被災の現状を目の当たりに。技術者として復興に貢献したい一心で東北支社へ

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▲ 調布飛行場で行われた社内研修の様子

入社して李が最初に配属されたのは本社の設計部構造橋梁課。橋梁を中心に構造物の設計のほか、補修設計や長寿命化修繕計画といった仕事に携わりました。

転機となったのは2011年の東日本大震災。直後に一時的な支援で東北支社に派遣され、その後、正式に異動することになります。

李 「同年の4月、まだ新幹線や道路が復旧していない中、人手不足を補うための支援で入り、災害後の初期対応や査定対応、国に対する予算要求などを担当しました。半年ほどで本社に戻りましたが、依然として現地には技術者が足りていなかったため、2012年の9月に東北支社へ転勤し、2022年11月現在に至っています」

当時、東北支社には全国から構造系・海岸系の技術者が駆けつけ、東北設計課だけで震災前の4倍、支社全体でいえばさらにその倍の人数が集まっていました。やがて任務を果たした社員たちが元の職場に戻っていく中、自身は東北に留まることを決めた理由について、李はこう語ります。

李 「1年や2年ではとても復興できるような状態ではありませんでした。これまで目にしたことがない惨事を前に、技術者として少しでも復興のお手伝いがしたいという気持ちで、当時の上司に相談。東北に行きたい意志を伝えたところ、転勤を許されました。

私は外国人なので、それまで、日本国内にとくに思い入れの強い土地があったわけではありません。そのこともむしろ東北へ向かうための背中が押される大きな要素でした」

2012年9月に東北インフラ技術部の東北設計課に配属され、東北の震災復興業務に尽力した李。2021年には地域創生二課に異動し、橋梁関係の仕事を手がけるかたわら、福島県での放射能の事後モニタリング業務や環境再生事業計画のマネジメントにも関わっています。

李 「事後モ二タリング業務として、毎年、各市町村で定点的な放射能観測を実施して線量を計測しています。環境再生事業計画では、除染後の土をどう処分するかを検討。たとえば、一定の線量以下に調整した土を活用する方法など、再生・処理計画の立案を行っています」

東北支社に異動したことで大きな収穫を得たという李。

李 「全国から集まった人が一丸となって復興に取り組みました。港湾や河川をはじめとして多岐に渡る分野の専門的技術が求められる場面が多く、密に連携しながら業務を進めていきました。本来であれば出会うことがなかった社内のさまざまな人たちと出会い親交を深められたことで、幅広い知識を吸収し自分の成長にもつながる経験だったと感じます」

日本で長大橋に魅せられ、橋梁構造の道へ

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▲ 学生時代の李

中国の大学で建築を学んだ後に来日した李。はじめて長大橋を目にして衝撃を受け、橋梁構造に興味を持つようになったと言います。

李 「当時中国には長大橋や大きな吊り橋が少なく、きれいな橋を見たことがありませんでした。福岡の大学に通っていたのですが、たまたま関門海峡を訪れたとき、関門海峡大橋を見たんです。初めて大きな吊り橋を見て、すごく感動しました。

当時、まだ専門が決まっていなかったので、その話を先生にしたところ『橋を専門にやっている研究室もある』と教えていただいて。その後、九州、四国や広島など、いろいろな橋を見学するうちに、自分も大きな橋をつくってみたいという気持ちがだんだんと強くなっていきました」

その後、土木工学部で橋梁構造を学び、さらに大学院に進んで修士課程で橋梁耐震の研究に従事した李。橋の設計をしたいとの想いを貫き、アジア航測に入社しました。

修繕計画、修繕技術に携わってきたことが自分の強み。最新技術の活用も視野に

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▲ 曙橋鳥瞰写真(手前が曙橋)

橋の詳細設計を担当し、工事が終わって実際に開通したときは言葉にならないほど感動すると話す李。とくに印象に残っている案件があります。

李 「気仙沼市の大川に架かる曙橋という130メートルほどの長さの橋を担当しました。旧曙橋は東日本大震災によって破損。臨海部と内陸部を結ぶ重要な役目を持った橋でしたが、欄干が折れ曲がるなど大きな被害を受けていました。

