降りかかる困難を、必死に切り抜けてきた半生

宮城県仙台市で、現在オフィスマネージャーとして活躍している白鳥 美香子。仙台の都心部からは離れた、一面に田んぼの広がる豊かな自然に包まれて、彼女は生まれ、育ち、さまざまな変化の中でもこのおおらかな土地に守られて人生を形作ってきました。

白鳥 「私は4人姉妹の3番目です。小さい頃はとにかく外で遊ぶのが大好きで、真っ黒に日焼けをしていました。中学でバレーボール、高校では弓道に励み、卒業後はホテル業界の仕事に就きました」

そこで受けた接遇やマナー研修は、今も役立っていると言う白鳥。1999年に結婚し、翌年、長男を、その2年後に長女を出産します。そして、次男を妊娠中の2004年、白鳥に思わぬ災難が降りかかります。悪性リンパ腫を罹患したのです。

白鳥 「次男の妊娠中に、健診で左肩鎖骨部分に膨らみが見つかりました。検査の結果、悪性リンパ腫との診断を受けたんです。思いがけない診断結果だったため、実感が湧かず、混乱してしまったことを覚えています。

お腹や背中に激痛が走って、無事に出産できるのか、不安がずっと付きまとっていました」

悪性リンパ腫の治療は抗がん剤を使うため、出産後となります。白鳥は、妊娠7か月目に背中の激痛に耐えきれず緊急入院、その際のMRI検査でお腹の中にも大きな腫瘍が見つかりました。

白鳥 「大きな腫瘍が激痛の正体だったことには担当医も驚いていました。そのため、予定よりも早い段階に帝王切開で出産しました。そのあと出産2週間後くらいから、抗がん剤治療が始まりました」

白鳥は、抗がん剤治療で1か月間入院した後、2週間に1回の外来治療に移行しました。しばらくして彼女は、小児科の医師より次男の障害を告げられます。

白鳥 「次男は7か月で、1754グラムで生まれました。呼吸器をつけNICU(新生児集中治療室)の保育器で過ごしていました。入院中に脳質周囲白質軟化症(脳性まひ)で『障害が残るでしょう』と医師から宣告されました」

それから1か月、次男の呼吸が突然止まり、救急車で搬送。生後半年には、点頭てんかんという小児慢性特定疾患の難病にかかります。

次男の障害、長男・長女の子育て、自らも抗がん剤治療をしながら困難を乗り越えられたのは、母の精神的な支えや手助けがあってこそでした。

白鳥 「私も抗がん剤治療をする中で、吐き気や体のだるさがすごくあって、育児まではなかなかできなかったんです。だから母親が仕事を辞めて、子どもたちのお世話をしてくれたんです。ついでに私のお世話も(笑) 」

白鳥は病と闘いながら、母親の協力の下で、子どもたちとの生活を大切に守っていきます。

死の不安が搔き立てた決意、「後悔のない人生を」

2週間ごとの外来治療になっても、白鳥の闘病は続きます。治療の後は1週間くらい吐き気やだるさが続き、それが収まっている残りの1週間で子どもたちの世話をしなければなりません。そんな生活が約1年ほど繰り返されました。

白鳥 「髪の毛が抜けてしまったのが辛かったです。周りに悟られないように、帽子やバンダナ、ウイッグで隠していました」

自分の病気を周りに明かさず、日々を送る白鳥。そこには、彼女の優しさと、そして苦しみがありました。

白鳥 「死ぬかもしれないと思ったこともありました。抗がん剤が血管を通るとき、激痛が走るんです。ステージ4だったので、果たして治るのか不安でした。医師には『大丈夫だろう』と言われましたが……。

周りに心配を掛けたくなくて、仲のいい友人にも、誰にも言ってなかったです。何より、子どもたちを残しては死ねないというのがありました。次男も障害が残るということが分かっていたので、余計に心配でした。自分がもし死んだら、子どもたちはどうなるんだろうと」

