思い立ったら吉日、波乱に満ちた青春時代

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▲ビジュアルクリティブ本部プロデュース2部プロデューサー・中島 純。入社までの経歴も波瀾万丈

秋元 康プロデュースの『象の背中』、ショートアニメ『ウサビッチ』、『こびとづかん』を映像化した『こびと観察入門』、VR×ホラーの融合『VR“DEAD” THEATER』、バーチャルYouTuber・ミソシタ、絵本&楽曲『かんしょくさせてよ やさいっちょ』、AIアーティスト・岸 裕真……中島 純が関わってきたプロジェクトをざっと挙げただけでも、彼の好奇心がいかに豊かか、ということが浮かび上がってきます。 

中島 「趣味でコーラス隊に参加していた母親の影響で、子供の頃から『サウンド・オブ・ミュージック』や 『メリー・ポピンズ』などのミュージカル映画を観たり、車に乗るとリチャード・クレイダーマンのピアノ曲が流れていたり。母は絵心もあって、僕も小さい頃から絵を描くことが好きでした。父親は工作が得意で、ミニ四駆を改造したり、廃材を使っておもちゃの剣を作ってくれたり。その影響か、僕も図工だけはずっと成績が良かったです(笑)」 

感受性が磨かれ、想像力や独創性が自然と育っていった幼少期。ここに、中島の原点があるのかもしれません。 

中島 「ファミコンを手に入れてからは、父親と『ドラゴンクエスト』で一緒に遊んだりしましたが、ゲームをできる時間は制限されていましたし、テレビのチャンネル権は父親のもの。どんどん膨らむ好奇心を押さえられた思春期を過ごしたんです。その反動でしょうね、ある程度自由にできる高校生になった瞬間、”ド金髪”にしました。理不尽な思いから解き放たれた好奇心が一気に爆発?して、なんなら今もその爆発が続いているんだと思います(笑)。


高校時代に突如フランス語を学びたくなって、大学は国際関係学部に進学しました。その頃UKロックやDJ、裏原系ブランドの『smart』『Boon』といったファッション雑誌がブームになっていく中で、“カッコいい”ロゴやポスターを作る仕事がある、ということを知って。絵を描くことはずっと好きだったし、そういう仕事に就きたいと、2年で大学を中退、デザインの専門学校に入り直しました」 

グラフィックデザインを学びながら、気の向くまま、クラブやライブハウスに足を運ぶ日々が続いたという専門学校時代。しかし、デザイン業界には就職せず、彼は突然タイに渡ることになります。 

中島 「母親の実家がお寺なんですけど、そこで住職を務める親族の伝手で、タイのボランティア施設で絵を教える仕事を紹介してもらいました。専門学校を出た後も就職をする気がなかったので、話を聞いた瞬間飛びつきました(笑)。実際にスラム街の中に住んで、現地の子どもたちに絵を教えつつ、お土産ショップでお手伝いもしつつ……タイで過ごした1年、日本ではなかなかできない経験ができたんです」

グラフィックデザインから未経験の映像制作へ

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▲座右の銘は『他人のように上手くやろうと思わないで、 自分らしく失敗しなさい』(故・大林 宣彦映画監督)

タイからの帰国後は、両親が突然始めたという青果店を手伝いながらようやく就職活動を始め、デザイン事務所に勤めます。業界内で2回ほど転職したのち、またも転機が。 

中島 「そろそろ次のデザイン事務所を探そうかという時に、たまたま派遣で紹介されたのがポニーキャニオンの映像制作部でした。 


アーティスト・森チャックさんが手がける『いたずらぐまのグル~ミ~』 や、リリー・フランキーさんの絵本『おでんくん』とか、キャラクタービジネスをポニーキャニオンが始めたタイミングで。グッズ展開や宣伝をするにあたりMacでバナーやカタログなどのデザインをすることが仕事でした。デザインが本職だったので、わりと出来ちゃいまして、そのうち映像作品の制作やパッケージ販売にも関わるようになっていったんです」 

デザインの知識はあっても、映像の仕事は未経験。しかし、ここでも彼の好奇心が勝ってしまいます。 

中島 「映像のことはまったくわからなかったのですが、とりあえずやってみよう、と。そして、当初よくわからないまま関わったのが、秋元 康さんが総合プロデュースするアニメーション『象の背中』だったんです。初めての大きな仕事で、ウェブサイトではすでに公開されている作品。商品としてどう価値を持たせるかを考えなきゃいけないわけで、かなりのプレッシャーがありました。

