インドでの体験で感じた“成長が期待できる新興国への先行投資の重要性”
父親の転勤で、幼少期から高校卒業までを海外で過ごした桑岡。しかし、就職先として選んだのはある国内メーカー。そこには中学2年生のときのある経験が関係していると言います。
桑岡 「インドのニューデリーにあるアメリカンスクールに通っていました。日本人は私一人。なかなか馴染むことができませんでした。どうやったら、輪に入れるかなと考えて、周りの子たちの様子を見ていたときに気づいたことがありました。彼ら、彼女らは、自分というものを強くもっているし、自分の国や言葉に誇りをもっている。この経験から、自分の強みや、日本が世界に誇れることは何だろうか、と常に考えるようになりました。
それから10年後。就職活動をする中で、日本が世界に誇れるものを考えたときに、父が働いていたメーカー企業が自然と頭に浮かびました。その中でも、日本の家電メーカーの製品は丈夫で高品質、というイメージが強く、自分のイメージにぴったりでした。
国内の総合電機メーカーに入社が決まり、アジア新興国向けの代理店営業の部署に配属されました。そのとき、かつて過ごしたインドのことを少し調べてみたんです。アジア各国の家電メーカーのシェアの推移を表したグラフを見つけたんですが、そこで、日本の家電メーカーのシェアは韓国勢に大きく後れをとっていることに気づきました。インドでスクールに通っていたときに、実は韓国人のクラスメイトはたくさんいたんです。韓国の家電メーカーが、多くの駐在員を派遣し、しっかり投資をしていた結果なのではないか、と思いました。
そこで成長が期待できる新興国への先行投資が重要なのではないか。投資をきっかけに経済や文化の交流を進めることで、投資先やその関係国で日本の存在感を高められれば、日本が世界経済を再びリードする立場になれるのではないか、と考えたんです」
桑岡の希望が叶い、入社から2年後にはシンガポールに出向し、ミャンマー・カンボジアでのビジネス拡大を担当することになりました。そこから「アジア最後のフロンティア」と言われていた、ミャンマーに注力することになります。
桑岡 「当時のミャンマーの人口は約5,000万人。しかし、電気が通ってない地域が国土の70%近くを占め、テレビや冷蔵庫といった商品が買える人々は1割もいない状況でした。電気がないところで売れる製品は何だろうか。そう考えたときに思い浮かんだのが、生活必需品の乾電池でした」
その後、販路を新規開拓するため、現地のディーラーとの関係性を深めていきました。またミャンマー全土を渡り歩き、自分の目で現地の状況を見てきました。その中で、電気がない環境で勉強する子どもたちの姿に、何か貢献できないかと考えます。
桑岡 「子どもたちがもっと快適に勉強できる環境ができないかと考えたんです。電気が通っていない地域なので、教室の中は日中でも暗かったりします。子どもたちに明かりを届ける一貫として、手づくり乾電池教室ができないかと考えました。社会貢献活動を進めるメンバーにその話を持ち掛け、新しい社会貢献活動のプロジェクトがスタートしました。
子ども向けの手作り乾電池教室は大好評で、自分の手で作った電池で明かりがつくと、子どもたちがとても感動してくれました。これをきっかけに、電池に興味を持ってもらい、私たちの乾電池のファンになって、将来私たちの商品を買ってくれるようになれば、と思っていました」
その後、社会貢献活動から事業に結びつけるため、新規ソーラービジネス創出や、自分たちの製品を買いたいけれど買えない人に向けたマイクロファイナンス事業のスキーム作りを行うなど、次々と新しい企画を実行していった桑岡。順風満帆に見えた社会人生活も、30代に入り、もどかしさを感じることがあったと言います。
桑岡 「入社当初『日本をもう一度世界一にしたい』と思っていました。しかし、GDPの推移を比較すると、ミャンマーの市場規模はインドとは雲泥の差で、差が開く一方。このまま頑張っても入社当初の思いが達成できない、と感じてしまったんです」
忘れられない面接での出会い。自分らしさを活かして新しい分野に挑戦
「日本を再び世界一に」という想いを叶えるにはどうしたらいいのか。そう悩んだ結果選んだのが、外資系企業への転職でした。
桑岡 「インドや他の新興国のGDP成長率と比べると、ミャンマーは投資先として優先度が下がるのは致し方ない状況ではありました。ただ、どこなら世界にインパクトを出せるのか、投資を強化すべきなのか、といった経営判断に加わるためには、それ相応のポジションに就く必要があると思ったんです。
