ホッケーに明け暮れた学生時代

清水は、2019年6月に株式会社アプラスの代表取締役社長に就任しました。

現在、清水はアプラス社長のほか、新生銀行常務執行役員個人ビジネスユニット長、シニアオフィサーグループ事業戦略などを兼務し、ビジネスリーダーとして多忙な日々を送っています。そんな清水は、学生時代にもキャプテンとしてチームをリードしていました。

経歴は根っからのリーダー。しかし、学生時代にはキャプテンになりたかったわけではありません。始まりは“なんとなく”だったのだと言います。

清水 「子どものころはおとなしい性格でした。中学で野球部に入ったのですが、キャプテンがしたいなんてまったく思っていなくて。たまたま先生に指名されて、なんとなく引き受けたのが始まりです」
清水 「高校から始めたホッケー部でも、なぜか『キャプテンはお前がやるんだよな』みたいな雰囲気でした。大学になってもそれは同じで、結局、中学から大学までずっとキャプテンを務めていました。自発的なものではなかったんですよ」

「やれ」と言われて引き受けたキャプテン。しかし清水は、学びが多い経験だったと振り返ります。

清水 「中学時代はあまり考えてはいなかったのですが、高校、大学と進むにつれて、もっと強いチームにしたい、どうしたら強くなれるだろうと考えるようになりました。
うまい人はどういう練習をしているのだろうとか、強いチームはなぜこういう練習しているのかとか、いろいろ考えるようになったんです。
強いチームが意味もない練習をしているはずはなく、絶対に理由があるはず。この頃に、どうしてだろうと考える癖がついたと思います」

「大学ではホッケーしかしていませんでした」 と言う清水は、大学を卒業した1990年に、日本長期信用銀行(以下、長銀)へ入行します。

清水 「銀行に興味があったわけではありません。でも『この銀行なら向いているんじゃない?』と勧めてくれる人がいらっしゃいました。
そして、いろいろとお話を聞くうちに、会う人皆さんが『こんなに凄いことやってんだぜ』と自分の仕事を語ってくれるわけですよ。
なんだかおもしろそうだな、と。大学ではあまり勉強はしていなかったので、面接ではクラブのことしか話しませんでしたが、『なんだか元気なやつがいる』と思われたのか、採用の通知をいただくことができました」

入行後、清水は法人融資を担当、その後いくつかの部署を経験しますが、並行して大学のホッケーチームに今度は「監督」として関わることに。その中で感じていたのは「チームづくり」の難しさ。短いスパンで結果を出す方法を模索する日々でした。

清水 「毎年メンバーが入れ替わる大学のチームは 1年が勝負です。 1年でどういうチームにしていくのか、どういう結果を出すのか。 1年という短い時間で成果を出して、それをどう継続させていくか」

そのために必要なのはチームが同じ方向を向けるような雰囲気の醸成。そこでの経験は、現在にも生かされています。

清水 「チームメンバーの気持ちを考えることは、非常に重要でした。学生はお金をもらってプレーしているわけではないですし、イヤなら辞めればいいです。だから、メンバーとチームをつないでいるのは気持ちだけなのです。
経験者もいれば初心者もいます。いろいろな学生がいて、ホッケーをする目的もそれぞれ違う中で、どうやって一人ひとりを生かしてモチベーションを高めていくか、どうやって軸を共有して腹落ちさせるか。
監督時代、ここは本当に勉強になった気がしています。ある意味プロジェクトですね。結果としてプロジェクトの進め方を学ぶことができました」

清水は銀行員、そしてホッケー部監督としての二つの顔で忙しい毎日を送っていましたが、1998年に大事件が起きます。長銀の経営破綻です。

順調に見えるキャリア。しかしそこに危機感を感じた

2000年前後、バブル後の日本の金融界は激変期にありました。メディアには連日、金融機関の不良債権処理、金融ビッグバンや規制緩和といったワードが飛び交っていました。

