コミュニケーションが減ったコロナ禍でも、社員をつなぐ媒介に

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私は、2019年1月にゼネラルパートナーズ(以下、GP)へ入社し、広報を担当しています。入社当時は、8名が所属するブランディング統括局と呼ばれる部署で主に広報に関するアシスタント業務を担っていましたが、のちに組織体制が変わり広報室がつくられてからは、私を含め3名での運営体制になりました。

私の担当業務は、プレスリリースと、TwitterやFacebook、noteなどのSNS発信、talentbookの制作支援など、社内にあるさまざまな事柄をテーマに適したかたちで社内外に届けること。「“障がい者雇用”といえばゼネラルパートナーズ」と第一想起してもらえるよう、社外での認知を上げながら、自分の会社が好きだと思える社内のファンも増やすことを目指して取り組んでいます。

ただ、コロナ禍になってからは社員同士でコミュニケーションをとる機会が減り、現在のように最低月2回のプレスリリースを打てるほどの情報がコロナ禍以前よりもさらに広報に集まりにくい環境になってしまいました。そこで、社内の仲間から「こんな情報があるよ」と教えてもらえるような流れをつくるため、広報室の戸田を中心に、毎月のオンライン勉強会や、バーチャルオフィスのスペースを利用して顔を合わせながらお酒を楽しむ“居酒屋広報”を企画・開催してきました。

勉強会では、障がいのある方や高齢者、小さい文字が見えない方など、誰もが見やすいホームページやチラシのつくり方をデザイン室の伊原に解説してもらったり、障がい者手帳を取得しGPで働いている人事企画室の宇治川には、取得した経緯や取得する難しさなどを話してもらったり。私自身も毎回とても勉強になっています。

こうした企画に参加してくれた人たちに積極的にコンタクトを取る中で、他の部署からも「今度こんなセミナーがあるからプレスリリースを打ってほしい」といったような連絡がもらえるようになってきました。私は人見知りをしないので、「この人に興味がある」と思ったら、ひとまず連絡してみます。そうした性格も今の仕事に向いていると感じています。

出産を機に芽生えた「社会を変えたい」という想い。制作会社からGPに転職するまで

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前職は報道番組専門の制作会社で、12年間、毎日放送されるニュース番組の編集をしていました。映像編集業務は、黙々と作業することが多く、夜勤もある仕事で思った以上に体力のいる仕事でした。何度もやめたいと思ったこともありましたが、先輩と後輩の仲が良くて、14時始業のシフトの場合は0時近くに終わるので仕事後に飲みにいくようなことも多いときには週2~3回あったり……。職場の人間関係や雰囲気が合っていたので、12年間も働き続けられたのだと思います。

やめたいという気持ちを持ちながらも12年も続けてきた職場を離れる転機になったのは、出産でした。

初めての子育てをする中で、子どもが泣き止まず近所迷惑になっているんじゃないかと心配になったり寝不足が続いたりする日々で毎日不安でした。今思えば赤ちゃんは言葉にできないから泣くわけで、気にすることはないと思えますが、当時はそんな余裕もなかったですね。子育て当事者になって今まで見えていなかった子育てに関する行政のサービスが子育て世代の要望やニーズとマッチしていないことに気づき始めました。たとえば、妊婦検診の助成券を使っても血液検査をすると別で1万円くらい費用がかかったり、区境に住んでいると、近くに利用できる保育園がなかったり。また、子どもの貧困や虐待など子どもを取り巻く問題が他人ごとではなくなりました。

市民の立場から行政に意見を伝えたこともありますが、当然ながらすぐに解決させるのは難しいですよね。これを変えるには「私が行政に携わったほうが早い」と思い、新しい活動にチャレンジすることにしたんです。ただ、マスコミは政治的に中立性を保たなければいけないため、退職を決意しました。

結局、思い描いていた活動の実現はかないませんでしたが、落胆する間もなく、ふたたび保育園の問題が浮上しました。無職になってしまい、基本的に保育園は働いていることが前提なので「お母さんが働いていないと保育園を利用することができません」と言われてしまったんです。そこで、必死に仕事を探していたとき、友人であり現在の広報室長でもある佐藤から声をかけてもらったことがきっかけで、GPに入社することになりました。

入社してみてまず感じたのは、子どもがいても無理なく働ける環境があること。夜勤があるなど不規則な勤務だった前職とは全く違った働き方でした。業務に慣れてきたころから、「保育園の送り迎えもあるし、在宅勤務してもいいよ」と言ってもらえて、GPはコロナ禍の前からリモート勤務できる体制が整っていました。

