ワールドワイドな環境で学んだ“個性”の大切さ

▲ニューヨークに留学していたころ

私は、インターナショナルスクールに小学校から高校まで通っていました。昔から性格は変わっている子だったと思います。インターナショナルスクールだったので、周りもかなり個性的な生徒ばかりでした(笑)。先生も外国籍の方が多く「独自性がないと生きていけない、自分らしさを大事にしなさい」という教育環境で過ごしました。

インターナショナルスクールに通うことになったきっかけは、親が学校に見学に連れていってくれ、その多国籍な環境に感動したことです。「あなたが通いたいと言ったのよ」と親にいまだに言われるのですが、正直あまり記憶はありません(笑)。当時、父親は公立の学校に通ってほしかったようですが、母親が語学力は絶対に将来必要になるからと家族の反対を押し切って行かせてくれました。 

子どものころからファッションや舞台衣装が好きで、その道に進みたいと思っていたことから、大学は世界のファッションと舞台芸術の中心であるアメリカのニューヨーク州立大学に進学しました。そこでは、舞台芸術やデザイン、メイキャップ、衣装製作、舞台関係等の勉強をしていました。ニューヨーカーは話すのがとても早く、会話についていくのが最初は大変でしたね。 

インターナショナルスクールに通っていたといっても、実際に現地で学び・生活をすることは今までの経験と全く違いました。ニューヨークは本当に世界中の国々から人が集まっていますし、みんな違うバックグラウンドを持っています。それぞれ自分の国に誇りがあるので、意見がぶつかることも多々ありました。

そこで初めて、私は日本人の代表なんだという意識をもち、あらためて自国の文化や歴史などを学び直しました。

大学を卒業後は、ニューヨークの出版社で1年間ほど働きました。そこでは、ガイドブック編集や、映画ロケハンのコーディネートなどを担当。日本のドラマやCMのロケハン、日本のガイドブックの編集もしていたので、日英の翻訳や調整業務といった、この後のキャリアに生きてくることを、この時期に学びました。

その後、リーマンショックなどによって外国籍の人にはビザが下りにくくなったことから、日本への帰国を決めました。帰国後、大学で学んでいた舞台芸術の分野は、日本での就職が難しい領域だったため、上智大学に進学しました。 

自分の好きなことを仕事にしたい──憧れの職業と能力を生かした職業

▲AEONの講師を勤めていたころ

その後、就職活動を迎え、自分の好きなことを仕事にしたいと思っていました。就職活動をしていく中で、子どものころからの夢だったファッション誌の編集の仕事を見つけ、「もうこれしか無い!」と思い、すぐに応募しました。結果的にご縁があり、VOGUE JAPANで編集アシスタントとして働くことに。

ただ現実は甘くなく、『プラダを着た悪魔』の映画のイメージよりも大変でしたね(笑)。業務量が多いだけでなく、ユニークな社員や業界のしきたりについていくのにも苦労しました。子どものころから憧れていた職業だったのですが、好きなことと天職は違うのかな、と強く感じましたね。体調面に少し影響が出てきたこともあり、他の仕事に就こうと思い、転職を決意しました。

「次は自分の能力を生かせる仕事をしよう」と考え、語学を生かせる仕事を探していました。その中で英会話のAEONと出会い、転職を決めました。AEONの講師は外国籍と日本人の先生が在籍しており、日本人教師のきめ細やかなサポートを売りにしていたんです。ここでなら私の能力が生かせるのではないかと思い入社しました。

日本人教師として0~70歳まで幅広い年代の生徒に英語を教えるのは、本当に楽しかったです。生徒の語学が上達していくことに貢献できるのがやりがいでした。生徒それぞれに夢や目標があり、海外出向や留学に行くために頑張り、夢を叶えていく姿を見るのが嬉しかったです。人の人生に関わる仕事に携われたのは良かったと、今でも思います。

ただ、先生の宿命だとは思いますが、みんなが育って羽ばたいていく姿を見て嬉しい半面「私も本当は海外で働きたいな……海外出張に行きたいな……」 と考えるように。語学を教えるのではなく、自分が英語を使うことで貢献できる仕事がしたいと思い、転職活動を始めました。

ダーツライブには、自分で求人を探して応募しました。複数の企業を受けていく中で、語学は生かせても、扱う製品に縁がない企業が多かったんです。ダーツは好きでプレイしていたことから、会社も製品も知っていたので、興味を持ちました。

