「リアルな世界をバーチャルで再現する」最先端の3D空間データを活用したDX
臼杵が事業部長を務める社会インフラマネジメント事業部は、3D空間データを活用した新たなインフラメンテナンス手法を提案・実践する部署です。
臼杵 「時代の潮流であるDX(デジタル変革)領域で、3D空間データをあらゆる事業分野に応用することに取り組んでいます。最近では、デジタルツイン(バーチャル上に展開される3Dによる現実と同様な仮想空間)をつくり、構造物の維持管理などの技術革新を提案しています。
たとえば、鉄道。鉄道の工事をする際は、建設機械を現場に入れる必要がありますが、このとき線路の脇にある建物や電線に建設機械が引っかかったら大変ですよね。そこで、建設機械が何かにあたらないように搬入するために、3Dデータを使って、バーチャル上でシミュレーションをすることができます。
一昔前までは、人が現地に立ち入って実際に測量してから判断しなければならなかったのですが、今はもう、バーチャルでこういうことができる時代になったわけです」
臼杵は、この鉄道DXの立ち上げ時点から関わってきました。
臼杵 「10年ほど前から、西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の技術者の方々と取り組んできました。鉄道沿線の3Dデータを取得し、メンテナンスなどに活用できる3Dの基盤データが整いつつあります」
常に技術をアップデートしつつ、高精度な3D空間データの取得技術を活用し、インフラメンテナンスへの応用を目指してきた社会インフラマネジメント事業部。その技術は、鉄道事業だけでなく、道路事業や電力事業、さらには防災事業にも役立てられています。
臼杵 「最近では、ウクライナ侵攻を契機に、国防にとって3D空間データがいかに必要不可欠なものであるかが再認識されています。もちろん戦争を肯定はしませんが、台風や地震、火山噴火などの防災対策と同様に、国を守るという観点から、高精度な3D空間データをいかに整備し、活用するかが、これからますます重要になると感じています」
そんな臼杵がキャリア上、最も長く関わってきたのは、防災の分野。1992年に入社して以来携わってきた領域であるため、防災分野のベテラン技師として社内でも認識されています。
臼杵 「防災の中でも、とくに土砂災害や火山災害の対策『砂防』に携わってきました。大学で砂防について勉強していたのもあって、アジア航測へ入社してからすぐに砂防を担当。10年目を超えたころには、富士山の大沢崩や長崎県の雲仙普賢岳の調査や計画などにも関わりました」
臼杵が砂防に興味を持ったのには、ある明確なきっかけがありました。
きっかけは、目の当たりにした河川の決壊。「防災の一助になりたいと思った」
臼杵 「ちょうど中学生のころです。近所に流れていた小貝川という川がある日、決壊し、ものすごい量の水が周辺の田んぼや住宅に流れたんです。当時は堤防が決壊しても規制線など張られない時代だったので、友達と決壊した場所の目の前まで行って、様子を見ていました。
衝撃的な現場でしたね。決壊って、こんなに大きな災害になってしまうんだと、防災の大切さをはじめて知りました。それを機に、将来は防災関係の仕事をしたいと思うようになりました」
大学で砂防について学びを深め、アジア航測への就職を決めた臼杵。そのころ、また新たに印象的な災害がありました。
臼杵 「ちょうど会社に入社する前のタイミングで、長崎県の雲仙普賢岳が噴火しました。火砕流も発生してとても大きな被害が出ていると、ニュースで見たのを覚えています」
とにかく早く自分も、防災の一助として役に立ちたい。強い想いを胸に、上司や先輩のもとで仕事にあたります。
臼杵 「入社してから数年間、今の会長である小川が、いろいろなことを教えてくれました。中でも強く印象に残っているのは、『お前は仕事に哲学を持っているか』と聞かれたこと。最初に言われたときは、なにを言わんとしているのかよくわかりませんでした。でも、その言葉を覚えていて。ある日、『あれ?』と思うことがあったんです」
それは、砂防ダムの設計の仕事をしていたときのこと。臼杵は、砂防ダムが、どれを見ても同じ形(デザイン)をしていることに気づき疑問に思います。そこでそのデザインについて研究してみると、明治初期の頃に、欧州などから技術を取り入れ、いろいろな経験と検証がなされ、少しずつ日本の風土にあったものに変化し、今のデザインにたどり着いたことを知りました。
臼杵 「単に仕事をこなすだけなら、その変遷を知らなくたって、仕様書通りに設計すればいいんです。でもこんなふうに、なんでこのデザインになったのだろうと考え、調べると、仕事の内容のつかみ方がぐっと深くなる。これはまさに、あのとき小川が言っていた“仕事に哲学を持つ”ということだなと、ハッとしました」
仕事に哲学を持つ。臼杵は以来、その思考を大切にして働いています。
臼杵 「この仕事にはどういった意味があるんだろう、なんでこのやり方をしているんだろう。そんな思考で向き合えば、どんな仕事でも入りやすいかなと思います。砂防の仕事をしているときも、現在のインフラメンテナンスに係る仕事に移ってきてからも、ずっと大切にしている考え方です」
「これぞリーダー!」先導者としてのふるまいを教わった、ある男性との出会い
これまででとくに印象深かった仕事は、雲仙普賢岳の調査と臼杵は振り返ります。
臼杵 「立ち入り禁止区域である山頂部、さらに奥の危険な溶岩第11ローブで調査を行い、溶岩ドーム崩壊の変状を捉えるための観測機器を設置する仕事でした。責任者としてこの現場に赴きました。
