「このブランドと長く仕事をしていきたい」デザイン会社からの転身

株式会社ドトールコーヒーへ入社して10年。事業統括本部・設計部で部長を務める宇賀神紀彦は、ユニークな経歴の持ち主です。

宇賀神 「僕、高校1年生で学校を中退しているんですよ。学ぶこと自体は嫌いじゃないんだけど、本当に必要じゃない知識を身につけるくらいだったら、より大事なことに時間が割けるじゃないか、と思っていたんです。大検(高卒認定)の存在を知った後、すぐに高校を退学し、翌年の8月に大検を取得してしまいました」

その後、もともと興味があった美術の世界に飛び込んでみようと、多摩美術大学を受けたところ、奇跡的に合格。しかし、ここでも宇賀神独特の考えが顔を覗かせます。

宇賀神 「空間デザインを学ぶ学科に入学したんですが、実際には美術の勉強だけしていればいいわけじゃないんですよね。いわゆる一般教養共通教育の授業もたくさんあって、面倒くさいな、と感じてしまいました。

今思うと、少し自惚れていたところもあったのかもしれませんが、『大学に入れたのならば、大学を卒業するくらいの知識がすでに身についているはずだ』なんて考えもあったんです。当時の大学は、それくらい入試が難しいとされていましたから。

でも、学歴というものに対する妙な反発心もあって、結局は2カ月で辞めてしまったんです。尖っていたというか、変わり者だったというか……(苦笑)」

こうして美大を中退した宇賀神でしたが、デザインへの想いが枯れることはありませんでした。そのままインテリアの専門学校へ進み、デザイン事務所へ就職。18年もの間、いくつかのデザイン会社を渡り歩きました。そして最後の会社で、ドトールと運命的な出会いを果たします。

宇賀神 「ちょうどそのころ、仕事に限界を感じ始めていたんです。まず、業界的に収入が不安定で、人生設計が立てにくくて……。そして大きかったのは、新しい案件に携わっては設計して手放す、という短い仕事のサイクルに物足りなさを覚え始めていました。

つくっておしまいじゃなくて、より長いスパンで一つの案件に関わっていきたい。そんな気持ちをくすぶらせていたころ、当時勤めていたデザイン会社のクライアントであるドトールの設計部長に、『うちに来ない?』と声を掛けてもらったんです」

もともとクライアントでもあったドトールの「一杯のおいしいコーヒーを通じて、お客様にやすらぎと活力を提供する」という理念には、共感する部分があったという宇賀神。「このブランドの考え方をさらに世の中に広げていきたい」と強く感じ、2010年、ドトールへの転職を決意します。こうして、宇賀神のドトールコーヒーでの人生が始まったのです。

すべては「白ドトール」成功のため。みずから部長職を志願

ドトールへ入社して5年。宇賀神は自ら志願して部長職に就きました。もともとマネジメントに対する興味はなかったものの、「権限がなければ成し遂げられないことがある」と気づいたことがきっかけでした。

宇賀神 「部長職に対するこだわりはもともとありませんでしたね。ただ、当時任されていた『白ドトール』展開のための設計を行い、メンバーたちをまとめあげて具現化するためには、どうしてもある程度権限を持つ必要があると感じたんです」

「白ドトール」とは、ドトールコーヒーショップの30周年を機にスタートしたリブランディング施策の一環で、清潔感のある白を基調とした店舗内外装のリニューアルや分煙改装などを総称して、そう呼んでいます。

展開を進める中で重要だった仕事のひとつが、FC(フランチャイズ店)との関係構築でした。ドトール全店舗の実に約8割がFCという状況において、旧来の店舗デザインをすべて見直す白ドトールの展開には、オーナーに納得いただく必要がありました。

宇賀神 「一緒にブランドをつくっていくオーナーさんとは、互いに納得の上でビジネスを進めることが絶対に必要です。それができなければ、本当の意味でドトールが変わったことになりません。表層を変えるだけではまったく意味がないんですよ。

なぜ今このデザイン設計が必要なのか、それを実現させるためにはどれだけコストがかかって、それをいかに抑えながらパッケージを展開させていくのか。オーナーさんたちと向き合いながら、一緒にドトールを成長させてほしいと協力を仰ぎました」

こうした経験を通じ、宇賀神はマネジメントや育成についても独自の考え方を固めていきます。それは、旧態依然のマニュアル至上主義を打ち破っていく、という斬新なものでした。

宇賀神 「設計の基礎知識やCADの使い方は、専門書やネットからいくらでも独学で身につけられます。それより大事なのは、ドトールがこれまで何を大事に歩んできたかを知ることなんです。それを踏まえた上で、お客様にどんなことを伝えたいのか、そのためにはどんな店づくりをする必要があるのか。マニュアルをベースにするんじゃなくて、試行錯誤しながら自分なりにプロセスを踏んで、答えを出せる人材を育成したいんです。

