雪深い故郷での暮らし~幼少期から介護・子育てまで~

ホームケア土屋 郡山(福島県)で2021年9月よりコーディネーターを務める皆川舞。福島県の雪深い地で育った彼女は、若くして介護に携わる機会が多く、高齢者介護を経て重度訪問介護へと移ってきました。その歩みの中には、いつでも皆川が大切にする「人」の姿があり、様々な経験や人との関りによって紡がれていく人生の輝きが映されています。

皆川 「私が生まれ育った只見は、福島と新潟の県境にある、山に囲まれた豪雪地帯の小さな町。川の脇にあって、今では人口も4000人を切っています。子どものころから冬は雪かきが日課でした。家の裏がスキー場で、よくそこでスキーをして遊んでいました。畑もあって、おやつはキュウリやトマトを丸かじり。お米の美味しいところです」

実家が下宿人を置いていて、教師や鉄道関係者が4、5人、常に周りにいたそうです。

皆川 「まかない付きの下宿で、ご飯も皆で一緒に食べていました。楽しかったですね、思春期の前までは(笑) 母が料理を作っていたので、私もずっとお手伝いをしていました。そのおかげで、食べることと料理が大好きになって、高校の頃は栄養士を目指していました」

皆川が栄養士を目指すきっかけは、もう一つ。エイズホスピタルに勤めたかったからだといいます。

皆川 「高校の時に本やドラマでエイズという病気を知ったんですが、当時はすごく偏見が酷くて。でも正確な知識があれば差別をなくせるし、苦しんでいる患者と対等に向き合える仕事に惹かれて、エイズホスピタルに勤めたいと思っていました。血を見るのが苦手なので、医療者ではなく、栄養士としてサポートできればなと」

皆川は郡山にある短期大学に進み、栄養士の資格を取得。しかし、折しも就職氷河期の真っただ中。栄養士の募集もほとんどなく、挫折を味わった皆川は、郡山にとどまり、訪問入浴の会社に入ります。

皆川 「訪問入浴では、オペレーターと看護士と私の3人で、ご利用者のお宅で入浴のお手伝いをするんですが、介護は初めてだったので、声のかけ方や、身体への触れ方などを一から教わりました。高齢者だけでなく、障害を持っている方もいたので、看護士さんに障害や病気についても色々と教えてもらえました」

皆川は訪問入浴の会社で2年ほど勤務した後、23歳で地元の同級生と結婚し、諸事情にて退職。その後、長男を授かり、地元の只見町へと帰ります。

変わりゆく人生の流れ

地元に戻った皆川は、義父母と同じ敷地内にある離れの2階を借りて暮らし始めます。

皆川 「義父母との関係はすごく良くって。いつも『舞、野菜何が欲しい』って畑から声を掛けられて、私が2階から『トマトが欲しい』って返すと、義母が採ってきてくれて。それを私が料理して、一緒に食べていました」

皆川は子育ての傍ら、地元の電気屋に就職。事務、販売のみならず、簿記の知識もない中、経理も任され、決算報告書を作るまでに。しかし、7、8年経った頃、体調を崩します。

皆川 「ちょうど離婚話が持ち上がっていて、身体を壊してしまって。パニック障害とうつの診断を受けました。その頃は、子どもを学校に送り出すのが精一杯で、仕事も辞めました。義父母はすごく止めてくれたんですが、結局、離婚という形に」

長男を一人で育てていくことになった皆川は、只見町にある小規模多機能型居宅介護施設で働き始めます。当施設ではデイサービス、短期入所、訪問介護と様々な形態がありましたが、冬は雪が2~3m積もり、大変だったそう。送迎に出ると、2時間は帰ってこられなかったといいます。そんな中、息子が地元の高校を3ヶ月で退学、皆川には新たな悩みが。

皆川 「息子が突然、学校に行かなくなってしまって。友達との接し方が分からないし、勉強にも付いていけないと。いろんなことが、いっぱいいっぱいだったみたいで。小さい時から独学でドラムを叩いていたので、音楽など様々なカリキュラムがある会津若松市内の通信制の高校に見学に行きました。すると、そこの学長が温かく迎え入れてくれて息子も喜んで転入しました」