観測機器の機材は重さ500㎏を超えます。巨大な転石が積み重なった危険な場所に、重たい機材を背負って登ることはできません。ヘリコプターで足場の悪い山頂部に機材を下ろします。山頂は雲がかかりやすいため、タイミングを間違えればヘリが墜落する危険もありました。
気温零度の山頂部でヘリが到着するのを待ち続け、無事に機材が投下されたら、その部品を背負って溶岩ドーム第11ローブへ運んで機材を組み立てる。山頂は雲に覆われ、何度もヘリの到着を妨げました。一時は諦めかけたときもありました。大変な仕事だった分、忘れられません」
このような過酷な状況でチームを率いる場面では、臼杵は必ずあることを意識しています。それは「何かあったら自分が責任をとる」と明言すること。
臼杵 「とくに議論の場では、なおさら徹底しています。『こんなことを言ったら責任をとるのは僕かな』なんて思ったら、人って意見を口に出せないから。でも最終的には私が責任をとるから、と言い切れば、いろんな人からいい意見が出てくるんですよ」
臼杵の考える「自分が責任をとる」というリーダー像。その背景には、ロールモデルとなった人物がいました。かつて砂防ダムのデザインの勉強のために通っていた砂防図書館の、当時の館長・矢野さんです。
臼杵 「矢野さんは、最初は結構つっけんどんな感じだったのですが、砂防ダムのデザインについて相談するうち話しかけてもらうようになりました。昔の砂防の教科書などを紹介してもらったり、自分が京都大学時代に使っていた本などを見せてもらったり、とてもお世話になったんです。
私は当時まだ経験も浅くてまったく知らなかったのですが、あとから、実は矢野さんが、国土交通省の前身である建設省の砂防部の初代部長だったことを知って、驚いたことが懐かしいですね。 矢野さんは終戦時に、天皇陛下が戦災の被災地をまわられ国民を励ますという行幸に向け、橋や道路を点検する仕事をされていたそうです。
ただ、天皇が乗られる車は頑丈で非常に重たく、当時物資が不足する中で、懸命に復旧してもどうしても倒壊するおそれが拭いきれない橋がありました。万が一にも橋が落ちるようなことがあったら大変です。矢野さんは、実際に天皇が橋を渡られるとき、それをそばで見守りました。なんと日本刀を、片手に。
そうです。もし橋が落ちたら、自分がすべての責任をもって切腹する、という意味です。他のメンバーに決して責任が及ばないようにしたわけです。この話を聞いて、これぞリーダー、と感銘を受けました。
責任を持つことは、一緒にやっているメンバーに感謝する心を持つことです。感謝の心をもって、自分がやるから一緒に来てくれと、口火を切って新しいことに堂々と取り組む。矢野さんのような姿勢が、困難なプロジェクトを成功に導くためのコツなのかなと思っています」
心の豊かさが希薄となった時代。だからこそ、豊かさを届ける仕事がしたい
そんな臼杵が、これから取り組みたいと思っている仕事とは。
臼杵 「最近はなんでも、とにかく効率化が重視される世の中ですよね。それ自体はとてもいいことだとは思うのですが、どうも、人の心の豊かさが蔑ろにされているように思えて。だから、人の心を豊かにする仕事がしたいのです」
仕事上で「喜んでもらえた」という実感を持つのは、なかなか難しいもの。しかし長野県松本市で行ったある防災プロジェクトは、それを実感することができた、貴重な経験でした。
臼杵 「松本市にある奈川というところで、住民の方々を巻き込みながら防災対策を考えるというワークショップを実施しました。3年ほどかけて地元の人たちとたくさん話をして、あるときは一緒になって奈川の河川敷の雑木を伐採したりしながら、防災施設の計画・設計を行いました。ずっと一緒にやってきたこともあって、最後には住民の皆さんに喜んでもらえたことを実感できたプロジェクトでしたね」
プロジェクトの最中に臼杵が意識していたのは、「飾らないこと」。できないことはできないとはっきり言うことで、現実的な話をすり合わせ、満足度の高い着地点を見つけることができました。
臼杵 「そういった満足度が高い仕事を、またしたいです。防災の分野でも、インフラメンテナンスの分野でも、今の最新の3D技術を活用して、いかに社会が豊かになれるのかを追求したいですね」
そのために今取り組んでいる内容のひとつが、「復興」にフォーカスを当てた研究です。
臼杵 「東京大学や大分大学の方々と一緒になって、復興デザイン研究をしています。たとえば、雲仙普賢岳をベースにした火山災害の復興を考える取り組みです。 日本は災害大国で、昔から何度も災害に遭遇してきましたが、そのたびに人々が力を合わせて復興してきました。
自分が若いころは、災害を防ぐことにばかりに意識が向いて、復興という視点が抜けていたなと思います。仕事についても、災害を防止するという観点から、調査・計画・設計をして終了というものがほとんどだったので、その先まで考えが回らなかったんです。
本当は、調査・計画・設計の段階で、復興についても考えておく必要がある。これも一連のものとして考えないと、事後に単体で復興だけを考えても、うまくいかない。そこで今は、復興から逆算し、復興のためにはどのような調査・計画・設計をすればいいのかを研究しているのです」
あらゆる技術・知識を活かし、日々奔走する臼杵。責任を背負うことを明言することで多くのメンバーを巻き込みながら、まだ見ぬ次世代の防災とインフラメンテナンスのあり方を模索していきます。