「逃げない理由」を探す態度をくれた、友人から誘われたラグビー

株式会社土屋の中国地方を統括するブロックマネージャー・藤岡 真人。1981年に広島市で生まれ育った彼は、介護難民問題の解消をモットーとし、現在中国エリアに次々と事業所を立ち上げています。

そんな行動力と手腕をもつ藤岡ですが、周りにはゆったりとした雰囲気が。一見すると文系のようですが… 

藤岡「元ラグビー部です。今は、見えないかもしれませんが(笑)高校の3年間をラグビーに賭けていました。もっとも、一生懸命やらざるを得ない状況だったというのが正直なところです」

なんと藤岡の出身校は、公立にもかかわらず全国大会の常連。ラグビーをよく知らないまま友人の熱意に押されて入部したとのことですが、そこからはハードな練習の中で学生生活を送ります。

藤岡「2年からレギュラーでしたが、チーム自体が『全国大会に出て当然だ。初戦突破が目標だ!』という意識で、監督からは『出られなかったら分かってるよな』というプレッシャーが(笑)。なので、練習しかないと」

懸命な努力の結果、藤岡は2年、3年の時に全国大会に出場。ポジションは、タックルで相手を食い止めるセンターです。

藤岡「ラグビーって、首から上へのタックルは反則なんです。ラリアットみたいになっちゃうんで。2年の大会でそれをやられて、激怒した先輩たちが相手に詰め寄っていったんです。後輩を守る文化は自然とありました」

フィールドでの練習の中で、チームに自然と息づいていたAll for One, One for Allの精神。それは、藤岡のその後を形作る大きな支柱ともなったようです。

藤岡「困難に出くわしたとき、逃げなくなりましたね。ラグビーって肉弾戦ですし、センター自体が、全力で向かってくる相手にタックルにいかなきゃならないポジションです。

もし自分がそこで逃げちゃうと、別の人がタックルにいかなきゃならない。なので逃げられない。身体を張るということがチームに共有されていましたね」

ラグビーに熱中した高校生活を経て、藤岡はひょんなきっかけで、福祉系の大学に進学することになります。

藤岡「知人がST(言語聴覚士)の資格を取った時に『福祉』というワードを初めて聞いたんです。進路を決めるタイミングでもあったので、職業ガイドブックをパラパラめくっていたら、ちょうど止まったのがソーシャルワーカー。それで縁を感じたんです」

そうして福祉の道に進むことになった藤岡。肩のケガでラグビーから遠のいた彼は、一つずつ福祉の知識や技術を獲得しながら、大学時代を満喫します。2004年4月に卒業した後、藤岡は広島県の介護老人保健施設へ入社しました。

苦境も逆境も、「やらんといけん」なら、楽しもう

2004年より介護老人保健施設で働くことになった藤岡。今では楽しい思い出ばかりだと言います。

藤岡「ラグビーをしていたせいか、身体を動かす仕事が全然苦じゃなくて、面白かったですね。認知症の方とはあまり意思の疎通は図れませんが、『そういうこともあるよね』と、一緒に話したり遊んだり。なかには噛みついてくる人もいましたが、たまたま歯がなかったので事なきを得ました(笑)」

しかし、徐々に給与の少なさが生活に響き始め、結婚のタイミングで退社。2006年に、デイサービスを主体とする大手の介護会社に生活相談員として入社します。藤岡はここで、営利法人の様々な考え方を学んでいきます。

藤岡「入社してすぐ上司から『福祉バカはだめだ』と忠告を受けました。スタッフへの給与、そして企業の成長に必要な『利益を出す』こと、ここをきちんと考えなければいけないということですね。

そこで予算管理、予算実施進捗率や利益率及び利益額の管理、予算を達成する方法を教わりました。

『そういう世界もあるんだな』と、大学でも聞いたことないような部分を、仕事をしながら覚えていきましたね」

入社半年後、藤岡は事業所の管理者を任されますが、思わぬ事態に。

藤岡「前任者が赤字にして異動したので、しょっぱなから上司に詰め寄られました(笑)。営業所長のような立ち位置で、管理の全てを任されて、数字はなんとかなるだろうと思いながらも、やらんとしようがないよねと」

