金融×テック×デザインで価値をつくるJDD

Japan Digital Design株式会社(以下、JDD)は株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、MUFG)傘下の会社で、2017年10月に創業しました。もともとは三菱UFJ銀行内で、新規事業開発部署として立ち上がったイノベーション・ラボでFinTechやIoTなどの事業を行っていましたが、スピンオフして独立。

以来「金融の新しいあたりまえを創造し人々の成長に貢献する」をミッションに金融を主軸としてさまざまな事業を展開しています。

現在は中小企業向けのレンディングサービス「BizLENDING」や、個人向け保険ロボアドバイザー「みんかぶ保険」などをパートナー企業と連携しながら提供しており、金融事業との掛け合わせのサービス開発に力を注いでいます。

独立したばかりのころは今よりもさまざまな事業体、たとえば健康管理アプリやブロックチェーンを使った自動車向けキーレスアプリ、インバウンド向けメディア事業にチャレンジしたこともありました。ただ、やはり僕たちの強みは金融のバックグラウンドや顧客基盤を得ている環境です。それらを生かしたソリューションを提供したいと考え、現在のような“金融×テック×デザイン”の業態を目指しました。

実は「BizLENDING」立ち上げ当初、銀行内では非対面融資のニーズを疑問視する声も聞かれました。なぜなら金利設定がとても高いと。金融業界では「金利を下げてこそ」との考えが浸透しているので、なかなか受け入れられなかったのです。

ところが、実際リリースしてみると申込数の伸びは順調でした。金利は高いですが、資金調達までのスピードがとても早いので、新型コロナウィルスの影響など、資金繰りに悩みを抱える中小企業の方にご活用いただいています。

このように、MUFGグループだからこその金融業界での知見や顧客基盤を生かしつつも、小さな組織だからこそチャレンジングな事業に挑戦できるのがJDDの強みです。今回は、僕の考えを少しでも多くの方にお伝えできたらと思います。

プログラミングから一転、金融業界へ

振り返ると僕自身、新卒でMUFGに入社できたのはとても幸運なことだったなと感じています。学生時代を振り返っても、僕と金融業界の接点はほとんどありませんでしたから。

小さなころの記憶をたどる限り、初めに興味を持ったのはプログラミングでした。小学4年生のころにファミリーコンピューターに出会い、ゲームに熱中するようになりました。その後IT雑誌の月刊アスキーを手に取り、自らコードを書いてゲームをつくり始めます。朝一で家電量販店に向かい、展示されているパソコンに自分で考えたプログラムを打ち込み、形にする日々を過ごしていましたね。

そのままの流れで、パソコンパーツやジャンク品などを秋葉原の電気街で手に取り組み立てるような中学時代を経て、形あるなにかを作ることに強い興味を抱き、建築を学ぶため工学系の大学へ進学。最後は都市開発や公共政策に必要な“社会工学”を学びました。

就職活動の時期になっても金融業界は考えたこともなく、当時は商社を中心に歴史に残る街や事業をつくりたいと考えていました。ところが、僕の通っていた大学のOBのひとりが銀行に就職しており、話を聞く機会が幾度かあったんですね。そこで転勤や部署の異動によりさまざまな経験を積める銀行マンの働き方やキャリアについて知り、「結局はやりたいことが決まってないから幅広い方を選ぼう」と入行を決断しました。

入行後は小売・外食担当のアナリストとして7年ほど働き、その後、経営企画部で取締役会の事務局や中期経営計画の策定などに従事。アナリストとして働く中で1000人を超える経営者と対話する機会があったので、細かな事業レベルの話から経営レベルの話まで幅広い話を伺うことができました。また、企画のときには、限られた時間と情報の中で「物事を決める」という感覚を経験しました。

その後、新規事業のひとつとして企画したサービスを事業化することになります。これが僕にとっての1社目の創業に当たります。電子手形による決済サービスで、ありがたいことにとてもスケールしましたね。事業立ち上げから顧客開拓、広報までをマルチに経験できました。その後、より経験値を積みたいと思う中、ちょうどそのタイミングでイギリスに留学する機会にも恵まれました。

それがまた転機となり、向こうでinnovationやstartupの必要性を体感することができました。帰国後、その体験を生かし、国内のstartupの支援、VC出資や大企業とのマッチング、シリコンバレーのパイプづくりなどに励む中、FinTechブームが訪れます。FinTechについても詳しいはずだと思われた僕は、イノベーション・ラボの初代室長に就任することに。

