た信頼。俯瞰の目で自分とその周りを見つめていく

▲前職の先輩とも、公私での付き合いが続いているのはありがたいこと。会うとつい呑みすぎるのがネックかな……

自分はIT関連の制作・開発の営業ですが、必要ならその場で広告の提案を加えたり、キャッチコピーなんかも書いたりしていますし、絵コンテやコマ割りもやります。専門用語をかみ砕いてわかりやすい言葉で伝えたり、図を書いて説明したりすることも得意なんですよね。このあたりは、教員を目指したときに身に着けたスキルが役立っているかもしれません。

お客様からの信頼をいただけていると感じるときもあります。 しかし、だからといって“どんなことにもYES”ではありません。

時には「それはできない」「やるべきじゃないと思う」と伝えることもあります。こうすることで、クライアントの社内スタッフ、責任者のようになりきれるくらい信頼を得たい。それが自分のスタイルなんです。

ついこの間、お客様との打ち合わせで「杭原さんに、うちの経営会議に出てもらった方がよかったな」と言っていただけました。この言葉は信頼の証ですし、営業をしていて一番嬉しい言葉かもしれません。今後もこういった、経営や営業戦略の部分から提案できるようにしていきたいと思っています。

でも、社内での評価はずっと高くなかったと思います(笑)。新規顧客から数字をガンガン上げていく、みたいな営業スタイルではなかったのも、その要因かもしれません。

私は、お客様と密に関わることで信頼を得て、そこから受注幅を広げていくことが多いんです。そうした中、ここ1年くらいでやっと自分の動き方を表現できるようになってきたのか、意見や提案に耳を傾けてもらえるようになってきたことを感じています。

自分のいる部署はまだまだスタートアップで、ないものもたくさんあります。でも、ないからといって立ち止まるのではなく、ないものはつくるんです。その中で周りの方々の助けも借りながら、常に前に進めていきたいですね。 

最近考えているのは、営業職の地位向上のために何かできないかということ。営業職は、どうしても業績に直結する厳しい立場をイメージされてしまいます。でも、一人ひとりに光を当てることで、営業職のイメージを払拭し、その本当の価値を知っていただけるんじゃないか、そして、もっと個や会社が良くなっていくんじゃないかと思うんです。

……やっぱり自分は、目の前のことだけに捉われるんじゃなく、常に俯瞰の目で見ることで、自分も含めた周りすべてが良くなれば、って思ってるんですよね。

  

 

 すべての人が自分らしさをみつけ、いきいきできる社会をつくりたい。
 ヒューマングループは一人ひとりの「SELFing」を応援します。