とはいえ、高校までは只見町から車で片道2時間半。皆川は通学の可能な南会津町へと拠点を移すため、2年ほど勤めた小規模多機能施設を退社。友人の紹介で同町にある特別養護老人ホーム(特養)に入社します。

皆川 「南会津町はほどよく都会で、ほどよく田舎。都会に慣れるにはいい所だったので、そこに移ったんですが、よそから来た人を容易には受け入れないという独特の地域性があって、その点では少し苦労しました」

要介護3以上の利用者が入所する特養で、皆川は、自力で動けない人たちへの介護や移乗の仕方、ボディメカニクスなど、さまざまなことを学びます。

皆川 「専用の機械を使った入浴法も初めてで、ユニットリーダーや職員に、基礎から丁寧に教えてもらいました。みなさん、いい方ばかりで、どこの施設でも人に恵まれたのがありがたかったです。私、お金には縁がないんですけど、人には縁があるんです(笑)」

そうした中、息子は高校を卒業、郡山市にある音楽専門学校へ進学します。郡山市で一人暮らしを始めましたが、その年の夏、突然、不登校に。学校側からは広汎性発達障害ではないかと伝えられました。

皆川 「そのお話を聞いて、『なるほど』と思いました。小さい時から、一人遊びが好きだったり、会話もピントがずれてたり、成長が遅いなと、ちょっと変わってるなと思ってたんですが、ゆっくりとした子なので、個性だと思っていて、障害とは結び付かなかったんです。学校にも行っていたので気が付かず。今思うと、親に心配をかけまいと無理をしていたんだろうなと」 

その後、医師からは発達障害と知的障害、不安症の傾向もあると診断されましたが、学校の理解と協力、温かい対応の下、無事卒業することに。けれど、なかなか就職は難しく、皆川は息子のサポートをするために、4年勤めた特養を退社し、郡山市にアパートを借ります。

自分で選択し、人生を切り開く

郡山市に移った皆川ですが、息子とは離れて暮らすことに。その理由は、皆川が大切にしている「自分で選択する」ということの意義でした。

皆川 「まず、息子がこの先どうしたいか、どこに居たいか、自分で考えて決めることが肝心だと思って。まだまだこれからの人生は長いので、自分で決めない限り、動くことも難しいかなと。なので同じ市内にいても、口出しはせず、時々様子を見に行くくらいでした」

自分のペースで人生を歩む息子を見守りながら、皆川は、郡山市で重度訪問介護の仕事に就き、2020年11月、同じ重度訪問介護のホームケア土屋に入社しました。

皆川 「実は郡山に来た時、一旦介護を離れようかと思ったんです。特養にいた時に、医薬品登録販売者の資格を取っていたのもあって。でも、やっぱり介護の仕事ってすごく楽しかったし、ご利用者の顔が思い浮かんだりして、戻りたいなと。

重度訪問については、まるで知らなかったんですが、1対1でご利用者に向き合えて、時間に追われることなく、その人のペースや意思に沿って在宅生活をサポートできる。人って一人では生きていけませんが、誰かが手を差し伸べれば暮らしが成り立つ。それって素敵な仕事だなと思って。医療的ケアについては少し不安もありましたが、とにかくやってみようと思いました」

皆川はホームケア土屋に入社後、ALS(筋萎縮性側索硬化症)や筋ジストロフィー、脳性麻痺のクライアント(利用者)のケアに入り、食事・就寝・排泄・入浴の介助、そして見守りや医療的ケアなど、さまざまな業務をこなします。

皆川 「それぞれのお宅で、求められることが全く違います。クライアントが一家の母であれば、母としての役割を果たすためのサポートだったり、独居の方だと夜間に急変がないかの見守り、あと日常生活に必要なケアや、医療的ケアが中心となる現場もあります。クライアントの状況や障害の程度に応じて、お一人お一人の意向に沿った支援をしています」