1998年の経営破綻に続く国有化の時期を経て、長銀は2000年3月、従来の枠組にとらわれない新しいタイプの銀行を目指し、「新生銀行」として再出発することになります。

2000年11月のある日、清水と数名の社員は個人業務部から呼び出されました。そして、「新生銀行は個人業務にも力を入れる。 2001年 6月の新生銀行の新たなスタートの目玉にするから、半年でクレジットカードをつくれ」というミッションを受けました。

清水 「クレジットカードをつくれと言われましたが、どうやったらいいのかわかりませんでした。だから誰かに聞くしかないわけです。そこで飛び込みで VISAカードに行きました。アポなしです。
『クレジットカードを出したいのですが、どうやったらいいですか?』って。今考えるととんでもない話ですね。でも、そこから始まりました。
会社をつくって、 VISAカードや貸金業のライセンスをとって、システムのテストも行って半年で発行にこぎ着けました。ムチャでしたけどおもしろかったですよ」

同じ時期、清水は、リテールバンキングの大きな施策である総合口座(パワーフレックス)の立ち上げにも参加しています。

清水 「新生銀行になって、今までの長銀とは違うやり方、そういうことを打ち出す意味もあったと思いますが、若手行員や女性にスポットを当ててサクセスストーリーを仕立てていくというのが、外資ファンドによる新経営陣のひとつのもくろみだったと思います。
私は当時 30歳そこそこで、そのイメージ戦略になんだかハマっちゃった、そういういうことだったのでしょう」

短期間で成果を出す清水は新しい経営層に重宝がられました。大きな仕事を任され、結果として飛び級で昇進もしました。キャリアは確実に軌道に乗っていました。しかし、天狗になっている自分がいることも自覚していたと言います。

危機感が、顔を覗かせました。

清水 「実をいうと、内心は怖かったです。期待に応えなくちゃいけないと思って無我夢中で頑張るのです。
でも、先輩を飛び越していい気になっている自分も見えるので、『これでいいのかな。このままいいように使われていてはダメになるのではないか』 そう心のどこかで感じてもいました」

新生銀行リテールバンキングの目玉としてクレジットカードをリリースしたのが2001年6月。そのわずか半年後に清水は転職を決心しました。

コンビニエンスストア業界で学んだ、「潜在的なニーズを探り当てること」

飛び込んだのは、コンビニエンスストア業界でした。

清水 「ご縁があったということだと思います。ここに行きたいとか、こういう仕事がしたいとか、そんなことは一切ナシに行ってしまいました」

当時、金融規制緩和の中で、インターネットバンキングなどの新しいかたちの銀行が次々に生まれていました。コンビニエンスストアに銀行ATMが置かれ始めたのもこのころですが、コンビニATMは黎明期で、まだまだ人々のライフスタイルに根付いたものではありません。

転職先での清水のミッションは、コンビニATMの稼働率を上げること。当時20件程度だった一日あたりの利用数を60件までもっていくように指示されます。

清水 「これがお前の仕事だと言われたのですが、『どうやるんだ?』って感じですよ。
まだ一部のお店にしか ATMが設置されていない時代で、設置しているお店を回ってもオーナーさんから『このスペースがあったらほかの商品を並べられる。邪魔だから持って帰ってくれ』と言われたこともありました」

まず考えたのは、提携の銀行を増やして利便性を高めた上で、利用手数料をゼロにして利用を促進するキャンペーン企画でした。

清水 「この企画は一定の効果はありました。でも手数料ゼロのキャンペーン期間が終わった途端に利用件数がガタっと落ちてしまいました」

どうやったら手数料を払ってでもコンビニATMを利用しようと思っていただけるのか。コンビニATMを利用することの価値とは何なのか。日々の暮らしの中でコンビニATMを利用することを当たり前の習慣にするにはどうしたらいいか。