そして、面接を受ける中でダーツライブがいいなと思ったのは、ダイバーシティな環境があることです。ダーツライブの前に面接を受けた別の何社かでは、私の日本語の発音が独特だったせいか、面接官に「日本人ですか?」などと質問をされ、国籍を異常に気にする会社があることにショックを受けました。

一方、ダーツライブではそんな質問もされず、社員の多様性を認めていたところが気に入りました。「実際に働くチームにも外国籍の方が何人かいますよ」と聞いていたので、ここで挑戦してみようと思ったんです。

文化や言葉を超えてつながる人と人──日本と海外を結ぶために

▲世界大会の会場で外国人選手と

ダーツライブに入社後は、海外プロモーション部にて海外支社とのやりとり、現地でのプロモーションイベントの企画・運用・フォロー業務対応、ソフトダーツの世界大会であるTHE WORLDのSNSを担当しています。チームメンバーは、私を含めて7名前後です。外国籍の方もいて、いろいろな言語が飛び交いにぎやかなチームです。

この仕事の一番のやりがいは、実際に現地に行って各国のダーツの盛り上がりを体感できること。ダーツの世界大会で各国を回ったときには、どこの国に行っても、現地の方々がダーツライブの大会を待ちわびている感覚があります。

大会で個人がダーツをプレイすることだけを楽しむのではなく、国籍や民族がそれぞれ違うのに、会場が一体となってみんなが楽しんでいる姿を見たときは感動しました。欧米からアジアまで様々な国に行きましたが、特にマレーシアの大会では、現地の方々のテンションが高いですね。日本の試合は静かに真剣に見る人が多いですが、マレーシアでは最初から最後まで歓声や盛り上がりが止まりません。

そして私自身、海外に行って現地の方と直接コミュニケーションを取るのが一番楽しいですね。フランスに行ったときには、フランス語は全然わからなかったのですが、会場に来ていた方と交流するのが楽しくて、ひたすら盛り上がっていました(笑)。

 ただ、うまくいくことばかりではなく、海外支社と日本本部の考えが対立することもあります。私はその間に入って、両者がWin-Winな関係になるよう、解決方法を模索します。しかし、どちらの気持ちも分かるからこそ、どっちつかずの判断になってしまい、うまくいかないときも……。今振り返ってみると、ハッキリと決断すればよかったと後悔することもありました。

 文化の違いなどもあり、一筋縄では解決できないことが多いです。そこで、最近はコミュニケーションのやり方を工夫をしています。以前は、日本本部からプロモーションイベントを打診することが多かったのですが、最近は海外支社からの提案や意見を尊重し、進めるようにしています。現地の方々が喜ぶ内容を一番知っているのは、やはり支社のメンバーですからね。日本本部があまり細かく指摘しすぎないほうがいいこともあると学びました。

夢は六大陸制覇──世界を舞台に、人と関わる仕事を求めて

今までを振り返ってみると、ずっと自分のベースにある思いは変わっていないのかもしれません。

フィールドは違いますが、1社目では「日本のファッションブランドを海外に発信したい」という想いがあり、2社目では「世界で活躍できる日本人を輩出したい」という想いがありました。そしてダーツライブに入社を決めたのは、「日本発のサービスやプロダクトを世界の人に発信したい、普及したい」と思ったからです。私らしい選択をしてきた気がしています。

このように、自分の好きなように生きてきた私は、周りに恵まれていると感じます。特に家族には感謝しています。子どものころから時間とお金をかけて育ててもらい、留学もさせてもらいましたし、本当にいろいろとサポートをしてもらいました。両親には「私の好きな語学を生かしながら、楽しんで働いているよ!」と伝えたいですし、親孝行していきたいと思っています。

仕事では、ダーツライブを楽しんでくれているユーザーの方々に「やっぱりダーツって楽しいね」「この新しい企画いいね」と思ってもらえるようなイベントを、日本だけではなく世界全体で、開催していきたいと思っています。業務上、海外支社のプロモーションを担当しているスタッフと接することが多いですが、そのスタッフたちが現地のユーザーが楽しんでいる姿を伝えてくれるので、それが励みになります。

また、マーケティング・プロモーションの仕事はやりがいがあります。好きなので、引き続きやっていきたいと思っていますが、ゆくゆくは人の人生に関わるような仕事をやっていきたいとも思います。

あとは、やはり海外で働きたいですね。
2020年現在、ダーツライブのサービスは、ヨーロッパやアジアなど20カ国に進出しています。最近では中東のカタールにも進出しましたが、個人的にはいつかアフリカに進出するのが夢です。私もダーツライブも、六大陸すべて制覇したいですね。