治療に専念する日々の中で、彼女は自身の人生を強く意識します。

白鳥 「やり残したことがないように、好きなことをやらなきゃ、って。後悔のない人生ということを常に考えていました」

またこの時、人生への想いが変わったと、白鳥は当時を振り返ります。

白鳥 「まず親のありがたみが、その時に初めて分かりました。そして周りの人たちの温かさも。それがほんとに身に染みました。若いがゆえに『自分で生きてきました』という意識だったんですけど、苦しい時に手を差し伸べてもらったことで周りへの感謝の気持ちが芽生えて、自分の生き方もガラッと変わりました」

治療が終了し、髪の毛が生えそろってきたころ、白鳥は前向きな気持ちを取り戻していきます。最大の理解者である母親の協力の下、長男長女の学校のPTA役員も務め、部活動の付き添いや、遠征や大会にも行くなど、活動的に行動していきます。

病気の発症から5年を経て、体調も回復した白鳥は社会復帰を考え、総合病院で働き始めます。しかし職場では自身の病気、障害のある次男の話はしなかったと言います。

白鳥 「大変そうに見られたり、かわいそうだなと思われたくなかったんです。早退も仕方ないよねと見られるのも嫌で。みんなと同じ立場で働きたかったんですね。

けれど、どこかでやっぱり苦しかった。当時はありのままの自分じゃなかったのかもしれません」

そうした苦しみを、子どもたちが楽しく過ごしている姿や友人の励ましの言葉で解きほぐしながら、白鳥は今を精一杯生きていました。一方で、彼女はこの時期、先のことを考えることが多くなったと言います。

白鳥 「全介助が必要な次男の将来を考えると、時間が拘束されてしまう病院勤めは母親に何かあったときに対応できないと感じ、無理だと思いました」

白鳥は2018年、将来を見据えて重度訪問介護(重訪)の世界に足を踏み入れます。

決意が後押しする、自分の人生を肯定する勇気

重訪の業界に入った白鳥ですが、もともとは介護を仕事にするつもりはなかったと言います。

白鳥 「家でも仕事でも介護となると、ずっと介護になる。それに介護には暗いイメージも持っていて。心のどこかで、かわいそうだとか、そういう風に見られるんじゃないかという思いもありました」

それでも、白鳥が重訪を仕事にしたのは、次男の障害としっかり対峙していこうと考えたからです。

白鳥 「無資格未経験で入りました。障害のある子を持っている他のお母さんたちは、いずれ自分の子どもが介護を必要とすることで、小学校に上がる前の早い時期に介護の勉強をして初任者研修も受けていたんですけど、私はしなかったんです。

3歳くらいのときに障害者手帳を取るのも迷いましたし、前の職場でも、子どもに障害があることも言えなかったのは、やっぱり子どもの障害を受け入れていなかったからなんじゃないかって。どこかで、いずれは健常児に戻るんだとか、少しでも障害が軽くなるんだという思いがあって、息子の障害にちゃんと向き合っていなかったんだと思います。母親としては、これは諦めきれませんね」

白鳥は初任者研修に通いながら、毎回緊張しながら夜勤の支援に入ります。

白鳥 「はじめは顔拭き、歯磨きさえも難しくて、家族に対する介護との違いにほんとに悩みましたね。なんで、できないんだろうと。

けれど、ご利用者も優しい方が多くて、毎回、文字盤や指文字で更衣介助の手順を教えてもらえました。慣れるまでは大変でしたけど、ご利用者とコミュニケーションが取れ、ちょっとしたへまも笑って許してもらえるくらいの仲になれば、もう大丈夫(笑)」

白鳥は、持ち前の明るさと度胸、人懐っこいキャラクターで、ご利用者と心を通わせていきました。その後、介護職員実務者研修を終了し、コーディネーターに昇進。外出支援のみならず、プライベートでもご利用者と外出する仲になりました。

白鳥 「コロナ禍の前は複数のご利用者とプラネタリウムやいちご狩り、コンサート等に一緒に行ったりしました。娘を連れて行ったこともあります(笑)。

外出すると、ご利用者も明るくなりますし、ストレス発散になりますよね。途中ハプニングもあったりで、帰った時には疲れ半分、楽しさ半分。でも、『今日は楽しかったですね!』と無理やりにでも同意してもらいます(笑)。これはお約束ですね(笑)」