試行錯誤の中、清水はひとつの答えを見つけました。

清水 「ずいぶんお客様の声もお聞きしました。
見えてきたのは “便利さ ”と “安心・安全 ”でした」

コンビニエンスストアは、いつでも必要なものが買える便利な場所です。そういう便利な場所であるはずのコンビニエンスストアで、ATMだけが一部の店舗にしか設置されていないのはひとつの“不便”で、どこのお店に行ってもATMがあって初めて“便利”になる。しかも、明るく清潔なコンビニは安心・安全な場所。

「いつでも、どの店舗でも利用できて、しかも安心・安全」をお客様への提供価値に定めた清水は、「 ATM全店設置」という大胆なプランを提案します。

当初、社内で全店設置はなかなか受け入れられませんでしたが、まず九州地区からパイロットを実施、徐々に効果が出始めます。九州から中国地方へ、さらに関西、四国へ拡がり、利用件数も目標だった一日60件を超えて、100件以上という店舗も現れ始めました。

清水 「お客様の視点というのは二つあると思います。ひとつは『こんなのがあったらいいな』、もうひとつは『これが当たり前だよね』
個人のニーズというのは難しいです。潜在的に隠れている “私のニーズ ”は誰も知らないことですから」

今では当たり前になっているコンビニATMですが、もしかすると裏側にはこんなのがあったらいいな、というニーズが隠れていたのかもしれません。

その後、清水はIT系企業に2度目の転職をし、新銀行立ち上げからオペレーション構築、クレジットカードや電子マネーなど決済ビジネスにも携わりました。

さまざまな経験を経て、一回りも二回りも大きくなった清水。そして2012年、新生銀行に戻ることになったのです。

これからも、オペレーターであり続ける。そしてマネジメント。

清水 「本当に今回もご縁です」 

“ご縁”に導かれ、古巣である新生銀行に戻ってきた清水。二度目の新生銀行での活躍の場として選んだのは、リテール分野。

顧客に寄り添うためにデータを意識したしくみづくりを心掛けていると言います。

清水 「 IT企業からの繋がりかもしれませんが、新生に戻ってからはインターネットの使い方をずいぶん変えてきました。
ひとつの例ですが、最近のお客様は問い合わせをされる際、必ずホームページをご覧になっています。問い合わせ前にどのページを見ていたか、ここを把握するとスムーズなお答えが可能になる。そういうしくみをつくってきました。
少し違う例ですが、たとえばコンビニ店舗のレイアウトだって、なんとなくつくっているわけではなく、お客様の動線を考えています。裏側にはデータに基づく設計があるのです」

清水はまた、「疑うことが大切」だと言います。

清水 「 『なんでこうしているの?』 そういう疑問を持つことが大事です。たとえば、このミネラルウォーターのペットボトルは、どうしてブルーのキャップなの? だとか。
そういった些細なことにすら理由を求める姿勢が大事だと思っています。ブルーにしたのには必ず理由があるはずです。
『なぜ?』と問い続けていくと、おのずと誰かの動機がわかってくる。クエスチョンマークがビックリマークになる。どんなことでもそうだと思います」

清水は大学ホッケー部を“プロジェクト”だと言いました。清水のこれまでのキャリアはまさにプロジェクトの連続でしたが、それはなにか新しいものをつくっていくプロセスをマネジメントすることなのかもしれません。

清水 「ずっとプロジェクト屋です。やれと言われたことをやるオペレーターですね」

新しいものをつくるオペレーターは、常に「なぜ」を繰り返しています。また、清水はアプラスというステージでも、「あたらしいこと」をやっていきたいと言います。

清水 「アプラスのメイン商品であるショッピングクレジットやクレジットカードは、ある意味完成された商品で、これが変わっていくということをわれわれはあまり考えていませんでした。
しかし、ここにきて AIの発達などで世の中は急激に変化してきています。
アプラスはこれまで B to B to Cのビジネスをやってきましたが、 B to B to Cのモデルを、 Cというお客様の立場から見たときに何が起きるか。そこにはものすごいポテンシャルがあると思っています」

視点を変えることでどんな新しいことが生まれるのか。

新たな価値創出をマネジメントする──。  オペレーター・清水のチャレンジは続きます。