介護士になりたい!高校転入と仕事。そこに秘めた家族への想い

まだ24歳という若さで豊富な介護経験を持ち、現在ホームケア土屋和歌山のコーディネーター兼サービス提供責任者(サ責)として、営業での外回りやクライアント(利用者)やケアマネージャーとのやり取り、アテンダント(介護者)のシフト調整など、さまざまな業務をこなす竹本 礼奈。彼女は小学生の時から介護士になるのが夢だったと言います。そこには女手一つで育ててくれた母への想いが。

竹本 「私がまだ幼い頃、両親が離婚。母は介護士をしながら私と弟を育ててくれました。仕事から帰ると、今日はこんなに楽しいゲームをしてねとか、お話してくれて。その時の母の顔がすごく好きでした。デイサービスの送迎の時は、私も犬の散歩をしながら車に手を振っていました。そういう中で自然と介護士になりたいなって」

その後、福祉課のある高校に進んだ竹本。けれど、そこでの日々は座学が中心で、彼女は書いて覚えるより体で覚えたいと転入を決意。そんな中で起きた祖母の死。

竹本 「いきなり祖母の体調が悪くなって入院し、ずっと苦しそうにうずくまっていた。心アミロイドーシスという指定難病で、余命は1か月。私、ほんとに混乱して。ある時、祖母がベッドの上で座ろうとして、私、見てるしかなかったんです。そこに『手伝ってよ、介護士になるんやろ!』ってきつい言葉が。むかっときたと同時に、何もできない自分が介護士を目指していいのかとすごく悩みました」

それでも介護を志したのは、最期に『頑張りよ』と言ってくれた祖母の言葉。竹本は高校を退学して初任者研修の資格を取り、定時制高校に転入。日中は特別養護老人ホーム(特養)で働くことに。同社の認知症対応型グループホームやデイサービスでも経験を積んでいきます。そんな寝る暇もない日々の中で、ある時、隠していた年齢が発覚。突然、四面楚歌に。

竹本 「『自分の孫よりも若いやつに任せられるか』となってしまって。私のレクリエーションもお風呂介助も、送迎も全部拒否。本当にどうしていいか分からなかった。それまでは普通の関係だったのに、年齢だけでどうして?って。正直、逃げたくなりました」

さまざまな要因が重なり、胃に穴が何個も開いたり、円形脱毛症や摂食障害にもなってしまったという竹本。それを救ってくれたのは、ある利用者の言葉でした。

竹本 「『竹もっちゃん、今しんどいと思うけど、「置かれた場所で咲きなさい」だよ』って。それで、こんな状況でも、ここに置かれた限り咲いてみせるって心に決めて、がむしゃらに頑張りました」

その利用者の助けも借りながら竹本は勤務に励むうち、皆の信頼を得て役職関係も任されるように。しっかり「咲けた」と感じ、彼女はデイサービスを退職しました。

運命の出会い!沖縄の文化が教えてくれた新たな価値観

高校を卒業し、自身の成長を確信した竹本は、新たな世界に旅立ちます。

竹本 「知り合いが一人もいないところで、自分がどこまでできるのか挑戦したくて。それで、ちょっとの挫折では簡単に帰れない沖縄に行きました。結局、その時たまたま沖縄に行こうとしていた同僚と一緒に行ったんですけど」

沖縄で竹本は早速、有料老人ホームで働くことに。掛け持ちで居酒屋のアルバイトをするうち、いつの間にか酒豪になってしまったと言います。しかし、現地の言葉や文化に馴染んでいった矢先、二つの大きな出来事に見舞われます。

竹本 「夜勤明けで眠っていたある日、実家で飼っていた愛犬が突然てんかん発作を起こして、もうだめそうだと電話がかかってきて。頭の中が真っ白になりました。大阪に帰って見送れたけれど、すぐに帰れないことがほんとに怖かった。そして沖縄に戻った2日後に高熱が出て緊急入院しました。喉に腫瘍ができて何も食べれず、体重も10㎏以上落ちちゃって」

その度に乗り越えられたのは一緒に沖縄に来た友達のお陰だと言います。大阪に戻る準備や飛行機の手配、入院中はこっそりチャーハンを持ってきてくれたとのこと。そして竹本は、ここで大切な人と出会います。

竹本 「沖縄に着いてすぐ、家具を揃えようと行ったリサイクルショップで店員さんに一目ぼれで、通い続けました。1年間後、洗濯機を買い替えた際に運んでくれたのが彼でした。これはチャンスやと。今行かな、いつ行くのって、押しに押して。お食事まで漕ぎつけました」

そこで竹本が思い知ったのが「ウチナータイム」

竹本 「のんびりしてるんですよ。8時に待ち合わせたら8時に起きる感じで。だから2時間遅れるのは当たり前。沖縄あるあるですね。なので1回目はとってもおしゃれして、髪の毛も巻いて待ちましたが現れず。2回目は4時間の遅刻でしたね。まあ許そう、許す範囲だって。で、その日に告白したんですが振られました」

でも頑張り続けて、ついにお付き合いをすることに。彼を通して、竹本はより深く沖縄の風土に触れていきます。

竹本「沖縄ではご先祖様をすごく大切にします。お盆にはみなで集まってウチカビ(あの世で使うお金)やお供え物を一緒に燃やしたり、正月にはお墓でおせちを食べたり。どこにいても、お盆には沖縄の方向に向かってずっと手を合わせます。

