地形のダイナミックさに魅せられ、研究を続けて47年
アジア航測の先端技術研究所千葉研究室に在籍する千葉。自身の名を冠した研究室は、フェローとして独自の研究を認められた証でもあります。依頼内容に応じてチームを組みながら、フレキシブルに業務に取り組んでいます。専門は地形、地質、火山、土木、防災。ハザードマップを改良して、山で道に迷う人や、災害で命を落とす人を一人でも減らしたい。そんなミッションを胸に、日々調査や研究に心血を注いでいます。
千葉 「もともと地形が好きだったんですよ。大学を選ぶときも、空中写真判読実習という授業があるという理由で、日本大学の文理学部応用地学科を選びました。大学で、地形や地質を学ぶ中で、現地を訪れて直接観察したり、関係者に聞き取り調査したりするフィールドワークに夢中になったんです。その後は、大学院を経て副手となり、都合15年も大学にいました」
伊豆大島1986年噴火の際には、数百mの地点で突然割れ目で噴火に遭遇したこともある千葉。なかでも、流れた溶岩の写真を判読し、詳細な地形をスケッチすることに大きな感動を覚えたといいます。
千葉 「それまでは、断層や地質関連の研究ばかりやっていたのですが、急に火山の方がおもしろいと目覚めてしまって。いろいろな人たちの期待を裏切って、火山の研究に転向しました(笑)」
アジア航測に入社したのは、伊豆大島噴火後の1989年。「この会社であれば、噴火直後の空中写真をたくさん見られる」と思ったのが入社のきっかけというので、火山の魅力の壮大さと千葉の興味関心の高さが伺えます。
千葉 「もちろん、いろいろなことを考えた結果ではありますが、まだ誰も見ていない写真の判読ができるという点は、アドバンテージになりますよね。地形って、ダイナミックなんですよ。これまでにたくさんの空中写真を見てきましたが、特に火山の地形は上から見るとよくわかる」
ピンチがチャンスとなり誕生した「赤色立体地図」
アジア航測に入社後、千葉は1990年からの雲仙岳噴火では自社機が撮影した写真を自主的に判読、8時期の判読図をタイムリーに防災関係者に提供しました。2000年の三宅島噴火際には、撮影計画をたてる役回り。
千葉 「7月8日は、噴火後すぐ暗くなって、情報がほとんどなかったんですよ。でも、翌朝の撮影コースを指示しなくてはならない。当時すでに自分で電子掲示板を運営していたのですが、そこに寄せられた現地の方からの情報などから判断し、山頂の周回斜め写真撮影を指示しました。もはや、飛行機付きのカメラを持っているような感覚です(笑)。
翌日、あがってきた写真には、三宅島とは思えないほど大きく変化した地形が映し出されていました。普通の山頂だったところに、直径1kmぐらいの巨大な陥没……。すごくショッキングな写真でしたね。今でも会社のホームページに掲載されています。」
地形に魅了され、さらには人々の役に立ちたいと、嬉々として日本中を駆け巡り、写真判読と現地調査を続けてきた千葉。そんな彼の最も大きな功績といえば、赤色立体地図作成法を発明したことでしょう。
赤色立体地図とは、数値標高データをもとに、傾斜量を赤色の彩度で、尾根谷度を明度にして調製した、これまでにないまったく新しい地形の立体表現手法です。
千葉 「きっかけは、2002年に富士山の青木ヶ原樹海の調査をしたことです。2000年は有珠山と三宅島が噴火した年だったのですが、秋になって富士山でも低周波地震が増加、次は富士山か……。と騒ぎになりました。富士山の調査を急げ!ということで、2002年にアジア航測が地形と地質の調査を受注したのです。
当時は航空レーザ測量という最先端の技術が普及し始めたばかり。その技術を使えば、青木ヶ原樹海のような樹木で覆われた場所でも、地面の高さがちゃんと測れて、溶岩流表面のシワや割れ目火口などが判読できるはずでした。ところが、レーザ計測の等高線図をみると、伸びきった輪ゴムのような等高線が散らばるばかりでした。予想以上に複雑な地形だったのです。溶岩の皺がありそうだけど、それが高いのか低いのか、道はどこにあるのか等、ほとんど読み取れない。この図での現地調査は遭難しかねない、と大ピンチに陥ったのです。
とにかく、追い詰められていたんです(苦笑)。遭難したくない一心で数値データから計算で、新たな表現手法を作成することにしました。これまで研究してきたあらゆる手法を駆使して、試行錯誤の末に偶然完成したのが赤色立体地図でした。空中写真判読を自動化したいといろいろ研究してきたので、地形分類が目的でした。地形が立体的に見えるということは、実は想定外だったのです」
こうして、ピンチがチャンスとなり誕生した赤色立体地図。見た目がかなり衝撃的であるゆえに、最初は驚かれたといいます。
千葉 「当初、内臓マップやポリープマップなんて言われたりもしましたが……。気持ち悪い赤色が一番立体的に見えるんですよ」