けれど、現場や介護スタッフの束ね役となって、白鳥には新たな悩みが出てきます。

白鳥 「スタッフが離職するときは、本当にへこみます。自分と同じ気持ちで働いていた人が、何かのきっかけで挫折してしまい、辞めてしまった時には、『やっと現場にも慣れてきたのに、ここで諦めてしまうなんて』と。私の教え方が悪かったのかなとか、厳しくしすぎたのかなとか、色々と悩みましたね」

白鳥はスタッフの悩みを聞き、必要があれば夜間でも現場に駆け付けます。「これ以上できません」と泣き出すスタッフをなだめているうちに、彼女は「東北のお母さん」と呼ばれるように。スタッフからの「頼りになります」という言葉が一番嬉しいとのこと。

白鳥が頼りにされる理由は、彼女の人を包み込むおおらかさ、そして度胸です。医療的ケアを怖がるスタッフに彼女はこう言葉を掛けます。「怖いのはすごくよく分かる。でも、だんだん慣れてくるし、集中力も付いてくる」

白鳥 「弓道と同じなんです。心を静めて集中する。しんとした中で、的を射抜くときに何秒か静止するんです。矢と的しか見ていない時間。それで集中力が付いたのかもしれません。今もたまに近くの武道館に行って、練習しています」

介護は自分を成長させてくれると、この仕事を始めてから感じるようになった白鳥。彼女は宮城をまとめるオフィスマネージャーに昇進。そして2020年11月に、株式会社土屋に入社します。

障害を持つ息子とともに歩む、「新人アテンダントの母」となる道

株式会社土屋に入社した白鳥は、同じくオフィスマネージャーとして、アテンダント(介護者)育成やコーディネーターのフォローに励む傍ら、医療的ケアの登録研修機関の担当もしてきました。仙台の組織作りも進退を繰り返しながらも出来上がってきたことで、現在は東北の土屋ケアカレッジの運営も任されています。

白鳥 「土屋ケアカレッジは、重訪を担うアテンダントを養成するための教育研修機関です。統合課程では、医療的ケア(喀痰吸引、経管栄養)の必要なクライアント(ご利用者)への訪問介護支援ができる資格が取得できます。受講生は、土屋に入る人も入らない人も含みます。

業務としては、受講生の受付から受講までのフォロー、講師の育成やシフト調整もしています。統合課程は3日間あるんですけど、3日目の集団実習では障害当事者が講師を務めます。実は先日、次男も登壇しました(笑)」

その他、土屋ケアカレッジでは、さらなるスキルの向上を目的とした新人研修や、2021年12月からは全国で一斉に実務者研修も始まりました。白鳥は翌年の東北での初任者研修開始を目指して、準備に邁進しています。そんな白鳥が考える未来とは。

白鳥 「私自身としては、アテンダントにとって、お母さんのような存在でありたいですね。あそこに行けばあの人がいるとか、安心できるような。

そして、一緒に働く仲間と共に、事業所を働きやすい環境にしていくことで介護業界の担い手を1人でも多く増やして、土屋の発展につなげていきたいです。土屋のMVVにある『小さな声』を探し求め、応え続けていくことが今後の目標です」

そして白鳥にはもう一つ、叶えたい夢があると言います。

白鳥 「息子の将来。これが一番考えるところです。私は先に死んでしまう。その時に、家族以外の方たちの手助けが必要になると思うんです。本人が楽しく生活できるようになればと思いますが、やっぱり不安です。子どもが生きている間は、私も生きていたい。それが正直な気持ちです。

だから、みんなでわいわい介護ができるようになればと願っています。土屋の取り組みが息子の明るい未来に繋がると信じています」

最後に、白鳥から、介護に携わろうか迷っている人へのメッセージを聞きました。

白鳥 「人対人のお仕事なので、いろんな人に出会って、様々な考え方とか生き方を知ることができます。それが自分の学びになったり、気づきになったりするので、まずは第一歩として、勇気をもって、統合課程を受けてほしいです。もしかしたら、あなたの天職かもしれません。実際、私にとっては天職でした」

人生の苦難を引き受け、何度も立ち上がってきた白鳥の、並々ならぬおおらかさと度胸に育てられたアテンダント達が一人また一人巣立ち、今日も誰かの「自分らしく生きる一日」を支えています。