当時、大手のメーカー企業では、外資系企業の人材を役員に登用することが多々ありました。自分も同じように外資系企業で経験を積み、スキルアップして、再び戻ってこられたら、と考えたんです」
しかし、思わぬ方向へと進んでいくことになります。
桑岡 「外資系企業では、決められた仕事でしっかりと成果を出すことが求められました。私自身、試行錯誤して、新しい提案をし、実行していくタイプだったこともあり、求められていたことと自分の強みが真逆な状態でした。このままではスキルアップどころか、自分らしさを失い、思い描いた道から、どんどん離れていってしまう。そう危惧し、わずか数カ月で辞めることにしました。
ただ、再び転職活動を始めたものの、なかなか就職先が決まらなくて。それはもう、『人生が終わった』と思うほど苦戦しました。でも、『世界一に』という私の想いを実現するまでは諦めない。そう思い直し、グローバルで働ける企業を探している中、自分の強みを求めてくれた企業がありました。それが富士通です。
面接当時、仕事で必要となるITと金融の知識はゼロ。でも、入社後に私の上司となった当時の面接官から、『ゼロからイチを起こすときに必要な“行動力”や“人を巻き込む力”に期待している』と言ってもらいました」
桑岡は富士通に入社後、金融業界で注目されていたビジネスの立ち上げや、既存融資業務のDXを進めるべく、動き始めます。
桑岡 「私が入社する前年、富士通はシリコンバレーのFinTech *¹企業との提携を発表し、新たな融資DXビジネス(オンラインレンディングプラットフォーム)を立ち上げました。私はこの新しいビジネスの企画や販売促進を担当することになりました。
従来の融資は、金融機関への相談・申込から始まり、面接や審査を経て判断されます。手間と時間がかかり、審査完了まで時間がとてもかかることもあります。
一方、新しいオンラインレンディングは、世の中にあるビックデータに基づき、AIが審査を行い、オンラインですべてが完結します。なので、融資実行までがスピーディーに行えます。今まで民間金融機関が対応してこなかった、中小企業や個人事業主といったニーズが考えられました」
とはいえ、まだ新しい取り組みであるがために、興味をもつ企業を見つけることに苦労したと言います。
桑岡 「アメリカや中国では一定の市場規模がありましたが、日本国内ではまだまだ。いろんなお客様にアプローチをする必要がありました。面識がまったくない会社の代表メール宛てに、超長文を送ったこともあります(笑)。当然、最初はなかなか相手にしていただけませんでしたが、多くの失敗を重ねながら、アプローチ方法を確立していきました」
*1 FinTech(フィンテック):金融(Finance)と技術(Technology)を掛け合わせた造語
イノベーションを起こせているのか?走り続けた桑岡が立ち止まった理由とは
桑岡は模索を重ねる中、とある2つの企業との出会いを果たします。
桑岡 「クラウド会計ソフトを提供するある会社が、オンラインレンディングに興味を示してくれて。ただ、その会社ではお金を貸すノウハウがなく、そこを補完するパートナー企業を探す必要がありました。そこから再びドアノックの日々へ。企業探しは難航しましたが、シンガポールのFinTechイベントに出展した際、お見合い相手となる日本企業に出会いました。
話をすると、その企業は、オンラインレンディングに興味はあるけれど、お客様情報や接点がなく、与信判断に課題があると言うんですね。でも、それはクラウド会計ソフトの企業がすでに持っている。では、富士通が仲介役となりましょうということで、3社での新ビジネスをスタートさせました」
しかし、ようやく新ビジネスのスタートにこぎつけたところで、思わぬ出来事が起こります。
桑岡 「コロナの影響により、需要が激減してしまったんです。しかし、既存の融資ビジネスの抜本的なDXに寄与できるはずと思い、新たな可能性を探り続けました。その年の暮れに、地方銀行向けの次世代ローンシステムの開発着手を発表。富士通は提携するFinTech企業と、クラウドプラットフォームの提供会社とタッグを組み、このビジネスを推進してきました」
富士通に転職してから走り続けてきた桑岡。しかし、このリリースを発表した直後に、桑岡がその歩みを止める瞬間があったと言います。