皆川はなんと福島県内のみならず、他県にも支援に向かっていました。

皆川 「山形県にALSのクライアントが数名いらっしゃって、中には気難しくてアテンダント(介護者)の入れ替わりが激しいお宅もあったので、勉強にもなるし、行ってみたいなと。冬の雪のひどい日には車で3時間くらいかかりましたが(笑)」

さまざまなクライアントがいるからこそ、皆川は声のトーン、話し方や間の取り方、話の内容なども、現場ごとに変えるそうです。

皆川 「よくニュースを見られる方だと、私もその日のニュースを見て共通の話題を探したり、お話し好きなクライアントだと少し話を多めにしたり、テレビに集中する方だと気配を消したり。長時間勤務なので、クライアントの生活のペースを崩さないように、『私にできることは何だろう』っていつも考えています」

技術面でも、皆川はさまざまなことを学びます。

皆川 「クライアントの障害や、その日の状態によっても喀痰吸引の回数なども違うし、人口呼吸器を付けたままのオムツ交換では、今までの技術が全く通用しないのを痛感させられたり。常に悩みはありますが、それは私に与えられた試練だと思って、その時に応じて私のできる最大限のケアをしています。同じ現場は一つもないので、どこに入っても勉強ですね」

確かな技術の習得の上で、会話の糸口を探りながら、クライアントと少しずつ心を通わせていった皆川舞は、2021年9月、コーディネーターに昇格しました。

バリューの使い方

2021年10月現在、皆川はコーディネーターとして、郡山の5名のクライアントと、8名のアテンダントを率いています。

皆川 「今までは先輩の同行などで支援の方法を教えてもらいながら業務に当たっていました。けれどコーディネーターになると、新規の現場を自分が作っていく必要があります。クライアントやご家族との関係をしっかり築いた上で、他のアテンダントにノウハウを伝えていく。それがほんとに大変だなと。

私の支援の仕方がパーフェクトではないけれど、いいケアを継続していくために、もっと気を引き締めて、伝え方を工夫しなくてはという責任感が生まれました」

そんな皆川のやりがいとは。

皆川 「勤務を終えて、何事もなく、クライアントのペースで仕事ができたときですね。ちゃんとその人にとっての当たり前の生活をサポートできていたかなと、ふと考えたときに、クライアントの笑顔や姿、ご家族から『皆川さん来たから、よく眠れたよと』と言われたことなどを思い出すと、この仕事をやっててよかったと思います。命を支えているからこその緊張と、それが解けた時の安心感は大きいです。

日常を支えるって大きな変化があるわけではないけれど、自身のペースや意思で日々を過ごすことの重さを感じます」

性格的にも表立ったことが苦手という皆川は、自分の今後について、同じ郡山で働く仲間のサポートをしたいと話します。クライアントへいい支援ができるように、チームが一丸となれるよう頑張りたいという彼女は、土屋のバリューをとても大切にしています。

皆川 「何かに迷うと、いつもバリューに立ち返ります。どう対応すべきかをバリューに当てはめて、私の方向性が間違っていないかとすごく考えますね。特に、『水の流れのように柔軟に、弛むことなく』という項目が好きです。

例えば人それぞれ『普通』って違うし、その日の体調や気分によってルーティンの内容だって変わってくる。そういうことが現場で多々あって、そうしたとき、このバリューを見て、『この人には、このやり方でいいんだ』という固定観念を捨てて、柔軟に対応しなければって思うんです。でも、弛んではいけない。命を支えている重みを常に感じて、緊張感をもって、ケアしなきゃいけないって」

その気づきを得たのも、上司が「バリューは土屋の皆が同じ方向性で歩むために必要だ」と常々話しているからです。皆川は現場に入るときや人と接するとき、1日何度もバリューを見直しては、自分の間違いに気づき、自分自身を見つめ直し、人と向き合う前にまず自分と向き合うことの大切さを意識しながら、日々、クライアントの生活をより良いものにするために、支援に向かっています。