赤色立体地図の誕生は、大きな驚きをもたらし、NHKニュースに取り上げられたりもしました。国土交通省の事務所の広報誌にも速報を書いています。以来、20年近くになりますが、専門誌だけでなく雑誌やテレビ番組などでも紹介されるようになってきました。
「赤色立体地図」は防災用途だけでなく、「山城ブーム」にも寄与
千葉が発案した赤色立体地図作成法のおかげで、これまで未知の領域だった富士の樹海の詳細が明らかになってきました。現地の方に聞いても、「赤色立体地図を見ると、地形や位置関係がわかる」とのお墨付き。しかも、とくに見方の説明をしなくても、頭の中で立体的にイメージが沸くというのですから、当然世間からも大注目を集めました。
千葉 「現在は、赤色立体地図をさらに発展させ、普及とプレゼンスを上げる活動に注力しています。赤色立体地図は、テレビ画面を通しても、印刷しても、図を逆さまにしても立体的に見えるのが良い点です。たくさんのメディアからオファーをいただいており、都度しっかりお応えして、少しでも地形に興味を持ってくれる人が増えればと願っています。
最近は、山城ブームがきていますね。城郭や城跡は、青木ヶ原樹海と同じように木で覆われていて、航空写真や空中写真では見えづらいんです。現地に行ってようやく、少しここが凹んでいるな、とわかる程度。それが、航空レーザ測量を用いると木を取り除いた地形データが取れるので、赤色立体地図でわかりやすく表すことができます。おかげで、お城関係の本やテレビなどでも取り上げてもらっています」
さらには、国際的な学会や展示会でも、赤色立体地図は多大な注目を集めているとのこと。実際にアジア航測のブースに展示すると、お客さんが次々と集まり、大変にぎやかです。
千葉 「赤色立体地図はその見た目もインパクトがありますし、鳥瞰図や3D、CGなどにしても立体的に見えます。立体的に見えるものをさらに3Dにするのですから、迫力がすごいですよ。模型の上に印刷すれば、実際に高低差を触って体感できますし、シャンプーを流して溶岩実験をすることも可能です。本来の防災目的としてはもちろん、それ以外のさまざまな用途にまで利用できる点は、赤色立体地図の魅力なのかなと思いますね」
自由に研究できる今の環境に感謝しつつ、これからも好きを追求し続ける
いまやアジア航測の看板を背負うほどの存在となった千葉。けれども本人としては、ただただ好きなことを追い求めてきた結果だという意識が強いようです。同時に、千葉自身が感じている責任感もあります。
千葉 「好きなこと、というか、何か大きなものから与えられた使命のようなね、そんな風に感じて夢中でやることは良くありますよ。
技術はどんどん進歩します。それに対応した新しい表現方法を常に模索し続けなくてはいけない。2002年にたまたま完成した赤色立体地図ですが、今見ると画像は確かに美しくない。その後、あの手この手で改良し、いまでは美術品扱いされることすらあります。これをさらに改良発展をさせることが今の私がやるべきことだと思っています。赤色立体地図も、やがて特許が切れる時期がきます。その先を考えていかないといけないですね」
アジア航測には、「赤色立体地図を作った会社だから」「赤色立体地図が好きだから」という動機で入社を決めた人がたくさんいます。その状況を嬉しく受け止める一方で、今後新しい世代にどう技術を残していくかも課題だと千葉は語ります。
千葉 「いまやマニュアルを紙で残す時代ではないと思うので、これまで蓄積してきたノウハウを、わかりやすい動画で社内向けに残そうか……。なんて考えたりもします。アジア航測でも最近バーチャルショールームを始めていますし、動的なツールを使って後輩たちに残していくのが良いかなと思いますね」
今後、どのような存在になっていきたいかを訪ねると、「バーチャルな存在になりたい」と千葉。限りある人生の中で、何を成し遂げて、社会に技術として残せるかが重要だといいます。
千葉 「最近は、オープンデータで技術を共有する傾向があります。社会にとって有効なことだとは思いますが、一方で、アジア航測でしかできないこと、優位な点もしっかり保持していきたいですよね。『持続可能』が全世界のテーマである今、会社も持続可能にしていくやり方が必ずあると思います。そういった意味では、赤色立体地図をさらに普及させていきたいですね。
そもそも、私が自由気ままに実験をしたり、調査したりすることをすべて許容してくれたのは、アジア航測だからです。業務を効率的に進めて、勤務時間内に帰りなさい、というのが最近の風潮だとは理解していますが、やはりそれだけでは日本の将来は明るくないなとも思います。社内には、ベンチャーを推進する部署もありますし、誰かが出したアイデアを全社的に応援する風土がある。個々のパーソナリティを大切にしてくれる会社だと思います。この会社でなかったら、赤色立体地図を完成できていなかったと思います」
最近はシャボン玉の色を再現し、地形図の等高線代わりにする研究に夢中だという千葉。その自由な発想と飽くなき探究心が、さらなる新しい地形表現の開発につながっていくに違いありません。まだまだ千葉の探求は続きます。