イノベーション・ラボはJDDの前身に当たる組織ですが、当時はなかなか銀行の枠組み・人材の中で事業化できるビジネスがつくれずに苦戦を強いられていました。そこで、当時の頭取に「社内組織を潰すか、スピンオフするべきです」と提言したんです。イノベーション・ラボでは年間3〜4億円ほどの経費を使わせてもらっていたんですが、この枠組み・人材では事業化できていない。大いなる無駄遣いだなと思ったのです。

大企業は相応に胆力・体力のある組織なので、トップは挑戦を後押ししてくれる環境はあるんですが、大事なのは自分が当事者としてそこを踏み切れるかだと、大企業とstartupの連携を通じて、日頃、感じていたんですよね。だからこそ、頭取が「それならスピンオフしてやってみたら?」とかけてくれた一声を受け、そのまま独立することを決めました。

トップに立って初めて知る「組織」の難しさ

スピンオフを最終的に決断できたのは、学生時代に抱いていた「リアルで使われるものや、何かの役に立っているものがつくりたい」という想いがあったからでした。

生活する人の役に立っている、そんな実感を持てるものを自分の手で生み出したかったんです。でも、イノベーション・ラボで経験したのはあくまで「実証実験」でしかない。それならスピンオフして独立した事業としてやってみようと思えたんです。

また、経営企画部時代の経験や1社目の事業化の経験もスピンオフを決断する大きな後押しになっていました。経営企画部ではトップの苦労や悩みをそばで見ていましたし、1社目の会社では、No.2の立場でしたが、日々会社を回す感覚がありました。

「責任を取るとはどういうことか」を横で見て、小さな会社で経験していた分、それを理解した上で独立する覚悟も実感として腹に落ちていました。何より好奇心が強かったので迷うこともありませんでした。

ただ、JDDを立ち上げてトップになってみて一番大変なのはやはり「人」、すなわち採用や組織編成でした。初期は運良く現CTOの楠 正憲がジョインしてくれて順調でしたが、そこからしばらく採用ができない時期が続きましたから。

僕も楠も大企業の出身なので、給与や待遇などをしっかりと整備すれば自ずと採用はできると思っていました。ところがとんでもない。半年間ほどは採用ができないままに月日だけが過ぎていきました。誰からも見向きもされない“無関心”の時期はとても辛かったです。

また、採用が少しずつ軌道に乗ると次に当たるのはマネジメントの壁です。20人、30人ほどの組織になってくると、僕自身がすべてを把握することは困難。だからマネジメント層に僕の想いや考え方を浸透させられるよう、1on1や経営合宿などを行う機会を設けていきました。

優秀なメンバーは他の会社の方も欲しがるので、人が離れていってしまう時期も訪れます。そういう意味でも、組織に風土をつくるとかカルチャーを生む必要性を強く感じました。

スタートアップへの支援を長く行ってきた経験上、スタートアップの90%はうまくいきません。だからこそ、終身雇用を主としない組織体制にもしたいですし、一度離れた人がまた戻れるような場でもありたい。人の流動のエコシステムの創生は僕たちのこれからの課題だなと思います。

閉鎖的な金融業界でJDDだからこそ提供できるソリューションを

JDDにはさまざまなバックグラウンドを持つ個性的なメンバーが多いこともあり、メンバーと話をしていると次々とビジネスのアイデアが生まれてきてしまうので、マネジメント層のメンバーに「上原さん、もう少しアイデアを絞ってください」と怒られることすらあります(笑)。

現在は、あくまで個人としてですが、とくにシニア層、50〜60歳代の方に向けたデジタルサービスを開発していきたいと考えています。新型コロナウイルスの影響、地方の過疎化などが深刻化していくこれから、デジタルネイティブではない世代に向けたデジタルサービスの需要は必須だろうなと思うので。

JDD全体としては、まだ世の中に数多くあるペインポイントに対してのソリューションをしっかり提供していきたいという想いが強いです。やるからには役に立つものをつくりたいですし、手触り感のある体験を届けていきたいなと。

ただ、JDDの強みはtoBビジネスだと思うので、中小企業や後継者不足の業界に対してアプローチできると良いのかなとは考えていますね。ちなみに、今もすでに三菱UFJ銀行と手を組んで声や映像のみに留まらないオンラインでの“伝達体験”を実験している最中です。

金融業界はまだまだ閉鎖的な業界です。普通のことをするだけでイノベーションだなんてすぐに言われますから。

でも、だからこそ僕たちが金融を軸に事業をつくる意味があるんです。自分たちがゼロからつくる事業がスケールしていく瞬間の感動を、これから先もメンバーと一緒に見続けていきたいです。