結果、上司やいろんな方々のアドバイスを受けてアニメの名場面に歌詞を重ねたポストカードブックを企画、ヒット作になりました。もちろん、秋元さんのお名前があって、いろいろな方々の助けがあってのことではあるんです。でも大学中退して、専門学校も適当に通って、タイに行って、青果店もやって、グラフィックデザイナーだった人間が、突然映像制作に関わってヒットを飛ばすなんて、なかなかないですよね(笑)。自分で言っててもカオス(笑)」 

『象の背中』のヒットを受けて担当することになったのが、『ウサビッチ』のDVD化でした。 

中島 「『ウサビッチ』は、最初MTV Japanのモバイルサイトで配信されていたもので、1話90秒、セリフもない、商品化して本当に売れるのか?っていう懐疑的な声も社内に多かったんです。正直僕も根拠はなかったんですけど面白い作品だったので『すごく面白い』ってとにかく言い続けて、1年がかりでDVD化することができました。『ウサビッチ』が売れたことで“ナカビッチ”って呼ぶ人もいました(笑)。そのあと、別の担当のところになばた としたかさんの絵本『こびとづかん』をCGアニメーション化した『こびと観察入門』シリーズの話がきたのですが、それも僕が担当することになりました。ショートアニメといえば中島、キャラクターものといえば中島、みたいに思ってもらえるようになってきたんです。 


ただ、最初の何年かは本当に毎日怒られてばかりでした。そりゃあそうですよね。それまで散々自由に生きてきて、大きな組織の中で働いた経験がなかったんですから。きちんとした挨拶もできない、名刺の渡し方も知らない、電話対応もまともにできない、いつもボンテージパンツを履いてる……。社会生活という面では、かなり成長したと思います(笑)」

自分のアイディアを活かせる、刺激的な日々

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▲グラフィックデザイナーだった中島。いつもは全身黒だがこの日はクリスマス仕様の赤いジャケットで登場

ショートアニメの次に中島が目をつけたのは、VR映画。2016年にはVR映画プロジェクト『VR“DEAD”THEATER』を立ち上げ、2017年にウルトラマンシリーズを手がける特撮スタッフと最先端のVR映像技術を持つ株式会社ejeがタッグを組んだ、『ウルトラマン』シリーズ初となる360度特撮作品『ウルトラマンゼロVR』と 『ウルトラファイトVR』を制作しました。 

中島 「その頃ってVR映画という言葉がまだあまり知られていなくて。ポニーキャニオンがそれまでやっていなかったことをやる人間が一人ぐらいいなくては、と思ったりし始めたタイミングでもあったんです。『ウサビッチ』も前例がないことで1年間苦労しましたが。その結果が良いか悪いかは別として、前例がないなら作っちゃえばいいって。 


『VR“DEAD”THEATER』は、日本を代表するホラー映画監督たちが、VRという新たな手法を使ってまったく新しい映画作品の制作に挑戦するプロジェクト。もともとホラーが好きで、カルト的な人気を誇る『片腕マシンガール』やスプラッター映画に注目していたし、ただでさえショッキングなシーンが多い映像作品をVRにしたらもっとゾクゾクできるはず、って思ちゃったんです。 


巨大怪獣と『ウルトラマン』のバトルもVRで体験できるなんて想像しただけでワクワクするじゃないですか。まだまだVR知識は浅かった僕ですが、動画を継ぎ目なく接合するスティッチング技術とか現場の人に聞きながら勉強して、ロケにも足を運んで。大先輩にホラーとウルトラマンが好きな“こっち側の人”がいたので後押ししてくれたこともあって実現しました。会社的にも新しい事をやろうという機運になっていましたし。」 

2019年にはバーチャルYouTuberとして初めてメジャーレーベルからCDデビューを果たしたミソシタを担当。日本で初めてVTuberが監督を務めた映画『バーチャル男』を制作し、劇場公開にもこぎつけました。 

中島 「VTuberの元祖・キズナアイとかを差し置き、かなり個性的なミソシタがポニーキャニオンからメジャーデビューするという、その現象からしてまず面白くて。じゃあ、2ndアルバム『We are Virtual』の特典DVDには映画を入れちゃおう、なんなら劇場公開もできないかな、ってまたまた変なことを思いついちゃったんです(笑)」 

そうした数々の斬新なプロジェクトに挑んできた中島が重んじるのは、“先駆者になる”ことだと言います。 

中島「どんなブームでも言えることですけど、先頭で斬り込んだ存在には、それに続いたものが超えられない唯一無二のオリジナリティーがあるんです。ミソシタのメジャーデビューも初監督映画も、先駆者になるためにやる!って決めて、そのあとで社内調整して。そのおかげで“日本初”になることができました。 