事業所の立て直しを図るべく、藤岡が取り組んだことは「楽しむ」ということ。

藤岡「デイサービスでは、楽しい雰囲気があるところに人が寄って来ます。なので、まずは自分が仕事を楽しんで、そこから周りのスタッフにも利用者さんにも楽しんでもらう。

そこを重視して、『こういうことやったら楽しいよね』というのを次々にしていったら、会社が求める予算にもあれよあれよと達して、利益率も25%以上に」

とはいえ、その中で、挫折や燃え尽きなども経験したと言います。

藤岡「管理する方に回ると、定着せずに辞めていくスタッフもいます。これは落ち込みますね。コンプライアンスや労務的な部分、会社が求める数値管理、地域からの見られ方も気にしながらやっていく中で、疲れを感じました。一度、退職を願い出たこともあるんです」

しかし事業所の経営状況を改善し、その腕を見込まれた藤岡は2008年、福山市に管理者として転勤。なんとそこは、上司やスタッフ、スタッフ同士の諍いで、内部崩壊の状況にありました。

藤岡「福山の事業所は、デイサービス・訪問介護・訪問入浴・居宅介護の4つの事業をしていたのですが、何しろスタッフの数が少ないので、僕も訪問入浴や訪問介護でヘルパー業務もしながら、立て直しを図りました」

藤岡は3年ほど福山で働いた後、転勤し、退社。その後も、様々な高齢者介護の職場で働きます。

誰かの人生を前にして、何をするのか、何を「しない」のか

職場は変えながらも、介護一筋の藤岡。介護以外の道は考えなかったと言います。

藤岡「他の仕事ができる自信もなくて。一般企業に勤めている人と、介護畑でずっと働いている人って持っている常識がちょっと違っていると、自分自身で感じるところがあるんですね。

一般企業の場合だと、顧客への接遇や、取引先との商談、対応の仕方がしっかりされてると思うんですけど、介護の世界を歩んできた人ってそういう視点が薄くて、『現場でやってなんぼ』というところが強くあったりします。

僕も一般企業で常識と言われるものが自分にはないなと思い、介護業界でずっと生きていこうかなと」

そうはいうものの、人の死と生に深くかかわる介護の世界。その間にはさまざまな出来事がありました。

藤岡「吸引中に血を吐かれて亡くなった方。錠剤を貯めて服薬自殺を図った方。自殺願望が強く、カーテンで首を吊った方。静かだなと思っていたら亡くなっていた方など、多く見てきましたし、私自身、管理者の立場から、利用者の家族と話し合いをしたり、謝罪に回ったこともあります。

多くの経験をしてきましたが、30代も後半になって、高齢者ではない、新しい世界も見てみたいなと思い始めたんです」

そして藤岡は、重度訪問介護(重訪)業界へと転身。広島の事業所で、ヘルパーとして一から仕事を始めます。

藤岡「立ち上がって間もない事業所だったので、現場は少なかったのですが、高齢者介護との違いに驚きましたね。

特に重訪特有の『見守り』サービス。施設介護経験者としては、『何もしない時間がありすぎる』(笑)。

『これでいいのかな?』と、なかなか慣れませんでした。だから最初は、何かしようと動いてしまい、怒られていました」

それもあってか、藤岡は、最初にケアに伺ったお宅から2件とも断られるという事態に。

藤岡「相手への触れ方だったり、技術的なところがなかなか覚えられず、希望に沿うことができなかったんだと思います。そうこうするうちに、『もう来ないで欲しい』と。向いてないかなと思いましたね」

そんな中、藤岡は突如、東京行きを命じられ、入社3カ月目で転勤。東京で半年ほど訪問介護に携わった後、広島に帰郷。その後は順調にコーディネーターに昇進し、サービス提供責任者(サ責)に従事します。

藤岡「実は、サ責は一番やりたくない仕事だったんです。というのも、ヘルパーさんに電話で謝っている姿しか見ていなくて。急な対応をお願いしては『ごめんね、ありがとう』ばかり言っている。なので、絶対に無理だと思ってたんですけど、いざしてみたら抵抗がなく。

そりゃあ急な対応を引き受けてくれたら『ごめんね、ありがとう』って言いたくなるよね、って(笑)」

藤岡は自身も現場に入りながら、管理業務をこなし、2カ月後にはオフィスマネージャーに昇進。これまで長らくやってきた業務に戻ります。前任者の失策の事後処理もしつつ、広島の事業所をまとめあげ、半年後にはエリアマネージャーに。岡山を取りまとめた後、株式会社土屋に転職します。