桑岡 「2020年に富士通は、『わたしたちのパーパスは、イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていくことです。』というパーパスを新たに定めました。そのパーパスにある『イノベーション』という言葉に引っ掛かったんです。自分たちの会社は、そして自分自身は本当にイノベーションを起こせているのかなと。
当時、周りから『桑岡さんだから、新しい挑戦が次々とできている』と片づけられることに、違和感を覚えていたんです。私としては、『富士通の社員なら、もっと新しいことを生み出せるはず』と思っていました。
では、どうしたらそれが実現できるのだろうか。その答えを見つけるため、社外の研修を受けたり、さまざまな活動に参加したりするようになりました」
研修や活動を通じて、感じたことがあったと言う桑岡。
桑岡 「各自でやりたいことを持ち寄って、仲間を募り、自律的に活動を進めていくと、おもしろいことがどんどん生まれることを体感しました。そこから、『たとえDX推進部門という組織だけを作っても、会社からイノベーションは生まれない』と気づいたんです。
重要なのは、社員一人ひとりが変わること。でも、やりたいことはあるけれども、『なかなか一人では行動に移せない』とか『身近なロールモデルがいない』という話を多く聞きました。ならば自分が、『行動しやすいような土壌』を作ろうと考えたんです」
日本を再び世界一にするために。行動変容を後押しする“案内人”になる
2022年4月に新しい事業部に異動した桑岡。約20もの事業・統括部が集結して新設された組織でした。ただ、いろんな人が集結した組織ゆえに、組織横断的な行動を起こすのが難しい状況。そこで、桑岡は社内SNSに、自分の想いを発信しました。
桑岡 「組織横断で交流し、新しい社会への貢献を考えていけるような活動を増やしたい。そうメッセージを発信したものの、『ぜひ、やりましょう』との直接の返信はなかったんですね。でも、“いいね”を付けてくれる人はいて。では、その方たちに直接話をしようと思い、全員に個別に連絡したんです。一人ひとり丁寧に話を聞いてみると、みんなやりたいことをしっかり持っているんですよね。必要なのは、一歩踏み出す勇気だけでした」
なかでも、最初のフォロワーとなってくれた池満 拓司の存在は、桑岡にとって大きな支えになったと言います。
桑岡 「社内SNSを使って、これまでいろんな形で情報発信する私の投稿を追っかけてくれていたみたいなんですね。ちょっと変わった人がいるなと(笑)。ただ同時に『あの人となら、何かを一緒に変えることができるかも』とも思ってくれていて。そんな彼が、私の呼びかけに応えてくれたのがとてもうれしかったですね」
その後、桑岡の想いに賛同する人は増え、組織として公式な活動となります。ただ、「単なる遊びだ」と言われないように気をつけていることがあると語る桑岡。
桑岡 「アウトプットをしっかり出し、みんなが認められている状態を作ることを意識しています。実際に、この活動をきっかけに、新しいコミュニティが続々と生まれたり、実商談の獲得につながったりといった事業成果も出始めています。結果が出てくると、上司や身近な人から称賛され、自信につながり、顔つきが変わってくるんですね。
また、私が目立つのではなく、みんなが前面に出て評価されることも重要視しています。たとえば、社内報やイベントへの登壇などは全部、活動に参加している方に任せています。そうすることで、身近でなかった人からも認知され、褒められたりする。自信がつけば、自然と行動できるようになり、今では新しいコミュニティに飛び込むことを厭わなくなった人も出てきました」
最後に、桑岡がいまめざしている未来を聞いてみました。
桑岡 「積極的に活動してくれている人たちがロールモデルとなり、今度は自分のような役割を担ってくれるといいなと思っています。その輪が広がり続けることで、イノベーションが社内のあちこちから、生まれてくると信じています。
そして、富士通社内の実践事例を、他社にも広げて日本を良くし、世界にインパクトを与えたいんです。そのベースとなるのが『個の想いの強さ』と『中心となって立ち上がる』こと。自分の想いを形にできる人を増やしていくのが、当面の目標ですね」
中学生のころから世界を見据えている桑岡。「世界の社会課題を解決していく」ために、桑岡は今日も精力的に動き続けます。