常識がないからこその突飛な思いつきを、会社としても面白がってくれたんだろうとは思いますが……今思うといろいろよく許してくれたなと思います(笑)」

“当たり前”に縛られる必要はない

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▲「もっといろんなことを後輩たちと語り合いたいです。僕の失敗譚を足場にしてどんどんチャレンジしてほしい」

先駆者になるには、発想力はもちろん、行動力も欠かせないもの。楽しそうなものを見つけたら躊躇はありません。 

中島 「10年くらい前になりますが、絵本『あたらしいみかんのむきかた』を映像化したのですが、きっかけは電車のドアに貼ってあった絵本の広告ステッカーでした。それを見てすぐに小学館に電話したんです。『ぜひうちでDVDにしませんか』って。普通に考えたら怪しまれてもおかしくないですけど。『何言ってんだコイツ』って(笑)。でも担当さんがすごく面白がってくれて、話がトントン拍子に進みました。 


『かんしょくさせてよ やさいっちょ』にしても、作者の杉山 実さんの『ソフトさんの悲劇』をパッケージ化したときからのご縁でポニーキャニオンから絵本とテーマソングCDを発売させていただけることになりました。実は杉山さんと一緒に作った絵本を、自分の子どもに見せたかった、という私利私欲もそこにはあったんですけど(笑)。実際に1歳の息子にサンプルを渡してみて、子供が持ちやすい判型や重さ、めくりやすい紙の厚さを検証したおかげでお子さんたちに喜んでもらえる作品になったと思います」 

20代半ばまでは次から次へと興味が移り、なかなか居所の定まらなかった中島。ポニーキャニオンに腰を据えることになったのはなぜなのでしょうか。 

中島 「腰を据えたつもりはあまりなかったんですが(笑)。ポニーキャニオンで働き始めて15年近く経ちますけど飽き性の僕が飽きてないだけじゃなく、以前よりもさらに面白いこと、やったことのないことをしたい、という想いが強くなっていたりもします。今は一個人が新しい発想を世界に向けて簡単に発信出来ちゃうので、そういう人をいち早く見つけたいし、新しい技術や機能がどんどん開発されているので、片っ端から触りたいですね。周りからするといい迷惑かも知れませんけど(笑)」 

そんな中島が今、力を注いでいるのは、国内外で話題のAIアーティスト・岸 裕真。2022年2月28日に発売される作品集は、書籍のみの通常版のほか、NFTアート付きの限定版も発売します。 

中島 「インスタグラムでその存在をたまたま知ったんです。気になってすぐメールで声をかけました。アーティストやクリエイターは最初にコンタクトをしてきた人間、自分を見つけてくれた人間をすごく大事にしてくれるから、これは面白そうだ!と思ったらすぐに連絡するようにしています。上長への報告は後回しなんですが(苦笑)。 


コピーが容易なデジタルデータに対して、ブロックチェーン技術を活用して唯一無二な資産的価値を付与できるのがNFTアート。NFTビジネスもまた、ポニーキャニオンとしては初めてのことです。『なんでポニーキャニオンから画集が出るんですか?』っていう驚きの反応をされることも楽しいです(笑)。それに、岸さんのやってることは“AI”と“アート”という一般的には遠い所と思われがちな存在を物凄く密接に結びつけていて、その発想自体がすでにエンターテインメントだと思うので、とても刺激になります」 

自らの感性を頼りに、新たな一歩を踏み出し続け、道を切り拓いてきた中島。彼には、ある願いもあります。 

中島 「いろいろと新しいことに挑んできて、もちろん全部が全部結果を出せているわけではないです。どっちかというと失敗の方が多い(笑)。ただよくも悪くも、前例があれば若い人や後輩がチャレンジしやすくなるじゃないですか。『中島があんなことしたんだから自分にもやらせてくれ!』っていうのを言い訳にして欲しいし、僕の数々の失敗を反面教師として活かしてもらって(笑)。

『中島がこうやって失敗したなら自分はこうして成功させる』とか。後進にどんどん冒険してもらいたいです。仕事そのものを自分のエンターテインメントにして欲しい。特に今は数ヶ月で世の中の流行が入れ替わってしまうので、若い感性を持ってるうちにそれを活かして欲しいんです。変に業界や常識に染まる前に(笑)。ポニーキャニオンという会社は常に数年後の『組織の在り方』を意識していますが、その中心にいるのは僕らではなく、若い彼らであったり、これからポニーキャニオンに入社する人達であるべきなので」 

「他人のように上手くやろうと思わないで、 自分らしく失敗しなさい」という、故・大林 宣彦監督が残した言葉を、人生訓とする中島。幅広いジャンルのコンテンツを扱うポニーキャニオンだからこそ、人と違う視点を持つ自分だからこそ、できることを求める日々は、この先も色彩豊かなエンターテインメントを生み出していくことでしょう。