社内のオンラインミーティング中に子どもがちょこっと入ってきても、「あ、かわいい〜」という感じで子どもきっかけの雑談が生まれたり、子どもの体調が悪く保育園に行けない日は、自宅で子どもを見ながら仕事をさせてもらったり。私にとってはそんな働き方が当たり前になっていますが、ほかのママたちに聞くと、GPは本当に子育て中でも働きやすい体制が整っていることをあらためて実感しました。

「見てわかる障がい」だけが障がいじゃないことに気づき、変化した価値観

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▲広報室の戸田と

入社後、これまで自分が障がいについてほとんど何も知らなかったことを知り、強く衝撃を受けました。

GPに入社するまで、障がいのある方と関わる機会がほとんどなかったので、就労移行支援事業所の見学会に参加させてもらって利用者たちの能力の高さを目の当たりにし、病気の症状や配慮してほしい点を聞かせてもらう中で、私が持っていた障がい者のイメージが一気に変化していきました。

たとえば、健常者でも、コミュニケーションがうまくとれなかったり、仕事がその方に合っていなくて毎回のようにミスしてしまったりすることもあります。それまで漠然と抱いていた、「障がいがある方は働くことが難しい」という考え方がいかに間違ったものであり、無知ゆえの偏見を持っていたことに気づきました。

また、身体障がいなど、目で見てわかる症状の場合は障がい者だとわかりますが、精神障がいや難病など目で見てわからないけどなにかしらの症状を抱えている方もいることも知りました。ほかの社員に比べて知識が足りないことはいまでも課題に感じています。障がい者雇用率が改正されるスパンが以前よりも短くなっていますし、労働時間が週20時間以内の障がい者も雇用率に含む方向で検討されているなど、自分から情報を取りに行ってアップデートしていかないと業務をすすめることができません。

営業担当の中には、「次はこうなるだろう」という予測を立てながら動いている社員もいるので、私も障がい者雇用や障がい者関連のニュースに目を通したり、戸田が共有してくれる情報を見たりしながら、積極的に情報を得て日々勉強ですね。

こうして障がいに関するニュースやトピックなどの情報を収集していることで知見が深くなり、日常の中でも見える景色が変わってきました。

たとえば、障がいのあるお子さんのママから悩みを打ち明けられる機会があったときに、以前だったらピンと来ないまま話を聞くだけでしたが、今は自分の中で意見やアイデアが浮ぶこともあります。

社会に対してインパクトを与えることも大切ですが、こうして身近な友人に寄り添えることにも喜びを感じています。

障がいを身近に感じていない人にも届く切り口で、日頃から発信し続けたい

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私自身が広報として大きな成果を残せたという実感はまだないのですが、あるメディア交流会で出会った記者さんが、しばらく経ってからGPが運営する就労継続支援A型の“アスタネ”に興味をもち連絡をくださって。 

プレスリリースは、1回打てばそれが記事になるというものではありませんが、プレスリリースを何度も出す中で、記者の方にGPを知ってもらったり、障がいをテーマにした企画を組むときに、「そういえば……」と思い出してもらえたりするような存在になれる手段のひとつだと考えています。 

まだ見ぬチャンスに向かって積み重ねをしていけること自体にもやりがいがありますが、それが記事化という結果に結びついたときは喜びをより一層感じますね。

社内に関して、今後やっていきたいことは、魅力的な社員を社内のみんなに知ってもらうこと。GPには、熱い想いをもって障がい者支援をする社員がたくさんいますし、手話通訳士としてプライベートでも活躍している社員など、魅力的な仲間がたくさんいます。フルリモートになってからキックオフミーティングもオンラインになるなど、対面で会う機会がほとんどなくなってしまったので、このtalentbookが社内に向けた話題提供のきっかけになればいいですね。同時に、同じ趣味や属性をもった社員どうしをつなげられるような媒介に私自身がなれたらとも思っています。

社外に関しては、障がいについてより多くの方に知ってもらえるよう発信を続けていくつもりです。私自身、子どもが生まれてから障がいに意識が向くようになったので、仕事としてだけではなく、身近なところからも働きかけていきたいですね。

まだベビーカーを使用していたころ、子どもを乗せて街に出かけると、エレベーターがないために遠回りしたり、ベビーカーを持ちあげて上り下りしたりしなければいけなかったりとすごく大変な思いをしました。車いすの場合だと、乗ったまま車いすを持って上り下りできないので、もっと大変ですよね。

段差もそうですけど、ベビーカーでも移動しやすい環境になれば、車いすの方も移動しやすいと感じるような環境になるのではと思いました。かつての私のように、身近でないから障がいについて知らないという人たちにも届くような切り口を考えながら、日常的に発信を続けていきたいです。