「仕事が大変なときは、楽しめるポイントを探そう」友人のアドバイスが糧に
私は2022年11月現在、大きくわけて2種類の業務に携わっています。
ひとつは、ネットワークの保守・運用業務。お客様から機器に関する問い合わせをいただいたとき、質問事項に対して回答したり、問題を調査したりするのが、主な仕事内容です。当社のパートナーの方と一緒に、手を組みながら対応にあたっています。
もうひとつは、クラウドプロキシサービスの導入業務です。私は2019年に、当社で初めてクラウドプロキシサービスの導入を手がけました。以来、同様の案件を毎年担当しています。2019年に最初に取り組んだ際のクライアントは製造業のお客様でしたが、その後、病院や他の製造業のお客様を相手に事業を拡大。年々、複雑な機能を導入するようになっています。たとえば「ログ転送」という、クラウド上のログをお客様のシステムに転送する機能を実装させるなど、機能を拡大しています。
私は、いわば当社におけるクラウドプロキシ導入の第一人者です。それもあり、現在ではプロジェクトのリーダーを務めています。仕事全体を回すことはもちろんですが、新人の教育も私の重要なミッション。新人に仕事を振りつつ、クラウドプロキシの機能全般を理解してもらえるよう、努めています。新人の皆さんにいつも伝えているのは、「大変な仕事でも楽しむ」という姿勢。これは、かつて私自身が仕事で大変な想いをしていた時期に、社外にいる友人からもらったアドバイスに基づくものです。「今の大変さにフォーカスをあてるのではなく、プロジェクトを通して自分が何をできるのかを考えたほうがいい」と、友達が教えてくれたのです。以来私は、どんなに忙しい状況にあっても、自分にとっておもしろい点を探し、モチベーションを高めるようにしてきました。
新しいことに取り組むときは苦労がつきものですが、新人の皆さんには、プロジェクトごとに楽しめる部分を見つけながら、頑張ってほしいです。いつかは、新人だけで、クラウドプロキシを構築できるようになればと考えています。
この会社なら、やっていける。面接のときに感じた「人の優しさ」
私は、小学生のころから、コンピューターやインターネット関連の分野に興味を持っていました。きっかけは、父からコンピューターをもらったことです。初めて機器を手にしたときのうれしさは、今でも忘れられません。そのころから、将来はコンピューターに関わる仕事ができたらと、漠然と考えていました。しかし私は、勉学では完全に文系。そのため、情報系の学部には入ることができませんでした。中国の大学で日本語の勉強をし、その後、日本の大学院に進学。当時は地域の教育問題について研究しました。大学や大学院で勉強していたことは、現在の仕事とはかけ離れています。
ただ、日本の就職先を調べていくうちに、文系でも情報処理の仕事ができることがわかりました。ようやく自分の夢に近づけるのではないかと、嬉しかったです。日本の情報処理系の企業を考える中で「NEC」の名が浮かび、当社にエントリーシートを提出。縁あって、内定をいただきました。
就職活動の際はいくつかの企業の採用面接を受けたのですが、当社は、人事の皆さんの優しさが印象的でした。今でも忘れられないのが、三次面接で応接室に入ったとき、人事の方が、すぐに私の名前を呼んでくれたこと。「どうして覚えてくれているの?」と驚き、感動しました。さらに、面接を待っている間には、別の人事の方が、まるでお姉さんのように「中国にいるご両親は心配されていないですか?」と気にかけてくれました。会社の顔である人事の皆さんがこんなに優しいのなら、きっと他の社員の方々も優しいのではないか。そう思ったのが、入社の決め手でした。
お気づきのように、私は入社時点では、プログラミングを専門的に学んだことがありませんでした。趣味程度に触ってはいたものの、未経験に近く、不安は大きかったです。しかし入社後のサポートが充実していて、すぐに安心できました。3年間、先輩がサポーターとしてつくという制度があったほか、わからないことがあればサポーターの先輩以外にも聞ける環境でしたし、1年目のころは何もわからない状態で現場に出ましたが、先輩がいつもそばにいて、私はその業務を横で見ながら吸収しました。同時に自分でも、勉強会に参加したり、本やインターネットで学びを深めたりしました。
入社2年目になるころには、いろいろな業務を自力でこなせるようになっていました。先輩には、心から感謝しています。