マネジメント側にとって重要なのは、メンバーが何時に出勤して何時に退勤したかを管理することではなく、メンバーに何を期待するのかを明確に指し示し、成果を上げてもらうことなんですよね」

自ら考えられるメンバーを、いかにして育てるか。そのもととなる礎を、どれだけ歪まない形で伝えることができるのか。それこそが本来目指すべきマネジメントだと宇賀神は考えています。

顧客にとっての特別な空間になることで、ブランド力を高めていく

2020年現在、宇賀神が仕事をする上でベースにあるのが、「白ドトールから脱却し、いかに先に進めるか」という発想です。

宇賀神 「『どこに出店しても同じ店づくりをする』というポリシーゆえに、白ドトールはいわば金太郎飴でした。それを突き詰めたからこそ、ドトールはここまでポピュラーな存在になれたんです。

そして今、僕たちが目指しているのが、『立地に密着した店舗づくり』。たとえば同じデザインの店舗だとして、原宿の真ん中には溶け込めても、地方ではなんとなくハードルが高く、入りにくい感じがするんです。そういった課題に向き合うフェーズに来ていると感じています」

気軽に毎日通えることがドトールの価値だとするならば、立地や客層を把握した上で店舗にアレンジを加えていくことが重要だと考える宇賀神。サードウェーブコーヒーやコンビニコーヒーが台頭し、どこでもそれなりにおいしいコーヒーが飲めるようになったからこそ、キーワードになるのが“空間”だと語ります。

宇賀神 「コーヒーが多様化した今、空間に特別感を持たせないと価値を生み出せない時代です。コロナ禍において、私たちがリアルで会うことにこれまで以上に目的を必要とするようにな里ましたが、カフェも同じ。あの店でコーヒーが飲みたいという目的を、これまで以上に顧客に提供できなければ、ご来店いただけなくなってしまいます。

その目的をどうやってつくっていくか? 五感に訴える空間づくりと、ブランドアイデンティティを伝えることだと僕は思っています」

たとえば、店内に飾られるアートや店内BGM。露骨に演出せずとも、メッセージを持って厳選することで、顧客が心豊かな時間を過ごせる空間をつくることができます。「ドトール、のち、はれやか。」のブランドメッセージに込められた想いは、ここにも表れています。店をデザインするだけにとどまらず、人の心をデザインできるのです。

宇賀神 「いつの間にかスマホを脇に置いて、ぼんやり店舗でかかるBGMに耳を傾けていた──そんな場所にしたいですよね。絶え間ない情報の波や誰かからの連絡、そういったしがらみから少し離れて“やすらぎや活力”を得られる空間が、すごく求められていると感じています。

そして、実はそれがドトールにとって先祖返りでもあるんですよ。ドトールがこれまでずっと大切にしてきた精神を、未来にもつなげていきたいと考えています」

ドトールがインフラになることで、きっと社会を変えていくことができる

宇賀神が追い求める空間づくりは、決して顧客のためだけのものではありません。店舗という空間には必ずスタッフの姿があります。

宇賀神 「僕らのビジネスにとって、人と人とのつながりは欠かせません。コロナ禍において一時休業を余儀なくされても、再びお店を開ければお客様が戻ってきてくれる──これって、それまでに店舗スタッフがお客様との関係を大切に築いてきたからですよね。ドトールにとって、それはものすごい財産なんです。

縁をつくる場がまさに空間であって……。そう考えると店づくりって、お客様のためだけのものじゃなく、スタッフのためのものでもあると思うんです」

同じ想いを持った仲間と一緒に、スタッフが生き生きと働ける空間をつくりたい。この気持ちを根幹に据え、これからはいっそう広い視野を持ち、日本人の生活を豊かに変えていくためのビジネスに取り組んでいきたいと語ります。

宇賀神 「先日、社長の星野が『ドトールは今後、日本のインフラになっていきたい』と語っていました。僕からすると、グループ総店舗1300店を超えた2020年6月現在、ドトールはすでにインフラになっていると言っても過言ではないと思っているんです。世の中を変えるということはインフラを変えることでもあり、逆にインフラが変わるということは、世の中が変わるということでもある。

全国で年間約2億人の人が訪れ、約2万人の人が働くドトールがより良い企業になっていけば、もしかすると社会全体をより良くしていけるかもしれない。そこまで考え始めています」

この願いを、決して自分のエゴで終わらせたくはない。社員一丸となってドトールというブランドをもっともっと大きく育んでいきたい──宇賀神の飽くなき挑戦は、まだまだ続きます。