音楽制作に行くために猛アタック

▲ミュージッククリエイティブ本部A&R2部・中西 克仁。音楽のディレクター歴30年以上。”ベテラン”と一言ではくくりきれないキャリア

音楽ディレクターとして数多の作品を手がけ、新たな才能の発掘も行ってきた中西 克仁。「姉の影響で幼いころからエレクトーンを習っていた」という彼は、自然と音を楽しむ人生を歩むようになりました。 

中西 「僕が高校生のころは、洋楽だったらTOTOとか、邦楽だったらカシオペアとか、フュージョン系の音楽が流行っていて、僕もバンド活動に熱中していましたね。ただ、身近にプロミュージシャンになった人がいて、その人と比べると自分の力量は全然及ばない、ということはわかっていたので、完全な趣味として楽しんでいました」 

大学進学時には、英語が好きであることと、“語学ができれば潰しがきくだろう”という考えから、英語学科へ。学生生活を謳歌したのち、やはりエンターテイメントの仕事に携わりたい、と意を決した中西は、就職活動で広告代理店や雑誌社、レコード会社など、マスコミ業界を目指します。 

中西 「いくつか入社試験を受けて、その中で縁があったのがポニーキャニオンなんです。1987年に入社してから3年は営業をやりました。最初の1年は上野営業所で、長野県全域を担当していたんですけど、当時は北陸新幹線がまだ開通していなくて、移動だけで時間がかかるため、ほぼ1週間の出張で長野の各店舗をまわりました。営業2年目からは東京営業所に配属され、都内近郊の店舗を担当しました」 

「社会人としての基本を叩き込んでもらった」という営業での3年間を経て、制作部へ異動することになった中西。熱意を示した結果、望みが叶ったのです。 

中西 「音楽の制作に携わりたくて、営業の仕事後にレポートをたくさん書いたり、あちこちのライブ会場に顔を出したり、自分なりにアピールをしました。その熱意が伝わったみたいです(笑)。

当時の音楽制作にはアシスタント制度があったんですよ。僕は、甲斐バンドの元メンバーだったディレクターの下で、アシスタントとして2年を過ごしました。

アシスタント時代に学んだことは、“場の空気”を読むこと。歌手やミュージシャン、作詞家や作曲家、マネージメントやスタジオのスタッフだとかいろいろな方が出入りする中で、失礼があってはいけない、『もう君は来ないで』って言われたら大変じゃないですか。そういう緊張感の中で過ごしました。

ある現場に行ったとき、作曲家の後藤 次利さんが新聞を読んでいて、手持ち無沙汰だった自分も真似をして新聞を読んでいたら、当時の上司に『お前何やってるんだ、10年早いよ!』って叱られました……。10年後、もう俺も新聞を読んでいいんだよな、と思い新聞を広げた記憶があります(笑)」

“誠意”は人の心を動かす

▲スタートはアシスタント、以来ビッグネーム・アイドル・シンガーソングライター……。その経験値と出会った人たちの数は想像を越えます

アシスタントとして現場で多くのことを学び、ディレクターとして独り立ちをしたのは音楽制作の部署に異動して1年後のことでした。 

中西 「早坂 好恵さんの歌入れ(ボーカルレコーディング)に、アシスタントとしてではなく、ディレクターとして初めて立ち会った時は、やっとひとりで歌を録れた!独り立ちできたという感動がありました。自分がすごく大人になった気がしたことを、今も鮮明に憶えています。

ただ、歌のディレクションというのは難しいんですよね。絶対的な正解がなく、何度もテイクを重ねればいいというものでもなく、あくまでもアーティストの良いところを出さなければいけない。任されたからにはやるしかないわけで、それまで学んだことを思い出しながら、自分の感性を信じながら、がむしゃらに経験を重ねていきました」 

その後、谷村 新司、森 昌子といった大御所のほか、西田 ひかるLe Couple(ルクプル)、KOKIA、アイドルグループなど、さまざまなアーティストのディレクターとして作品制作に携わることとなった中西。どんな現場でも、彼はあることを心がけていました。 