「期待に応えたい」という気持ちをモチベーションに、困難な壁を越えた
2019年、私は当社で初めてとなる、クラウドプロキシサービスの導入案件を担当しました。もともとクラウドプロキシに詳しかったというわけではありません。お話を受けて初めて、そのような製品があることを知ったくらいです。では、なぜ私が担当することになったのかというと、英語スキルがあったから。クラウドプロキシの構築用マニュアルがすべて英語で書かれていたので、英語が読める私が担当したほうがいいと判断されたのです。スキルを持っている人が社内には誰もいない中で、Webページなどに頼りながら、ゼロから学んでいきました。
こうして社内で初めて、クラウドプロキシサービス導入を手掛けました。同様の案件が毎年続いていて、今ではプロジェクトリーダーとして働いています。
2020年には、大規模クライアントに対する導入事業を行いました。国内約300拠点、アメリカをはじめとする海外4拠点、計20,000人以上のユーザーに対して、導入を行う大仕事でした。アメリカへの導入の際には、認証基盤の設定がうまく行かず、時差がある中で深夜にビデオ会議をつなぎ、リモートで設定をしたこともありました。
当初、当事業は4カ月かけて行われる予定でした。しかし途中で都合が変わり、2カ月で完了させる必要が生じるという、危機的状況に。納期が半分になったこともあり、日々業務と向き合うような状況が続きました。全拠点とのコミュニケーションを私がメインで対応するなど、思い返すと本当に大変でしたが、自分自身、大きく成長できたと思っています。
リーダーという立場なので、「納期までに納品できなかったらどうしよう」という不安を常に抱えていました。しかし社内でも私しかできない仕事内容なので、仮に私が投げ出したら、納品自体をあきらめることになってしまいます。だから、プレッシャーに負けないように、自分に何ができるのかを必死で考えました。当時、「当案件がうまくいけば、海外拠点にも同製品の導入を進める」という話がありました。私が成果を上げれば、事業部にとって大きな実績になるという環境だったのです。自分に大きな期待がかけられていること強く認識し、期待に応えたいという一心で、モチベーションを高めました。「達成すれば、成功体験になる」「上司にもアピールできる」など、楽しめるポイントを自分なりに探り、ひたむきに取り組んだ毎日でした。
誰も知らないことに挑戦するのは、本当におもしろい。今後も挑戦を続けたい
リーダーという立場のプレッシャーにまみれながらも、2カ月間で無事に納品することができました。後に営業の方から聞いたのですが、お客様が「こんなに短い期間で、このような製品をうまく導入してくれてありがとう」とおっしゃっていたそうです。それを知ったときは、涙が溢れました。つらいこともあった分、感動と強いやりがいを感じた、忘れがたい経験です。諦めずに最後までやり抜いてよかったと、心から思っています。
このプロジェクトを機に、自分の中に大きな自信が生まれたのを感じています。もし、今後同じような案件を任せられたとしたら、自信を持って「できます」と言えます。以前の私なら「できますか?」と聞かれていても、「すみません、無理かもしれません」と言い淀んでいたと思うので、自分自身に前向きな変化を感じています。
私が描いている今後のビジョンは、まずは第一人者として、社内にクラウドプロキシの技術を広げること。グループメンバーに向けた勉強会を開催するなど、メンバーの皆さんに技術を伝えていきたいです。この技術を社内に広げられたら、私はそこでクラウドプロキシの分野から抜け、また新しい製品の勉强を始めたいと思っています。まだ当社が取り組んだことのないようなまったく新しい製品の知識をつけ、腕を磨き、自分のスキルを社内に共有していきたいです。重要な仕事をたくさん任せてもらっている今の環境を、うれしく思っています。また、働きやすさも感じています。今は新人が入ってきたタイミングなので、午前中は毎日出社してフォローするようにしていますが、今まではフルリモートで働いていました。仕事内容によって柔軟に働き方を変えられる会社です。
誰も知らないことに挑戦するのは、本当におもしろいことです。0だった知識が1になり、1が2になりと、ひとつずつステップアップしていく過程に、達成感を覚えます。自分なりの楽しさを見つけながら、これからも、未知の分野を切り拓いていきたいです。