あと『いちゃりばちょーでー』という言葉があって、出会った人はみんな家族だと。今、生きてる人たちも大切にするとの想いがそこにはあって。沖縄では施設でも家族のように愛してくれます。失敗した時は手を差し伸べてくれるけど、ちゃんと考える猶予もくれる。とても素敵だなって。そういった世界観に触れる中で感じ方もすごく変わりましたね」

障害者との出会い~初めて知る重度訪問介護の世界~

沖縄に渡って1年あまりが経った頃、竹本は以前より気になっていた障害者介護の仕事をしようと、重度訪問介護(重訪)の世界へと足を踏み入れます。けれど、高齢者介護とは異なる1対1の在宅介護の在り方に、初めは戸惑いを隠せませんでした。

竹本 「まず困ったのは長時間の見守りです。施設だと絶対に何かすることがありますが、重訪特有の1対1の見守りとなった時に、どうしようと。やっぱり何かしなきゃと思ってしまう。考えても考えても答えが出なくて上司に相談しました。

そこで言われたのは、見守りって、クライアントの時間なんだよということ。クライアントが黙っていても、ぼうっとしていても、それはクライアントの自由だと。だから自分主体じゃなくクライアント主体で介助しなきゃねと」

竹本は上司の言葉を胸に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)や筋ジストロフィーの方の支援の中で自分を鍛えます。その後、ホームケア土屋沖縄に入社。コーディネーターを務める一方で新たな悩みも生まれていきます。

竹本「現場に入ることが少なくなる中で、いかにクライアントの状態を把握するかですね。クライアントに関して一番知っていないといけない立場だけど、やっぱり実際に触れ合わないと分からない。聞いたり読んだりだけの情報収集には限界があります。だから定期的に会いに行くようにはしています」

沖縄での様々な人たちとの出会いや経験を経て、竹本は彼の仕事の関係で和歌山へと移住。コーディネーターとサ責の責務を担いながら、18歳の脳性麻痺のクライアントの夜勤に入っています。当初は表情に変化がなかったと言いますが、打ち解けていく中で笑顔も見られるように。

竹本「すごく嬉しかったですね!障害の方と接するまでの自分は、寝たきりだと表情も固まってて、お話ししても笑ってくれないだろうなと思っていた。でも間違いでした。私のモットーは1日ひと笑い。1日1回は、おなかを抱えるくらい笑ってほしいんです」

そのモットーも母から受け継いだもの。同じ介護の仕事に携わる中で、竹本は母のような生き方をしたいと語ります。

竹本「幼少期は母子家庭でしたが、寂しさやお金がなかった記憶はありません。でも実際はしょっちゅう水道やガスが止められていたらしいんです。母は私たちがそれに気づかないように、初めてのお使いみたいに銭湯や祖母の家に行かせてくれてたんです。

当時はよく玄関のドアノブにお野菜やお好み焼きが入った袋が掛かってたんですよ。母の友人が持ってきてくれてたそうです。母が言うには、私は周りの人に育ててもらったと。今こうして頑張れてるのも、祖母や母の背中を見て。やっぱりいつまで経っても母は私の憧れです」

介護は天職!「小さな声」に耳を傾ける日々から生まれたこれからの道

コーディネーターとしての業務の中で、竹本が大切にしているのは「小さな声」に耳を傾けること。

竹本 「コーディネーターの仕事は、クライアントはもちろん、アテンダント一人一人のことをちゃんと聞くことにあると思います。耳を傾ければ、色んな方向からクライアントの報告が聞けるので、自分が気づかなかった点も分かります。それがすごく勉強になりますね」

プライベートでは着物や香水が大好きで、数年前までは一点物の着物でよく京都を散策していた竹本。最近はご当地クマのぬいぐるみの収集がお気に入り。そんな彼女が話す自分の今後とは。

竹本 「コーディネーターになって少しずつ土屋のことが見えてきたかなって。だけど、もっと広い視野で物事を捉えられる人になりたいですね。上司みたいに色んなことを同時進行で考えて、完璧にこなしていく、そういうかっこいい人が目標。いずれはマネジャーにも挑戦したいです。でも寝る時間だけは確保したいかな(笑)」

最後に竹本から、これから土屋で介護に携わろうかと考えている人へのメッセージを聞きました。

竹本「土屋で私が好きなのは、長い時間を一緒に過ごすことでクライアントの色んな面を知れること。帰り際の『また来てね』の一言がモチベーションアップになりますし、他の人には見せない顔を見れた時、この仕事をやってて良かったなと思います。そして、つまずいた時には周りの人たちが手を差し伸べてくれる。重訪は直行直帰で孤独に陥りやすいけれど、人生の先輩として頼れる人がたくさんいて、頑張れば頑張るだけ認めてもらえます。一方で、心と体のメンテナンスはとても大切になります。お給料もいいし、お勧めです(笑)。

私自身、土屋に入ってほんとに良かったなって思います。ちょっとは成長できたかなって。20歳の時に、14歳の自分から手紙が届いたんですね。そこに、『今、中学3年の時の自分は、自分のことがあまり好きではありません。20歳の自分は自分のことが好きになってますか?』とあったんです。今までは、まだまだと思っていたんですけど、最近は『少しはましになったよ』って。土屋のおかげかな。ここで色んな人と出会えて、経験させてもらったからだと感じます。いつか恩返しができればと思います」