中西 「年上でも年下でも、アーティストでもスタッフでも、誰に対しても同じように誠意をもって接すること。これは、すごく大事だと思うんですよ。ちょっとでも嘘をついたり誤魔化そうとしたりすると、信頼関係を築くことはできません。どのような相手であろうときちんと話せばわかってくれる、というのが僕の経験則です。

忙しい毎日を送っていると、どうしても気持ちが前向きになれないこともありますよね。そういうときは、この状態も含めて仕事の一貫だ、と割り切ると気持ちがラクになるものです。それに、もしも悪いことが起こったとしても、例えばピンチに陥ったときも信頼関係を築いていれば必ず誰かが助けてくれるものです。

とあるアーティストの担当になった時は、初めてのジャンルで最初はわからないことだらけ、事務所の担当の方ともなかなかコミュニケーションがとれず、とても苦戦しました(苦笑)。でも、毎日のように事務所に通いこちらから積極的に動いていたら、半年くらい経ったある日、先方から相談を受けその時から一気に距離が縮まり、気づけばとても近しくコミュニケーションをとれるようになりました」 

困っているようなので手を差し伸べよう、と周囲の人に思わせる曇りのないポジティブ思考で、中西は数々の難局も乗り越えてきたのです。

ディレクターの仕事は恋愛に似ている!?

▲テレビ朝日系「musicるTV」審査員として「トップライナーを探せ!」にも携わりました

1997年にLe Coupleがリリースした「ひだまりの詩」も、中西がディレクターとして関わった作品です。ドラマ『ひとつ屋根の下2』の挿入歌であり、サウンドトラックからシングルカットされ大ヒットしたナンバーは、今も歌い継がれています。 

中西 「ボーカルの藤田 恵美さんは、わずか6歳でレコードデビューして、13歳のころに演歌歌手としてプロデビューしたという経歴の持ち主で。『ひだまりの詩』のレコーディングのときには、演歌っぽい歌い回しにならないように、シンプルに歌ってもらうようにディレクションしました。今でもたくさんの方に愛してもらえる曲になったし、彼女の素敵な声が引き立つ曲だな、と思います」 

また、「ずっと女性シンガーソングライターを手がけてみたかった」という中西は、奥 華子や阿部 真央、ましのみといった女性シンガーソングライターも世に送り出してきました。 

中西 「営業チームから一度聴いてみてくれ、と言われたシンガーソングライターの歌を聴いた瞬間、この人だ!と思いました。当時路上ライブをやっていた奥 華子さんです。何度も通って、『うちからデビューしませんか?』って声をかけたんですよ。最初は、本人もマネージャーも全然興味を示さなくて断られてしまったんですけど、『諦めきれません』って食い下がりました。どうにか想いが通じ、その後、ライブのMCで『担当ディレクターさんが諦めてくれなくてよかった!』と、本人が言ってくれて。そう思ってもらえたことはディレクター冥利に尽きます。

阿部 真央
さんはとある方から紹介されたんですけど、デモテープの1コーラスを聴いただけで圧倒されてしまい、ライブを観る前に交渉に向けて動きました。輝く原石は、他のレーベルだって目をつけていることが少なくないですからね。ビビっときたならすぐに行動を起こして、実るまで何度もアタックするっていう。この仕事って恋愛に似ているな、と思ったりもします(笑)」 

2020年には、“バンド×YouTuber”として活動する3ピースバンド・Non Stop Rabbitをデビューさせた中西。新たな才能と出会うことも楽しんでいるようです。 

中西 「時代も流行も目まぐるしく移り変わっていく中で、いろいろな感性やアイデアを持つアーティストに出会えるということはすごく刺激的です。ノンラビ(Non Stop Rabbitの通称)のメンバーと話していても、初めて知ることが多くて興味深かったりします。実を言うと、僕はそこまで貪欲に情報収集をするタイプではないんですけどね。仕事は然るべきタイミングで然るべき人のところにやってくるんだな、巡り合わせってあるよな、と最近つくづく思います」