あなたも重度訪問介護、やりませんか

2021年11月、株式会社土屋に入社した藤岡 真人。エリアマネージャーとして、島根県と鳥取県に事業所を立ち上げるべく、奔走します。

藤岡「支援を待っている人たちのために、部下と一緒に、事業所の場所や物件探しを始めました。

ただ、島根や鳥取は重訪があまり認知されておらず、とりわけ鳥取は去年の6月にオープンしたんですが、土地柄もあって、しばらくは苦戦しました。

部下もそのことで自分を責める部分もあったのですが、色々と力を尽くしてくれて、行政の信頼を勝ち取り、今では行政からの依頼がほとんど。地域貢献もできて、売上も伸ばせています。本当に良くやったなと。嬉しいですね」

鳥取では24時間体制の支援依頼が多く、藤岡は現在、とりわけ採用と人員の定着に力点を置いています。そして、事業所の立ち上げからまもなく、中国地方全体をまとめるブロックマネージャーに就任。様々な個性の部下たちをまとめています。

藤岡「マネージャーになった当初、若い人は特に、本当に苦労します。『クライアントからもアテンダントからも上手く言うことを聞いてもらえない。どうしたら……』と、すごく苦しんでいる。

でも、そこを乗り越えて、一人で抱え込まず、『対応できるようになりました!』って聞いた時、『一皮むけたな』と、その成長を嬉しく思いますね」

部下の成長が売上にも結び付き、結果を残すこともしばしば見られるようになってきたとのこと。その中で心がけているのは、人としての在り方だと言います。

藤岡「業務上の失敗は構わないと思っています。けれど、人を貶めるような言動は注意しますね」

時に厳しく、けれどおおらかに中国地方をまとめている藤岡。目指すのは、介護難民問題の解消です。

藤岡「例えばヤングケアラーの問題。介護に時間を取られて、学生生活や思春期を全うできない人もいます。ご本人はもちろん、その方のご家族も含めて介護難民なのかなと思うので、より広い目線で介護難民問題を解消していきたいです。

そのためにも、まだ手の届いていない地域にも支援体制を作っていきたいですね」

ブロックマネージャー就任後、数々の困難を乗り越えてきた藤岡ですが、苦労の跡も見せず「いい経験をした」と語ります。そんな藤岡の介護観は「無理をしない介護」。

藤岡「クライアントに接するとき、無理をすると、それが伝わってしまいます。また無理をしている上司の下では、部下も頑張りすぎる。『無理しなくてもいいじゃん。できる範囲で頑張ろうよ』と思っていますね」

ビールとおつまみをお供に、ユーチューブで投資家のやり取りを鑑賞するのが「幸せなひととき」だと語る藤岡。最近は、一度支援を断られたクライアントから、「もう一度来てもらえないか」と依頼が来たことにも喜びを噛みしめています。そんな藤岡が、会社に対して思うこととは。

藤岡「重訪をメインにしている会社は、個人事業所を除けばほとんどありません。東京以外では現在、当社がほぼ独占しています。でも、そうすると業態として伸びしろが少なくなっていく。

さまざまな企業が参入すれば、サービスの質が高くなったり、特色が出ます。多企業参入のデイサービス業界などはその典型だと思います。なので重訪の業界にも、切磋琢磨できる競合相手が現れてほしい。そうすれば担い手も増えて、介護難民問題の解消にもつながると思います」

最後に、藤岡から介護の仕事を考えている人へのメッセージです。

藤岡「介護の仕事について、あまり良くないイメージを持っている方もいるとは思いますが、やってみたらそうでもないというところもあります。なので、『ちょっとやってみませんか?』」

内容を聞けば「苦労話」なはずのこれまでのキャリアを、穏やかに語る藤岡の話を聞いていると、「人はもっとほかのだれかと人生が重なっていたはずだった」と思い至ります。誰かと誰かの人生が交差するとき、一人でいるより多くの不幸も目の当たりにしますが、その分喜びや安心も大きくなっていくのではないでしょうか。

もし、今までの仕事や働き方に疲れたら、「見守り」のある重度訪問介護、あなたもやってみませんか?