社内のメンバーは自分と部下のふたり体制で、詳細設計に約2年を費やし、その後4年くらいかけて施工を実施。外注先となる業者さんたちからさまざまな確認・質問が寄せられる中、これまで取引がなかった建設会社さんとも協議を行いながら業務を進めていきました。

開通したのは2021年7月。できあがった直後に自分の家族を連れて現場に足を運び、完成を報告して喜びを分かち合いました」

棟梁設計を志した当初は、日本で培った知識や技術を母国に持ち帰りたいと考えていたという李。現場での経験を重ねるにつれて、考えが変わったと言います。

李「以前、中国には長大橋を建設する技術がそれほど普及していませんでした。いずれは母国で大きな橋をつくる気でいたのですが、日本で長大橋を新設する時代はすでに終わっていたんです。また、中国国内の技術が発展してきていることもあり、いまは中国に橋をつくることより、日本国内の橋の維持管理をしていくことに関心があります。

橋梁に限らず、約50〜60年前の高度経済成長期につくられた日本のインフラ建築にとって、今まさに老朽化を迎える時期。地震のような外力がなくても修繕が必要になってきています。そんな中、私自身も老朽化した橋梁の保守設計の仕事に携わるケースが多く、長寿命化修繕計画にも関わってどう延命化するかを考えてきました。

中国でも、あと数十年もすれば徐々に老朽化が課題となるはず。修繕計画、修繕技術に携わってきたことを武器として、自分が貢献できることがあればと思っています」

それを実現する上で欠かせないのが、最新技術。今後、積極的に業務の中に取り入れていきたいと李は息を弾ませます。

李 「Society 5.0の時代を迎え、世界中でDXが求められています。センシング技術をはじめ、3D、AI、AR、VR、MRといった技術研究が進んでいるのがアジア航測の強み。社内の横のつながりをよりいっそう強化しながら、新技術の活用へとつなげていきたいと思っています。

数年前に東北支社内で、CIM・建設ICTを推進するワーキンググループを立ち上げ、リーダーを務めていたこともありました。東北のコア技術の融合を目指し、iPhoneやiPadを使って3Dモデルを作成するなど、CIM・建設ICTを事業化につなげていく取り組みなども行っているところです」

技術者として会社に貢献できる存在に。若手の育成にも尽力したい

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▲ 新人研修の様子(写真左:李)

入社以来、一貫して橋梁分野の業務に携わってきた李。14年目を迎えた今、直近の目標について次のように話します。

李 「これまで、実務を通じて学んだり、また周りの人に教えてもらったりしながら、さまざまな知識や技術を蓄えてきました。それを今後は若手の社員たちに伝えていきたいと思っています。

また、技術者としての責任を果たし、会社に貢献できる存在になっていきたいですね。そのためにも、新技術を取り入れた事業形成を積極的に提案していきたいと思っています」

単身で日本に渡り、アジア航測で大きく成長を遂げた李。不安を抱える留学生たちに伝えたいことがあると言います。

李 「この会社にはたくさんの留学生の先輩がいます。私が入社したころ、周囲の人がとても親切に指導してくれました。私が外国人だからかもしれませんが、優しく接してくれるお客様も多く、社外とのやりとりもとてもやりやすいと感じています。

また、外国籍社員向けの交流会「Global Team of AAS」(通称:GTA)も実施されています。コロナ禍の現在はオンラインでの開催ですが、社長も参加されていましたので、社内で親睦を深めるとても良い機会になっていると感じます。仕事はもちろん、日本での生活に関する不安をその場で解決することもできるはず。安心して入社してもらえたらと思います」

アジア航測で活躍する外国人たちがここで知識や技術を蓄え、いずれそれを母国に持ち帰って技術発展に役立てたり、日本と自国との技術交流を実現したりすることを夢見ているという李。技術と価値をつなぐ橋が架けられる日を目指して、その挑戦はこれからも続きます。