音楽制作においても必要な“温故知新”

▲入社以来スタイルがあまり変わってない!?休みには水泳やジムで身体を動かしているそうで……(尊敬のまなざし)

入社以来35年、ポニーキャニオン一筋。人の入れ替わりが激しいエンターテイメント業界では珍しく、ディレクター歴も30年以上に及びます。 

中西 「社内だけではなく他社(レコード会社)も含めて、音楽ディレクターのキャリアは僕が一番長いかもしれません。ポニーキャニオンって、きっと居心地のいい会社なんですよ(笑)。あとは、その時々でヒット作に恵まれたおかげでもありますし……。おもしろそうなことにはとりあえず触れてみたい、っていう好奇心が尽きないんですよね。自分としては、ただそれだけで同じ道を長年歩めていると思っているし、それってすごく幸せなことですよね。

たとえばアレンジで行き詰まっているときに、ディレクターのひと言がガラっと流れを変えたり、誰かを救ったりもする。主観に偏らず俯瞰で物事をとらえながら、アーティストの信念やこだわりを尊重しながら、そのひと言をちゃんと言えるディレクターでいたいな、と思っています」

一方で、音楽のクリエイティブの世界で長年生き続けてきた中西は、ある変化も感じているようです。 

中西 「歌も楽器演奏も自宅録音ができるし、パソコンソフトがあればプロ並みのクオリティで音源制作ができるし、配信で手軽に音楽を楽しめるようになった今は、便利だし効率的。すごい時代になりました。でも、昭和から平成にかけて多くのレコードやCDが売れていた時代は、一つひとつの作品がとても丁寧というか時間をかけて創られていたというか。歌手、作曲家、作詞家、演奏するミュージシャンと直接コミュニケーションを図って、時にはくだらない話もしながらじっくり作品に向き合っていく過程は、とても贅沢な時間だったんだな、と今になって思います。

その1曲が大切にされて、誰かの人生に永く寄り添っていけるようなものになるように、新しい技術を取り入れながらも、伝統として残していかなきゃいけないものもある。“古きよき時代”を知る人間として、そこは忘れずにいたいです」

そんな中西は、2022年7月20日にリリースされる、工藤 静香ソロデビュー35周年を記念した初のセルフカバーアルバムの制作にも携わっています。 

中西 「今ちょうど(2022年6月現在)、制作作業をしているところです。ヒット曲がたくさんありますからね、2枚組にして、19曲を新たにレコーディングしています。工藤 静香節はもちろん健在なんですけど、耳に馴染んだフレーズを使わない、挑戦的で冒険的なアレンジで生まれ変わった曲たちは、往年のファンはもちろん、新しく工藤 静香を知る世代にも楽しんでもらえることと思います」

「これからも才能あるシンガーソングライターを見つけたいし、歳を重ねてますます輝きを放つ歌手やミュージシャンにもっともっと光を当てていきたい」と、今後に向けての夢を語る中西。彼は、ディレクターを目指す若い世代にも、期待しています。 

中西 「自分もいつかディレクターになりたい!という想いがあるなら、突き進んでみるべきだと思います。音楽業界って、そういう熱意ある人を受け容れてくれる温かい世界だし、きっと道は拓けるはずです。

あと、CD制作に関するスケジュール管理やレコーディング現場でのディレクションはもちろん、アーティストのビジュアルやCDジャケットのイメージ、方向性も考えるのがディレクターの仕事ですからね。たくさんの音楽や映画、文学なんかに触れて引き出しを増やしておくといいんじゃないかな。

またその道に進んだものの、迷うこともあると思います。そんな時、相談できる人がいると、自分の考えがまとまるし、気持ちが軽くなったりします。頼れる人がいるなら、どんどん頼ったほうがいいです。頑張りすぎるのもよくないけど、もしできるなら石の上にも三年踏みとどまって、ぜひチャンスを掴んでください!」